〝 平安なんぢらに在れ 〟☆彡(●´ω`●)/☆彡☆彡 | source message

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人生は素晴らしい! 世界はこんなにも美しい!!









平安なんぢらに在れ







なんぢ我を見しによりて信じたり、





見ずして信ずる者は幸福(さいわい)なり









ヨハネ伝二〇章一 - 三一











神様事というものは、




肉体人間側の小智才覚では計り知れぬ、




先の先迄の深い見通しによって行なわれるので、




理論ずくめで考えても、




どうにもならぬことが非常に多いのです






なので、この生命の本体と分生命の間に、




イエス・キリストや聖者賢者が働いていらっしゃるのだから、




私共肉体側は、




そうした聖賢の指さす方向に、




日常茶飯事はそのままで、




進んでゆけばよいのです






その一番必要なことは、




人間にはそうした聖者賢者が、




神霊の体で常に我々を守りつづけて下さるので、




その方々に我々の運命はお任かせして、




ただひたすら、




神への感謝をつづけつつ、




与えられた場で生き生きと生きていればよいのだ、




ということです






イエス・キリストを信ずる者には、




イエス・キリストが、




釈尊を信ずる者には釈尊が、




法然を信ずる者には法然が、




その守護神となって、




その人を守りつづけて下さるのです







そこで私はすべてを含めて、





守護神、守護霊としてその加護に感謝することを教えているのです







イエスがトマスにいいますが、




全く、見ずして神の存在を信じ、




神の愛を信ずる者は幸福な人です






そこで、これは信じても信じなくても、




祖先への感謝はできるのですから、




祖先の悟った人が守護霊になっているのだから、




その守護霊様への感謝は抵抗なくできる筈です






日本人は、




祖先を慕う気持はどこの国の人より深いものが、




今でもあります






今は表面的には祖先を慕っているようにはみえませんが、




潜在的に祖先を慕い敬っているのです






キリスト教でも仏教でもよい、




日本人には日本人として、




しかも人類の一員としての、




信仰の在り方があるのです






各民族が、




各民族の特徴を生かして、




そして人類の進化のための働きをする、




ということが、




大事なのであり、




そのための各信仰なのであります






各信仰の奥義はすべて同じでありながら、




各民族によって、




通り道が異なるのだなあ、




と感じているのであります










『 聖書講義 』 より抜粋しました