いつから? ぼくを忘れてしまったのは。
世界が輝いていたあの日。
幸せを、なんの区別もなく受け取っていたあの日。
いつから? 幸せの基準を作ってしまったのは。
〝 いつになっても、ここに… 〟
あの頃のぼくは、
いつになってもここにいるんだから
タイガの中では木々から葉が落ち、そして風が小枝を吹き飛ばす。タイガの大地は葉や小枝、そしてミミズのような虫たちによって肥沃になる。そして生えている草たちが土壌の成分を調節している。灌木たちが余分な酸やアルカリを取り除くのを助けてくれるの。
落ち葉はあなたが知っている肥料の中でも、何物にも代えられないもの。だって、葉は〝 宇宙 〟のエネルギーの多くを持っているのだから。葉は、星も、太陽も、月もみてきた。ただみていただけではなくて、それらと互いに交信し合っていたのだから。だから何千年経とうと、タイガの大地は、植物が実を結ぶ土であり続ける。
(中略)
みんなを食べさせるためには畑を作らなければならないね。でも畑仕事ではどうしても汗をかくだろう。
信じて、ウラジーミル、畑だってそれほど労働をかけないように作ることができるの。そしてそこではよく観察するだけでいい。森の中ですべてが育っているように、草の間にだって野菜も育つことができるはず、とびきり美味しいトマトやキュウリが。周りの草が刈られていないときの野菜の味は、あなたにとって何倍も心地よく、そしてもっと身体にいい効能をもたらす。
雑草は? 害虫や虫たちが野菜をだめにしたりしないのか?
自然界には役に立たないものはまったくないし、不要な雑草などない。同じように人間に害をもたらす虫もいない。
いないなんてことがあるか! バッタや、例えばジャガイモハムシなんかはどうだ。こいつは悪党だ、畑のジャガイモを食っちまうんだぞ。
そう、食べる。それによって人間に、人間の無知が土の自主性を壊していることをみせている。神なる創造主の意図に矛盾していると。いったいどうして、土をズタズタにしながら毎年同じ場所をしつこく耕すことができるの? それは文字通り塞がらない傷を鋤で引っ掻き、さらに傷口から恵みをもたらせと要求するようなもの。
ジャガイモハムシやバッタは、あなたと私が描いている土地には介入しない。すべてが偉大な調和の中に育つとき、その中で実った作物は調和のとれたものになる。
しかし、もしすべてが最終的にそうやってうまくいったら、君の考えの土地では人間は肥料もやらずに、色んな毒や害虫と闘ったり除草したりするために時間を割く必要もなく、すべてがそこで自然に自力で育っていく。すると人間がすることは残っていないのか?
楽園に暮らすこと。神がそう望まれたように。そしてそんな楽園を築くことができる人は、神の意識に触れ、そして神と共に新たなる創造を生み出すことができる。
新たな創造ってどんな?
前のものが創造された後、次なる創造がなされる。さあ、まだ最後まで考えていないところを描いてしまいましょう
「 銀行の本審査 」までまだ時間があるので、
待ちきれずに 野菜の種選び
が始まりました~ッ
大根、ピーマン、ほうれん草、水菜、小松菜、チンゲン菜、南瓜、
ゴーヤ、じゃが芋、ネギ、ニラ、大葉、春菊、キュウリ~
自然農、一年目のこれが スターティングメンバ―
ですわッ
種はもちろん「 在来種・固定種 」、
しかし昔からある種なのでそりゃそうなのですが、
なんていうかもう、
そこはかとなく滲み出る、昭和・平成感
なお良しッ
風の時代の生き方は、
〝 外 〟に意識を向けて、働きかけるのではなく、
常に「 内 」に意識を向けて、
自身の魂の声を、この世界に反映させていく
この心、魂が、
今に何を求めているのか?
まるで 少年時代のハート
を取り戻していくように、
大人が、少年の心に還っていく…
少年のハートか
久しく忘れていたぜッ
日曜の昼下がりに、
こんなにワクテカしながら「 野菜の種 」を選ぶ日が、
我が人生に来ようとは!
12月に お引越し
で、
野菜によっては2月に蒔く種もあるので、
考えてみたら、もうそんなに時間がないのな
まずは庭に落ちてる〝 木の枝 〟とか掃除せんと
まぁ…やることはそのくらいだけれど
んでは23日の本審査に向けて、
てかもう「 審査が通った先の準備 」をしているけれど、
今出来ることに邁進していきまショッ
それではまた~!
世界が平和でありますように