さて、突然ですが
今日でブログをやめようと思います^^。

そこそこ人生を経験してきましたが
山有り谷有り谷底有りで(笑

気づけば、思った以上にまた唐突に
厳しく険しい山の麓に来ていたみたいです(笑

似た様な経験は幼少から何度も受けてるので
もう対処の術は知っていたはずですが

可能性は知りつつも嵐の体験の方へ向かうとは
信じておらず、豊かな大地を築くと
疑っていなかった天然ぶりで(笑

この歳になって懲りずに又、エベレスト級の麓か!!
と、目が点状態ですが(笑

今度こそ更に深く
凍死するやもしれませんね(笑

ま、その覚悟を持って
内観に時間を取ろうと思う次第です。

まだまだ無知で未熟なもので
時間があればそちらに集中します。



さて、最後です。どんな言葉が
湧いて出てくるやら。


・・・


手をね

つなぎましょうよ

大人同士って恥ずかしいかもしれませんし

男同士って恥ずかしいかもしれませんが(笑


子供はね、すぐあたりまえの様に
手を握ってくるし

手を握ること
抱きつくこと

を自然に行います


一緒にいたいと きゅっ
嬉しいと    きゅっ
大好きだと   きゅっ
繋がりを感じたいと きゅっ
安心感を感じて きゅっ
寂しいと    きゅっ
悲しいと    きゅっ
怒ってても   きゅっ


ある程度成長した子供も大人と同じで

一人で歩けるし、危険も回避できるし
判断もできるからそう言う意味で
してるんじゃないんですよね

体は抱きつけば繋がってますが

心が繋がっていたいのです
より繋がりたいんです

一緒であることが
恐らく本能的に
解ってるんです


それは平和であり

それは愛です

子供がそうしてくれると
嬉しいのはこちらなんです

本当に嬉しいものなんです

暖かくて
柔らかくて
安心で
幸せで


いや、しかし、手なんて大の大人が
握れないと多くの方が思いますよね

具体的に手じゃなくてもいいんですよ

片方のハートが手を差し伸べて

ハートがそれを受け入れて

もう片方のハートが手を差し伸べれば

繋がるのですから

ただ、それだけなんです


その手にギュッと握っている
観念と言う紙を手放してみて下さい

大切なものですね、その手に
ギュッと握られた紙切れ1枚は


私の大好きな福澤諭吉さんかもしれませんし(笑
私の大事にしてるプライドかもしれませんし
ぼくの大事にしている名声・実績かもしれませんし
ぼくの大事にしている考えやポリシーかもしれません


でも、それが最も重要で大事だと
手をグーにして握ってると

あなたと手が握れないんです


きっと知っているはずなんです

その観念という紙が大切なら
手を握って繋がった先に
その観念は一人で握ってクシャクシャにしてるより
繋がる事で、より自由によりあなたらしく
発展し広がった形で生かせる事を

