その時は、
それが100%正しいかなんて、
わからなかったけど、
それでも自分に正直に、
心に真っ直ぐ生きたから、
よかったと想える、今がある![]()
いろんな色がいて、
みんないい!
赤、
橙、
黄、
緑、
青、
藍、
紫。
いろんな人がいて、
みんないい!![]()
「 逝きし世の面影 」
・・・ 「私にとって重要なのは、在りし日のこの国の文明が、
人間の生存をできうる限り気持のよいものにしようとする合意と、
それにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ」
近代に物された、異邦人による数多の文献を渉猟し、
それからの日本が失ってきたものの意味を、根底から問うた大冊。
1999年度和辻哲郎文化賞受賞。
第五章 「 雑多と充溢 」
モースの 「 目をくらませ心を奪 」 ったのは,、
街にひしめく人びとの多様さだったろう。
そしてその多様さはまた、生活の多様さと同義だったろう。
街路はたんに人が通りすぎるところではなかった。
授乳から行商人の呼び売りにいたるまで、
暮らしがそこで展開されいとなまれる場所であった。
物売り、修繕屋、遊行する芸人と宗教者などはこまかく分割された職分をもち、
その職分の専有を表示するものとして、
特有の衣装と道具を差異化していた。
彼らは、モースがボストンやニューヨークで見かけた近代の大衆、
統合整理され単純化された近代的諸職業・諸階級の表示としての大衆とは、
職分的個性の多様さとゆたかさにおいてまったく異なる存在だった。
街は多様であり活気がみなぎっていた。
フレイザーのいう 「 雑多と充溢 」 がそこにあった![]()
アーノルドとともに明治二十年代初頭の東京の街頭に立ってみよう。
四人の男の肩にかつがれた方形の白い箱がゆく。
死者が東京を見納めているのだ。
だが 「 あまり悲しい気分になる必要はない。
日本では誰も死ぬことを、
ひどく怖れたり嫌ったりすることはないのだから。
下駄屋、氷水屋で氷を削っている少女、鰻の揚物を売り歩く男、
遊びの最中の男の子と女の子、
坊さん、白い制服の警官、
かわいく敏捷なムスメが、
ちょっとばかり葬列を見やる。
だが彼らの笑いとおしゃべりは半分ぐらいしかやまない。
……街頭はこんどは人足たちで一杯になる。
材木を積んだ車を曳いているのだが、
紺のズボンをはいた年輩の女たちがあとから押している。
……あまいねり粉を文字や動物や龍の形に焼きあげる文字焼屋、
それに彼の仲間の、葦の茎を使って、
大麦のグルテンをねずみや兎や猿の形に吹きあげる飴屋 」 。
紙屑拾い、雀とり、小僧に薬箱をかつがせた医者、
易者、豆腐屋、砂絵描き、それにむろん按摩。
アーノルドの列挙する街頭の人びとの何と多彩なことだろう。
それぞれに生きる位置をささやかに確保し、
街を活気とよろこびで溢れさせる人びとなのだ![]()
彼に従って横町に入り、店の様子をみてみよう。
小さな店が一杯ある。
中でも目につくのは酒屋だ。
杉の小枝を目印にしている。
酒樽の文字と絵の華麗なこと。
指物職の店があり、下駄とわらじの店がある。
ランプ屋、瀬戸物屋、米屋、花屋、ブリキ屋、豆腐屋、仏具屋。
魚屋には巨大な貝、青や黄色のえび、蛸とするめ、
鰹節、鮭の燻製、いか、いりこ、海草、かき、あわび、
そしてあらゆる種類の魚が並んでいる。
最後に来るのは風呂屋だ。
明治十一年に新潟の町の店々に訪れたイザベラ・バードは、
「 〝 豪華な東洋 〟は少数の寺院を除いて、
日本の何物にも適用できる表現ではない 」 と言い、
店々の示すさまざまな業態に思わずひきこまれてゆく。
「 桶屋と籠屋は職人仕事の完璧な手際を示し、
何にでも応用の利く品々を並べている。
私は桶屋の前を通ると、必ず何か買いたくなってしまうのだ。
ありふれた桶が用材の慎重な選択と細部の仕上げと趣味への配慮によって、
一個の芸術品になっている。
籠細工はざっとしたのも精巧なのも、
洪水を防ぐために石を入れるのに使われる大きな竹籠から、
竹で編んだみごとな扇にくっつけられているキリギリスや蜘蛛や甲虫
―――こいつは目をあざむくほどうまく出来ていて、
思わず扇から払い落したくなるほどだ―――に至るまで、
ただただ驚異である。
店はおなじ種類のがいっしょに固まっている。
だからある通りでは、ほとんどおもちゃ屋しか目につかない。
おもちゃ屋には、
車とか風車とか水車に乗っている縫いぐるみや磁器の動物、
おもちゃの偶像とおもちゃの車、
羽根と羽子板、あらゆる種類の砂糖でできたおもちゃ、
あらゆるサイズの人形がそろっている。
ある短い通りはほとんど床屋ばかりだ。
別な通りは、
かつら、髷、かもじ、
女が自分の髪に器用に差しこむ黒髪のヘアピースを売っている店ばかり。
続く通りは、あらゆる種類のかんざしを売る店で一杯だ。
たいした値段はしない無地のしんちゅうや銀のかんざしから、
少なくとも八円ないし十二円はする、
鳥の群れや竹をみごとに彫りこんだ精巧なべっこうのかんざしまでそろっている。
数えてみたら117種類ものかんざしがあった!
