あの事故から24年。
私の人生の中でも、強く印象に残っている事故です。
この1985年8月12日の御巣鷹山日航機墜落事故と2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件を思い出し考える時、自分の当時のその日の日常と感情をハッキリ思い出せる程、深く記憶に刻まれています。
先日はDVDを借りて、クライマーズ・ハイを観ました。
どのような事象にも様々な人々が関わり、どの人にとっても大きな影響を受けることであったりするのですが、当事者であるが故の苦悩はやはり想像を絶します。
同時に8月は日本にとって平和を考える大切な月。
1945年8月6日午前8時15分、人類史上最初の原子爆弾が、広島 に投下されました。
1945年8月9日午前11時2分、長崎 の空が白く輝き、時計の針が止まりました。
そして、8月15日終戦を迎えます。
多くの本当に多くの犠牲者を出したまま。
私が戦争を怖いと想った瞬間は、ちょっと変な角度からでした。
小学生の頃、毎年夏には白黒の戦争写真や本などを見る機会がありました。
そこに写っている物が、あまりにも想像を絶していたため、ショックと感じるには時間がかかりました。
そのショックをリアルに感じたきっかけ・・・。
それまで私は漠然と、1945年という時代は白黒写真しかないんだと思っていました。
だから私にとって戦争時の状況を納めた写真の映像は白黒のままでした。
たまに美術や社会科の教科書に当時の様子を絵で描いたもの(カラー)が載っていましたが、それでも私にとっては白黒でした。
そして心の片隅では、カラー写真がなくて良かった。と、思っていたのかも知れません。
しかし、ある時、偶然1945年前後の写真(戦争の写真ではないもの)でカラー写真になったものを見たのです。
日本のものか、海外のものか、合成や新しい技術によって復元をしたものかは分かりませんし、覚えていません。
しかし、その時代にカラー写真が存在したかも知れない事実は、私に大きな変化を与えました。
今まで白黒でしかなかった当時の写真に、突然色が付いたように感じたのです。
皮膚は肌色で、血は赤で、焼けたものは黒・・・。
そして、この見たこともない体の状態は何色になっていたのだろうか・・・
空の色は青かったのだろうか、黒かったのか、赤かったのか・・・
そう考えたらとっても怖くなりました。
なんて恐ろしい・・・。と。
何年か経過して、そう思えたり恐怖を感じられたりしたのも、毎年夏には戦争を考える機会があったからだと思います。
私にとって8月は多くの方々が亡くなってしまったことを考える月でした。
しかし、2007年からは私にとって、聡太郎という命が誕生した大切な月になりました。
命の大切さや重さや感動や、子どもの存在の全てを教えてくれた聡太郎。
生きることと死ぬことと
多くのことを考えます。
目を背けることでもなく、
自然に、普通に、日常で
生きているから、いつの日にか死の瞬間が来ることを
考えられたらと思います。
多くの方々のご冥福を祈っています。