その観念は、自分だけじゃなくて
繋がりを持った人たちの中に
切れ切れかもしれないけど、形を変えて
キラキラと輝きを増して、ある事を


私は知りません

大海(深く広い愛)を前にして
「私の、私は!」と言う観念が何より重要になる事を


一度その観念を手放して

グーにした手をパーに
グーに縮こまった心をぱぁっと

開いてみてはどうでしょう


しかし、その紙が何より大事と握った上で
何かを語り、何かを表現するのであれば

勿論、同じ観念の持ち主が
世には、むしろ明らかに
そちらの方が比較の対象にならないほど
多くいる事でしょう

必ずそれに合う環境に
直ぐ様、行けます

それにより
あなたの思う幸福がある事でしょう


条件によって手を握ったり握らなかったり


そんな考えを手放せたなら
どんな世界があるでしょうね


私の観念上に合わない人とは手は握らない

それは本当に
相手を深い愛で受け入れて
手を差し伸べてる状態を言うのか
私には解りません が


もし


男も女も
肌の色も
大人も子供も
裕福も貧乏も
外見の差も
あいつの考えは自分と違うと言う考えも
あいつの価値観は自分と違うと言う考えも

それが大事なんだーと言う
そこは譲れないーと言う

そんな観念をとっぱらって

手を握れたのなら


本当に大切なものが
初めて、そして十分に
そこにあると感じるのは


私だけでしょうか



・・・


今日は、いろいろ唐突に話しますが

私はマイケルジャクソンが大好きです(笑
私は上手く表現出来ませんが
この表現はそのメロディに乗って
そのものだと感じます


Love Never Felt So Good 

と言う曲で、こう歌ってます

この場合はパートナーに重点を置いてますが
男女、親子、親類、友達も根本は一緒です


君を愛する度に
それは僕の人生の内も外にいる
内側も外側にも
ベイビー
もし本当に僕を愛しているのなら、教えてよ
それは僕の人生の内にも外にも
ベイビー内側も外側も
おかしくなってしまうんだ
愛がこんなに素敵なものだったなんて知らなかったよ



良かったら、Heal the Worldなども
聞いてみてください


君の心の中には、愛があるんだ
それは君の知る明日よりもっともっと輝くことができるんだ
君が心から努力すれば、みんな涙を流すことはない
愛があるところには、痛みも悲しみもない

そこに辿り着く方法はあるんだ
すべての命を大切にしよう
小さくてもいい、愛のある場所をつくろうよ
もっといい世界にしようよ


紹介したいほどの素晴らしい曲は
山ほどありますがキリがないので


そろそろ
終わろうかな。


もしも、このブログを読んで頂いてた
珍しい方がいらしたら
(多分、読者数とか見るといないと思いますが)