」。![]()
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髷を結うためのかたい詰めものを売る店、
下駄屋、紙傘の店、日笠雨笠の店、
紙の雨合羽や包み紙の店、
人馬のためのわらじを売る店、
蓑や蓑笠の店、馬の荷鞍を売る店。
そして表通りには、
漆器店と仏具屋がある。
古着屋、扇屋、掛け物を売る店、屏風屋、羽織の紐を売る店、
ちりめんを売る店、手拭いの店、煙草道具の店、
筆だけ売る店、墨だけ売る店、硯箱しか売らない店、
そしてもちろん本屋もある。
「 紙を売る店の多いことといったら 」 。
火鉢だけ売っている店がある。お箸だけの店もある。
提灯屋、行燈屋、薬罐屋、裁縫箱の店、
台所用品の店、急須の店、酒屋。
瀬戸物屋はいたるところにある。
縄や麻紐を売っている店も多い。
食べ物屋はいつも混んでいる。
だが英国の大都市でのような騒々しさは見られない。
バードの記述でおどろかされるのは、
それぞれの店が特定の商品にいちじるしく特化していることだ。
細民のつつましく生きうる空間がここにあった![]()
それだけではない。
特定の一品種のみ商うというのは、
その商品に対する特殊な愛着と精通をはぐくむ。
商品はいわば人格化する。
商店主の人格は筆となり箸となり扇となって、
社会の総交通のなかに、満足と責任をともなう一定の地位を占める。
それが職分というものであった。
町の両側の店が開口をすべて開け放ち、
「 傘づくり、提灯づくり、団扇に絵を描く者、
印形屋、その他あらゆる手芸が、
明々と照る太陽の光の中で行われ 」 るのを見るのは、
「 怪奇な夢の様に思われ 」 るとモースはいう。
すなわち通りは、社会的生産あるいは創造の展示場だった。
人間のいとなみは多種多様な職分に分割され、
その職分の個性は手仕事と商品という目に見える形で街頭に展示された。
つまり人間の全社会的活動はひとつの回り燈籠となって、
街ゆく者の眼に映ったのである。
街は多彩、雑多、充溢そのものであった![]()
アーノルドは言う。
「 日本のもっとも貧しい家庭でさえ、醜いものは皆無だ。
お櫃からかんざしに至るまで、
すべての家庭用品や個人用品は多かれ少なかれ美しいし、うつりがよい 」 。
ありふれた家具がまるで宝石職人が仕上げたようだし、
畳は絹を織るように作られ、
桶や籠は象牙細工みたいだ。
そしてヒューブナーが要約する。
「 この国においては、ヨーロッパのいかなる国よりも、
芸術の享受・趣味が下層階級にまで行きわたっているのだ。
どんなにつつましい住居の屋根の下でも、
そういうことを示すものを見いだすことができる。
……ヨーロッパ人にとっては、
芸術は金に余裕のある裕福な人々の特権にすぎない。
ところが日本では、
芸術は万物の所有物なのだ 」 。
彼らが見たのは、
まさにひとつの文明の姿だったというべきだろう。
すなわちそれは、よき趣味という点で生活を楽しきものとする装置を、
ふんだんに備えた文明だったのである。
「 この国の魅力は下層階級の市井の生活にある。
……日常生活の隅々までありふれた品物を美しく飾る技術 」
にあるとチェンバレンが言うのは、
まさにこのことを指摘したものにほかならなかった![]()
『 逝きし世の面影 』
第1章 ある文明の幻影
第3章 簡素とゆたかさ
第4章 新和と礼節
第6章 労働と身体
第7章 自由と身分
第8章 裸体と性
第9章 女の位相
第10章 子どもの楽園
第11章 風景とコスモス
第12章 生類とコスモス
第13章 信仰と祭
第14章 心の垣根
世界が平和でありますように![]()
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