私の頭にパニックが到来している。ひとつずつ整理していきたい。

まずは先日の同期会だ。様々なことが見て取れたし、今後の仲間も確認が取れた。話せる人はかなり多く、安心している場合などないがこれはひとつの安心材料となった。

次に卒業の決定。これ自体は喜ぶべきことであり、ただそれだけのことだが卒業式その他手続きのことを考えると時間やお金のことについて考えねばならない。

次は4月からの生活について。家電や家具の算段が付きつつあるが今度は実際に入居してから必要なものの計算を行う。これは今日から取りかかるが、余った資金の中から必ず使うものを選び出さなくては。

次にあの人と出掛ける話。出掛ける以前に遊んでいるなと言われてしまう可能性をどう説明するか。そして実際にどう効率良く立ち振る舞うかも自分としては検討内容のひとつだ。

さらに来る5日の送別会。私も参加する運びになったが、どのようにして進めるか。お世話になった先輩が主役であるため無礼な行動は許されない。体力的、精神的にここで消耗が大きいと次の週以降に負担がかかる可能性がある。

これを踏まえた上で最後にのし掛かるのが資金不足への不安だ。様々なことに資金を向けようと画策してきた。だがしかしこのままでは負担が限度を越えてしまう。これでは生活どころではなくなってしまうのだ。

だが、現状を見る限り予算を切り崩そうにも切り分ける部分が存在しない。いっぱいいっぱいの中でやっている。これをなんとするか。

これは私の問題だ。誰のものでもない。助けの手が借りられるのも途中まで。結局は決断を下すのは私だ。

だからこそ、欲張りたいとも思う。決定権を持つことができるというのはそれを許されることでもある。責任が伴う分、自由度も高いというわけなのだ。

そして、だからこそ悩むともいえる。最大限の利益を望めばあちらこちらから批難を受けねばならない。お叱りも受ける。叩かれることなど当たり前だ。

それを前にしてそれでもやる価値のあることか、あるいはそうでないのか。考えなくてはならない。しかも今回は複数の案件を同時に抱える運びとなった。

私がどうあっても決断しなければならない。決断できるのは私だけなのだ。こういう時こそ自分の信じるように進むべきだ。そう思うのだ。ただ、熟慮せよ、熟考せよと言い聞かせながら。
3月最初の更新がちょうど120回とはなかなかきりがいい。

昨日は同期会であった。パーティーピープルでない私はやはり戸惑うのであるが、何とか乗りきった。乗りきったという表現が正に似合うのが私である。

その場を無難にしのぐことができればよし。特に目立とうとは思っていない。しかし、景品をゲットしやすいという天賦の才はまたもや発揮されてしまった。景品はあくまで景品で、なくてもよいのだがせっかくなのでもらっておく。

どうやら本拠地周辺の配属がかなり多いようだ。必ず遠くに行くという流れに見えたが、どちらかというと埼玉の人間が半々で遠くと近くに行き、残りは埼玉に行く人が多いために遠くに行く人が多く見えたようだ。

しかし、これは心強い。周辺に仲間がいるのであれば遊んだり、相談をしたりするのに事欠かない。地元の仲間も周辺に暮らしているがさすがに仕事の話はできないから、これは大きい。

しかしまずは自分の生計を立てていくことが先決だ。浮かれずに今後のことを考えたい。遊ぶのはその先のおまけと取るべきであろう。

今日は大事なイベントがある。卒業発表だ。まずあり得ないと思っているが、卒業しなくては今までの行動全てが無駄になる。そうなることだけは御免だから、画面を見て卒業が決定していることを祈りたい。もし駄目なら再試験を受けるわけだが、そこでは何としてもやらなければならない。

何度も言うが、まずそれはない。決まっているはずだ。だが、念には念を入れて…いや、入れた所で結果は決まっているのであって念を入れるなら勉強すべきということだろう。それはまた追って考える。

卒業が決まったら今日は仕事の勉強をして一日を終えよう。バイトがあるが、まあ問題ないだろう。

今は休む時だ。久々の酒は少し腹でたぷたぷとする。
明日は同期会が開催される。今後は仲間となる人々である。友好な関係が結ばれることを期待する。特にこの中には同じ場所に配属になった人もいるのでそういった人たちと情報交換をしておきたい。

とはいっても、実は自分が情報を吐き出して終わりになりそうな気がして仕方がない。自分が額に汗して拾ってきた情報を金に仲良くしていただくといった構図である。同期の人たちがそういった人たちではないので安心しているが、社会に出たら出来るだけ対等に話せる環境作りをしたいものである。

よい関係とは何であろうか。いかにして作るものであろうか。私は喧嘩をしても信頼できるような関係だと思っている。普段からニコニコしていて意見がぶつかってもどちらかが引くような関係は嘘だと思う。もちろんお互いが同意して譲り合うならともかく、自分の意見があるのにどちらかを優先するのは違うと思うのである。

昔からそういった関係を求めてきたが、あまり多くの理解を得られなかった。自分としてもある程度この姿勢を変えなければならないだろうが、基本は変えるつもりはない。やはり困った時に助け合えるのは家族や近くの友人であるからだ。

最後の最後に頼れるものの数で人は生きたり死んだりする。それは金よりも大切な時がある。いくら金がなくてもその人が信頼に足るとあれば出資を受けることができるだろうし、寝床も提供される。そしていつの日か成功を収めて出資者に返金することもできるだろう。

私は今、信頼がない。一番下の使い走りであり、どんな成績も残していない。社会に出たことがなく、礼儀作法も分かっていない。そんな人間がこれからやるのは学ぶことだ。どんなことでも学ぶ。それから全ては始まる。

また明日、学ぶ機会が訪れる。しっかりと信頼関係を結びたいと思う。