短い間でしたけど
ありがとうございました。

ほんの一瞬でも、この文を介して
出会えたことを嬉しく思ってます。

そして、皆さんの幸せを
心より祈っております^^







子供も私も、昨日は節目を迎える日でした


3年通った習い事の最終日だったのですが
人が聞けば、たかだかと言う話しです(笑

親子にとっては、勉強・思考力・心の育成
などの学びと言う意味において
学校より何より重視した場だったので(笑
思い入れの強い場でした


数々の想いが溢れて、最後に先生に抱きついて
泣いている息子がいました


あまりにも貴重な体験と学びをし
あまりにも大切な出会いと
あまりにも奇跡的な事が溢れてました

まるで原子同士の融合でも見ているかのように

素晴らしい方々が自然に集まり
素晴らしい筋道が自然に見えてきて
素晴らしい奇跡が様々に起こりました

子どもはその中、思う存分学ぶことを楽しみ
思う存分、先生方を通して勉学と共に尊敬と信頼を感じ
結果として思う存分、大会などにも結果を残しました

導いてくださった方々のお陰様と
心から感じてたようです

習い事からの帰りの車中
綺麗な気持ちになっている子どもは
驚く程、夜の景色がキラキラと
輝いて見えていたそうです


私も同様に
いつにも増して

空気も街も
輝いている事を感じてました


終わってしまったこと
終わってしまうことに

不安や恐怖や自己欲求をしっかり感じて
そうである事や自分を卑下も否定もせず
意味も理由もつけず

ただ受け入れて
目の前を見ると

周囲の景色が変わります

驚く程
出来事をただ受け入れている
状態である事に
気づきます

子どもは車中、ポーっと景色を眺めながら
ぶつっと呟いてました


「美しい・・・・」




確かに

その表現になります(笑


















人が愛を心に想っていても

言葉足らずで
自己中心的故に
態度も伴わず

相手の気持ちを害したり
沈めたりもするでしょう

全く完璧な人間などありません
私も無知でそんな愚行もします
それも私という人間の一側面です

言葉足らずで
沈ませてしまったなら

それは素直にごめんなさいです
気づいたなら、改善していこうと
思います

しかし、それを受け入れるかどうかは
相手の自由です

疲れたから、もう嫌だ一緒にない。と決断しても
お互いに気を付けようねと共に進む決断をしても

選択は相手の自由。
恐らく、相手がそこまで疲れてるなら
同じだけ、もう一人の相手も疲弊してます
そして、自分の選択も自由です。


私個人は、疲弊しようが何だろうが
そこは「私の心と思考の産物」と捉えるので

根源に立ち返ります


子供やパートナーをどんな風に愛してるか
見てみると


相手がどんな事をしても
相手がどんな事を選んでも
相手がどんな事を言っても

例え自分と考えや意見が合わなくても
例え自分と趣味や嗜好が合わなくても
例え見失ったと思っていなくなっても

何を選んだとしても

ただ

愛してるよ

です

どんな状態のあなたも
そのままのあなたを 
愛してます

過去も未来もありません
すっとそうなのです

私と共にあることを望むなら
私はいつもここにいます

そうで無い事を望むなら
目の前から姿が消えるまでです

自由にすればいいのです
あなたの人生です


私はただここにいて

ただ

あなたの幸せを想い

ただ

あなたの可能性と素晴らしさを誰より思い

ただ

あなたを愛する者なのです


あなたの素晴らしさを知り
あなたが想う事は叶うことを思います
あなたたちは、そう言う人なのですから


しかし、私は全く愚かな部分がいっぱいあります
そこは素直に
ごめんなさいです


あと何年生きられるか・・、その間
共にいろいろと感じ合えたらいいですね


















私たちは、一見幸せに見えても
終始そこにいられる人など
殆どいません


子どもは、素直に
「受け止めて欲しい」と
表現をします


やったよママ、すごいことが出来ちゃった
僕の頑張ったのを、よくできたのを受け止めて

痛いよパパ、不安だよ、大泣きしちゃうよ
だって苦しいんだもん、助けを受け止めて

私ね、今日こんな事を友達と話したんだ
パパの知らないところでの私の行動も受け止めて

僕、片付けるって言っておいて、遊び呆けて
散らかしっぱなしだよ、そんな僕も受け止めて


・・と。表現としては

「ね~ね~♪あのね・・・」と話しかけたり
「いだいよぉぉぉー、うぇぇぇん」と泣き叫んだり
「ごめんなさーーーーーい!!!」だったり

と幼稚かもしれませんが(笑
全部、親や兄弟に受け止めて欲しいのです

それに気づいた親がするちょっとしたアクション、

「痛いの痛いの、とんでけーーー」


で、大概の痛みが治っちゃうのですから(笑
親が気づいて、気にかけ、受け止め、その子に
心から何かを働きかけてくれた安心感から
痛みは消えるのです


・・で、大人も実は同じです


ただ、大人は妙にプライドだの大人ぶったりだの
要らぬ知識だのを振りかざしてしまうので

素直じゃない(笑

本当は、子供で言う

「苦しいよー、助けてー」と言う言葉の気持ちを


そう言わずに、普通の会話をしようとしますが
明らかに不機嫌で返答や回答が喧嘩腰だったりします


不機嫌を出せば、相手の不機嫌が帰るだけです
お天道様に吐いたツバは、自分に帰るのです


何でも言い合える仲が望ましいかもしれませんが
私自身は、ある種の言葉や態度にも「毒」があると
感じるので、言葉は選びます

嫌な時は、嫌な態度を出せばいい
これも、1~2回はある種素直でいいと思う人もいるでしょうが
毒を吐けば、腐りますからね
相手もですが、自らに周りますよ


曇りの無い心を思うなら
素直にありのままでいいのです

ありのままは毒を出すことではないのです
大人ぶってどこぞの理論など持ち出さなくて結構

そんなのあったら取っぱらって

「大変だよー、苦しいよー、助けてー
 うぇーーーん、うぇーーーん」


でいいのです(笑
まぁ、表現の程度はありますが(笑

愛する者がそう泣いてたら
誰が放っておきましょう


大人も子供で
子供も大人なのです


そんな素直な愛くるしい人を

「どしたー?痛いのぉ?
 よーし、痛いの痛いのとんでけー」

って、一緒にしゃがんで
大丈夫だよ、すぐに治るよって

見ているでしょ
励ましているでしょ
対処できればしようとしてるでしょ
痛みがすぐ引くのを共に願っているでしょ
一緒にいるでしょ


いつも大切に想い合ってるはずの人が
側でそう言う風にいるものだけど

共にあると言う事に
なかなか
気づかないかな




















大なり小なりの奇跡を
感じたり見たりする事が
とても多くなりました


(奇跡と言えば
 あるもの全てが奇跡とは思いますが)


