肉体ってのは一体なんだろう

人間ってのは一体なんなんだろう

私ってのはなんなんだろう

はたしてどんな存在なんだろうかと、
求道者は想いますね

求道者じゃない人でも、
その想いが表面に出てないだけで、
やっぱり心の奥では〝


無意識にも求め生きているわけです

不思議だね人間の人生ってのはッ





じゃあ人間ってのははたして一体何なのか
ここに sou っていう肉体があります
しかし私はこの肉体ってものを、
私だと想っていないんですね
映画館で映画が上映されている
過去に撮られたフィルムが、
スクリーンに投影されていますね
そういう風に観ているわけです
傍から観てるわけだ
この人生を
それは今〝 形 〟になって現われてきたことは、
すべて過去に発した想念エネルギーが、
環境として、経験として、肉体として、想いとして、感情として、
今になって現われてきたに過ぎないから
いや過ぎ去っている
この肉体と、
今の自分というものを、
離して観ながら生きているんです
現れの自分ってものを、
離してみている
過去が現われてきているに過ぎないから
いや過ぎ去っている
じゃあ自分ってものはどこにいる
天の〝 本心
〟の座から、
生命の源〝 source
〟から、
〝 無限の光
〟をこの宇宙全体に放っているわけです
〝 天の私
〟っていつも言うけれど、
天の私は形があるわけでも、
姿があるわけでもなくて、
〝 光一元
〟
どこまでも果てしなく広がっている光そのものなんです
光っていうか、光すらないというか
無理だねこれ言うのは(^^;
天の私と地の私
地の私はいつもいつもこの天の私の方に、
全託、任せてしまっている
そしていつかこの肉体のすべても、
〝 天の私
〟のような、
光一元になりたいと想って、
いつもいつもこの肉体をその光の中に投げ出して生きている
過去のフィルムが映されているんじゃなくて、
天の私がそのままこの体に写ってきているような、
そんな人になりたいと想って、
すべての感情、想念、人生、命を、
神様に投げ出して生きているわけです
全託だねッ
だから求道者なら、
天の私に全託するのが一番いいわけです
天の私って言ってもわかんないから、
その人を専属で守っている守護の神霊に、
全託するのが一番いいわけです
求道者じゃなくて、
ただ自分の人生を幸せにしたいと想うのなら、
守護の神霊に全託するのが一番いいわけです(^^
運命を、人生を全託
そうするとその人にとって、
一番いい道が開けてくるわけです
〝 天命
〟の道がね
→ 天使と共に歩む道 ←
自転車だって乗らないとわかんないでしょう?
最初は転んで大変かもしんないけれど、
周りにフォローしてくれる人たちがいますね
そして乗れたら、
もうそれは自分の感覚としてわかるでしょう
あぁこういうもんなんだって
その感覚を、人にどうやって伝えられる?
やっぱり乗らないとわかんないわけです
その本心に至る道を、
守護の天使たちに導かれながら、
今みんなが生きているわけなんです