太陰暦と太陽暦
日本では、聖徳太子の時代から明治天皇の時代まで、
日本人が知っていた唯一の暦は、太陰暦でした。
中国人や日本人、朝鮮人が使っていた太陰暦は、インド人やユダヤ人、イスラム人にも使われていました。
様々な暦がありますが、それはすべてひとつの太陰暦です。
空には一体、いくつ、月がありますか?
本質的にそれらは同じひとつの太陰暦なのです。
中国人は、自分たちの使っている太陰暦が4697年に始まったといいます。
アラブ人は、1420年前に自分たちのカレンダーが始まったといいます。
また、ユダヤ人は五千年以上前から自分たちの暦を使っているといいます。
これらは大した違いではありません。
なぜなら、空には月はひとつしかないのですから。
たとえば、アラブ人がモハダム(ムハッラム)と呼ぶものを、ユダヤ人がティシャレブ(ティシュリ)と
呼ぶように、毎月の月名には、各国で違った呼び名がついています。
でも、月にはそんなことは気にしません。
同じひとつの月なのです。
太陰暦は、それでいいのです。
月の満ち欠けで種蒔きの時期を計ったりするので、太陰暦自体は価値を持っています。
そんな太陰暦を差し置いてまで、私たちがグレゴリオ暦を使っているのはどうしてなのでしょうか?
太陰暦は、月の会合周期(朔望周期)を計っています。それは、新月から次の新月までの期間で、
29.5日という周期を持っています。
これは太陽年365日とは異なっています。
地球全体、また、地球の歴史、とりわけ人類の歴史全体を振り返ってみたときに、とても興味深い事実があります。
それは、旧世界と呼ばれるアジアとヨーロッパなどは、400年ほど前まで太陰暦を使っていました。
しかし、ひとつだけ例外があります。
それがグレゴリオ暦なのです。
グレゴリオ暦は太陰暦ではありません。
面白いことに、中国人や日本人は、一度も太陽暦を使ったことはありません。
太陽暦というのは、1年364日で計られる暦のことです。
太陽年というのは、地球が太陽のまわりを一年するのにかかる期間のことです。
興味深いことに、アジア人たちは太陰暦を採用したものの、太陽暦は採用しなかったのです。
それによって、世ーローー亜と中国では、異なった文明が発達したのではないかとホゼは考えています。
明治天皇がグレゴリオ暦を採用して、文明が急速に変化したのです。
グレゴリオ暦は偽りの太陽暦なのです。
あたかも太陽年を計っているように見せかけているカレンダーです。
また、うるう年があり、その結果、唯一正しい周期を持っていた2月を、4年ごとに28日ではなく
29日にしています。
グレゴリオ暦が偽りの太陽暦だという理由は、365日という日数こそ太陽年の尺度になっていますが、
毎月の日数は実際の自然周期とは何の関係もないからです。
また、もう一点、毎月の名前にも全く意味がありません。
たとえば、1月(January)は、ローマ神話の門の神様の名前です。それで、グレゴリウス法王は、
新年はその神様のところからはじめなければいけませんと言いました。
ユリウス暦では、今でいう、4月が新年になっていました。
また、4月(April)と5月(may)は、少し変わった神様の名前に由来しています。
3月(March)は、惑星の火星と戦争の神様(Mars)から取られています。
7月(July)と8月(August)はジュリアス・シーザーとアウグストゥスから名前がつけられています。
9月(September)から12月(December)までの最後の4ヶ月には、不適切な名前がつかれています。
9月には7番目の月という意味であり、同様に、10月は8番目の月、11月は9番目の月、12月は10番目の月という
名前が付けられています。このようなことを考えあわせてみると、グレゴリオ暦には何の理論性もなく、
不規則で頭を混乱させるだけのものだということがわかります。