今日も、その奇跡っぷりに
子供と共に声を上げて
思わず笑って2人とも
「すごーい、すごーーい」と大興奮しました(笑


起きた事は小さなことなのでしょうが
その完璧さというか
あり得なさというか

思わず親子共
歓喜をあげずにはいられない感じでした。


奇跡は、それを疑わない者の前には
まま起きるものです

(全てが奇跡と言えば奇跡なので(笑))


ママは運はいいからね~(笑)
と子供から言われたり

その運を人から驚かれたりは
しょっちゅうですが、

(そもそも子供自身が人のこと
 言えないほど運がいいのですが)

本当に有り難いことばかりなのですが、

それは全部、私が何かやっているからとか
何か努力してるからとかでは無いんです

私が凄いわけでもないし
私が頑張ったわけでもないし
私に能力がある訳でもないんです


ただ、あ~凄いな~、有難いな~という時と感じるとき

感謝してます

あららぁ、どーしよぉかな~と感じる時は

きっとこれが最良の結果に行き着くものなのだろうと
疑おうとした気持ちを捨てようとします


すると時々
大笑いが出るほどの

奇跡を目の前で見ることがあって

そうして頂けることに

感謝の想いが止まらないだけなのです


そして、周りの物や人や環境や
あらゆる事が
感謝になるのです



















付き合う人によって
生活の質が全く異なる事もあります

十人十色で
人の考え・感じ方・行動など
当然全く異なりますが

私たちはほぼ、「私」と言う尺度で
物事や人や心の中や
それに付随する時間軸さえも
判断し、それ(自分の尺度)が正しいと
前提に考えて生活をしてます


その尺度は
10人いれば10人の
千人いれば千人の視点があるので

当然、一緒にいて合う人
合わない人がいるものです

お互い良い関係性を気づいたり
共にいることが嬉しかったり
落ち着いたり、発展性のある関係の人もいれば

そうなりたいと思っても
どうも足の引っ張り合いだったり
堂々巡りだったりと言う関係になる人もいます


一見、どんな人とも仲良く上手くやりなさいとは
聞こえがいい様ですが

無理や我慢をすると、大切なものがずれてきます


環境(周囲の人も)は自分で選るものです

子供のうちは、家庭などは選べませんが
それでも友達などは、誰も言わずとも
みんな自ら選んで行動してるものです


あえて、質を下げることはありません
今の自分に合う分の質です


健康そのもので質素な食を摂っている人が
夜中に毎晩ビール5杯と唐揚げ1Kgを
1ヶ月飲食し続ければ
体の質を自ら明らかに落としてしまう様に

冬には暖かいコートを着て
夏にはさっぱりしたシャツを着る様に

心にも
生活にも
環境にも
体にも

その時の自らの質に合うものを
選んで行く事も大切です


朱に交われば赤くなる
良くも悪しくも
少なからず影響を受けます
















大変だ~と言うことが起こったり

どうしようもなく落ち込む様な状況だったり

そんな状況や出来事は

人生のうちに幾つも来るものですよね


悩んだってしょうがないのは解ってるさ
分析したって反省したって
行動や気持ちを前に向ければいいのは解ってるさ

「でも、でも、だって」(笑
(自他共に「でも、だって」っていう言葉が出たら
 笑ってしまう自分がいます)

そんな気持ちじゃないんだもん


ってな感じで(笑
別に、無理に前向きにする事も
明るくもする必要もないけれど


しかし、出てくるものですよね
人生のうちには、大なり小なり
幾つも幾つも
そう思えてしまえる出来事が

実は私も状況としては、今そうです(笑


・・で、私自身は、悩まないんです。

子供のおちゃらけっぷりを見て
バカ最強!ありがとうって笑っちゃうんです。

それで、ただ目の前の仕事を
ただただ
やっていくんです

悩もうが悩むまいが
目の前に常にお仕事がありますので

母業なり
仕事なり
お勉強なり

正直、悩んでたら勿体無いです(笑

だって、何事も効率悪くなりすぎるから
頭の働きは勿論鈍りますし
行動力・判断力の衰え
気力の衰えも著しく
時間のロスも激しい

いいところ無し!
(個人的な考えですが)

