7月26日の産経新聞のネットニュ-スで
内閣府 は25日、裁判員制度 に関する世論調査結果を発表した。裁判員 候補者として呼ばれた場合、「義務だとしても行くつもりはない」と答えた人が25.9 %に上った。一方、「義務であるか否かにかかわらず行きたい」の積極派は13.6 %、「義務だからなるべく行かなければならない」が57.9 %だった。国民の間に裁判員 への抵抗感が依然、根強いことをうかがわせた。
と、ありました。
また、7月28日には死刑執行のニュースが流れていました。
以前のブログに裁判員制度のことを書きました。
http://ameblo.jp/sounami/entry-10210634574.html
その時に、ある方から「被害者のために、被害者遺族のために、勇気をもって決断して下さい。」というお話を頂きました。
また、以前から気になっていた方の本が出版されました。
本村さんが事件を語る姿をニュースで見るたびに、本のタイトルそのままに「なぜ君は絶望と闘えたのか」ということを思っていました。
まっすぐな視線でマスコミと向き合う姿、言葉に表れる全てに信念のような、またはそれ以上の気持ちを感じました。
マスコミを通じて自分の胸に届いていた言葉の背景を改めて文字で読み、まとめられた文章と知らなかった事実は心に痛く届きました。
辛くても、現実から目を背けないことが大切だと感じます。
読み進めて、辛くて読めなくなりそうになりました。
しかし、受け止めなければいけない問題。
他者でさえもこんなに辛く感じるのだから、ご本人にとっては壮絶であったと思います。
本を読み進める中で多くの思いが交錯しましたが、1番印象に残った最後の方での少年の言葉。
「一人殺しても、僕はいろんな人の命を奪ったのだから、死刑に値すると思っています」
その言葉の前には、命の意味が語られています。
一人の命には、お父さんとお母さんがいて、そのそれぞれにおじいちゃんとおばあちゃんがいる。それぞれの思い、それぞれの命を奪ったということ。
一人の命とは、多くの人にとっての大切な命だということ。
命の重み。
本村さんの言葉や思いは簡単には語れないので、やはり本を読んで頂くしかないのですが、裁判員制度が行われる中で、死刑や遺族の気持ちのことなど考えるきっかけになる一冊かと思います。