ジョン・ケージ | サウンドプロダクション吟 ブログ

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どうも~内田で~す。







前回はシェーンベルクを語りましたが今日はこの人



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ジョン・ケージ。

1912年生まれ。、詩人であり、思想家であり、キノコ研究家でもあります。
前回書いたシェーンベルクに師事し、1934年から1937年にかけて南カリフォルニア大学の
シェーンベルクのクラスで学んだ。
初期はシェーンベルクに影響された音楽でしたが、1940年に、グランドピアノの弦に
異物(ゴム・木片・ボルトなど)を挟んで音色を打楽器的なものに変化させ
プリペアド・ピアノを考案しバッカナルで用いた。
このころからアイデア優先の音楽が増えていきます。
1951年、ハーバード大学で無響室を体験する。ケージは無響室に入ったときに体内からの
音を聴き、沈黙をつくろうとしてもできないこと、自分が死ぬまで音は鳴り、死後も鳴り
つづけるだろうと考えた。この体験は作風に大きな影響を与えたと言われています。
その後、偶然性を取り入れた音楽を始めます。貨幣を投げて音を決めた『易の音楽』
を作曲します。演奏や聴取の過程に偶然性が関与する不確定性の音楽へと進みます。
1952年にはかの有名な4分33秒を発表します。











人々は彼の事を20世紀最高の音楽家だ!と言う人も入れば


最大の詐欺者だという人もいます。





僕の見解では彼は立派な音楽家です。と同時に最大の戦犯だと思っています。



















僕は音楽は既に死んでいると思っている人間です。

その音楽を殺した犯人、トリガーを引いた人間がこの

ジョン・ケージだと思っています。









まぁFRANK ZAPPA的に言えば

音楽は死んじゃいない。ちょっと変な臭いがするだけさ。


腐るのも時間の問題なのかも知れないです。










つまり僕が考えるに今の音楽はもうやる事はやり尽くしてしまった。




もう斬新な音楽なんて新たに作れないのだ。



アイデアなんてのは先人が出し尽くしてしまっているのだ。




それでもなお、斬新な音楽だと思える音楽に出会ったと言う人は

単に音楽の歴史や音楽の知識そのものの絶対量が少ないだけだ。

Jazzを一度も聴いた事がない人が今Jazzを聴けばその人にとっては斬新だが、

Jazzそのものは当の昔に提示されている。Jazz特有のリズムであったり、

作り方、演奏方法、それらを現代風にリメイクする事位しか

悲しい事に僕ら作曲家はもう出来ないのだ。






クラシック音楽、和声からの呪縛から逃れるためにドビュッシーやシェーンベルクは


抗ったし、結果、現代音楽、無調音楽、実験音楽といったところまでいきついてしまった。




そこにケージが提示した4分33秒という作品は音楽という概念を覆す発送の転換だったのです。



つまり
音を使わない音楽。


ここにいきついてしまった以上これ以上の事は不可能なのだ。




言葉遊びかもしれないし現代アート的な芸術を気取った作品になるのかも知れない



しかし僕はこの発想の転換という意味でジョン・ケージという作曲家は偉大であったと


結論づける。




しかし同時に現代音楽の完全なる終焉を迎えたのだと感じている。




今の現代音楽は既存の概念にとらわれない新しい音楽を作る事から



奇抜で特異なものをやったもの勝ちの


くだらないものに成り下がってしまったのだ。




くだらない現代音楽の例をあげよう。





ジョージ・ブレクトの作品。

「フルート独奏」

フルートをバラバラに解体して、それを再び組み立てる。

「水滴の音楽(Drip Music)」

水滴を垂らす器と、空の容器がセットされ、水が空の容器に落ちる。





ナム・ジュン・パイクの作品。

「危険な音楽 第五番」

生きた雌の鯨のヴァギナをよじ登る。




小杉武久の作品
「ある革命のための音楽」

今から五年間、片方の目を抉り出しておきなさい。

五年経ったら、もう一つの目も同様にしなさい。







ジョンケージ以降の現代音楽というのは

自分が芸術だと称すればなんでも芸術になるとでも言うような


ある種勘違いした輩を生み出してしまった。







つまり現代音楽は既に死んでいるのだ。





むしろ大衆音楽である所のJ-Pop以下の存在にまでなってしまっているとも言える。



芸術と同じで俺の芸術的な作品がわからんのか!愚民どもと叫んでるのは作者だけで、


現代アートや現代音楽にもはや価値はない。支援団体がいなければ成立しない時点で


一般に価値を認めてもらえていないのと同じだ。









こういうアホなのは好きだけどね












ケージが引き金を引いて以降僕らのやっている事は延命治療にすぎない。


ケージの時代になかった音楽もあるだろうという人もいるだろうが


それは単に使用楽器などの違いでしかない。


細分化していけば構造上、和声があってハーモニーがあってという



ものなのだ。それをエレキで歪ませればロックになるし


16ビートにすればファンクにもなるし、スゥイング感を出せばJazzになるだけだ。











僕らクリエイターはこんな世界でどう生きていくべきなのか?


僕は答えが見つからない。