ならば、科学的に考えても
笑顔になって脳活性して
お笑い見たりして
とりあえず笑っちゃって

笑顔で目の前の仕事をこなしていく


過去、大変だーと思う出来事が起きていて、今また
同じ様な状況でも、「大変だー」と捉えないことだってできます

「おっと、また来たな!ようし、今度は
 もっとうまくこなしてみようか」

でもいいし

「もう大丈夫さ、経験済みだから
 どうすればいいかは解ってるさ」

でもいいし

「わー、大変だー、辛いよー、きゃー」

と、過去と同じ様に悩んでもいいし(笑

「あ、そうか」

と、一瞬認めてスルーすることもいい

何でも選べちゃう。自分で。


なので、私は最後の

「あ、そか。起こったか。
 ま、そのうち適当なところに収まるさ。」

と考えて、目の前の事を淡々と行っていきます。
適度にとるべき行動があったら行って終わりにし
目の前の仕事をします

料理だったり
片付けものだったり
仕事だったり


そして、変わらず家族と関わる時間を大切にします

そういう時ほど、周りの人の大切さや有り難さに
気づけるものなのです

むしろ暖かさに気づけます


数時間、数日、数ヶ月、数年も経てば
どの道、ほとんどの場合、その悩みすら忘れてしまうものだしね(笑



















タイトルの言葉は
宮沢賢治の言葉です

私たちは常々、結局のところ

個人の幸せ
個人の喜び
個人の満足感
個人の不足や恐怖から逃れる手段

これを、年がら年中行っているのでしょう

言葉では綺麗に覆い隠します

誰か、何かの為
誰か、何かを想ってやってる
若しくは、やってやってる(苦手な言葉ですが(笑))

しかしどんな綺麗な言葉を使っても
多くの場合、結局は自分の為なのでしょう

それをしないと都合が悪い自分
それをしないと人からの評価が気になる自分
それを義務と考えている自分がいる

勿論、まず自分自身が満たされていないと
第三者に優しさが持てません

それはそれでとても大切な事です

そして、

私が見ている世界(私が見えている人・物・環境)

これも幸福でないと、私は結局
幸福に感じることが難しい


例え今日、私個人が幸福な事があって家に帰っても
愛する人に大きな災難があったなら
果たして私だけ幸福のままにいられるでしょうか

賢治さんの言う、世界全体がもし
私個人と言う人間が出している
世界全体なのだとしたら

私が普段から目にしている人
想っている人、関わっている人
物・事

それらが幸福であるなら
自ずと

私(個人)に笑顔がもたらされ
幸福である事でしょう


逆もまた然りで













子供が、将来絵本を書きたいと
お風呂で話していました

うん、いいねぇ
○○(子供の名)は絵も上手だしね^^

と話すと

「ぼく、絵はそんなに上手くないよ」

「だって、県展に出す絵を書いてた時
 つまらない絵って言われたり
 普段の絵も、もっとこうするんだよ!って
 直されちゃうから・・」

・・と、周囲や大人の評価を鵜呑みにして
自分は絵が上手じゃないと思い込んでいた様です。

お風呂につかりながら
こんな会話が続きました。


「そう思う人もいたと言うだけであって
 ○○は絵がとても上手だよ。
 実際に展示会にも選ばれてるのは
 味のある絵を書いてたからでしょ?

 人の評価なんて気にしなくていいんだよ。
 ある程度の決まった枠の中(お題)であれば
 誰かの言う通りの絵なんて書かなくていいよ。

 自由に書けばいいよ
 学校でいい成績をとれ!とか
 選ばれる絵を描くようにしろ!なんて
 ママが言うようには思えないでしょ?(笑」


「あははは、ないない(笑笑」


「笑)絵は自分の心の現れなのだから
 好きな色を使って自由に描けばいいよ。」

「え?そうなの?
 絵は自分の心が出るの?」

「うん。そうだよ。
 絵には今の自分の思いや考えや
 どう世界を見てるのかが出てるんだよ。」

「そうなんだ~~。そっかぁ、そうだね~」

「笑)小3で虹の絵なんて何で書いた!!って怒られたのは
 気にしなくていいんだよ(笑
 むしろママは、小3で虹の絵を書く○○が大好きなんだ。
 ママはね、○○が書いた虹やカラフルな色を使った絵って
 可愛くって大好きだし、その素直さが好きだよ。」

「ほんとう????」

「うん、ほんと。
 子供らしさが可愛いし、生き生きしてるし
 そういう生命力のある絵って素敵だよ^^」

「うん!!♪♪」


と嬉しそうに返事した後、
自信を取り戻した様子で

将来絵本を作る話をまた始めました(笑。


少しずつ、子供も「自分」と言うキャンパスを
世間や誰かの視点や意見に合わせて
作っていきます

私たち大人となると、それはもう
誰かの、世間の意見や視点を意識しまくった
キャンパスになってしまってるのかも(笑

こんな事言ったら、みんなに変に思われる
あんな事したら、仲間から外れてしまう
そんな事やってたら、世間の常識から外れてしまう
思ってる事なんて言ったら、その場に行けなくなってしまう

なんて言う風に。


しかし、それは本当に自分の人生と言うキャンパスを
自らが自由に書いていると言えるのでしょうか?


自分のキャンパスなのだから
何色に塗ってもいいんです

大人も、子供じみていようが
虹を思えば描けばいいんです

描きたいものを書けばいい

人の評価なんて気にしなくていいんです


自分らしい絵を描いている人生を送っていると

それに同調してくれる人が

そのうち自然に集まってくるものです

あなたがあなたらしくある事を
喜んでくれる人たちが
集まってくれます

だから

自分に嘘をついて
無理をする必要なんて無いのです


大切な一度きりの
今のあなたと言う
人生のキャンパスなのですから





















 






私の人や物事の接し方は

大概において

「いい塩梅」

結果、日常の全てにおいて
幸せな有難い循環を見ています


要するに
いい加減なのです(笑

時々、テキトーだよね~って笑われますが(笑
笑われてるくらいが丁度いいんです
周りは明るく優しいし、自分も身の丈なのでラクだし

適度ないい加減が良い加減なのです。個人的に。


何でもそうです


料理もみーんな塩梅。計るの面倒なので感覚で

子育ても殆ど塩梅で適当・適度

学校関係も交友関係も、みーんな塩梅


先日、ある子供に「おうちでキビシクしないの?」と
不思議がられましたが

その時答えたように、そもそも私が
他の人に厳しく出来る様な
ご立派な母さんでは無いのです

当然、必要な注意や促し、教育はしますけど


そして、この塩梅で良い加減で何かをしていると

喜ばれるし、周りも自ずと伸びるし、幸せそうだし
いい関係性をもたらします

料理も親子も夫婦も友達も対人関係も
喜ばれるし、相手も幸せそう

私から出てくる、何かや誰かへの

過剰な期待、過剰な欲
過剰な判断、過剰な制約
過剰な決まりごと、過剰な押し付け

これは、いい塩梅に入りません
関係も流れも崩れます


いい塩梅には自ずと

自らも相手にも、自己責任の上での
自由があります

結果として自然に信頼も生まれるし
結果として自然と実力も伸びる
結果として幸せであり、笑顔がある


何か植物を育ててみると解ります


大切に大切に
あれもこれもと栄養を与えすぎて
四六時中、温度や湿度や病気や害虫に気を配り
過剰に手をかけすぎても

自然の流れと調和をとる力が欠けてしまう

逆にしっかりと向き合うこともせず
嫌な言葉でもかけて育てれば
毒を巻いているのと同じなので

悲しい結果が待ち受けてます


適度と言うものがあります

その事・物・人の
その時にあった

言葉や対応、気持ちや与える物


ちょうどいい塩梅で

躍起になりすぎない程度で

笑顔で楽しく取り組んだり
見守れる位


これくらいでいると
相手もリラックスして
素直になってくれるし
実力もぐんぐん伸びるものですよ