ようやっと会が終わって寝床に辿り着いた。それにしても厳しい会であった。

そもそも会合というとまとめ役か、裏方に回ることが多いわけだが何につけても緊張の糸が途切れられないプレッシャーがやってくる。

今回はあの人が空気を乱したということだ。周りは大人であるから苦笑いで済んでいるが、こうした役割を担っている私が同じことをしたらその集まりは怒号が飛び交うだろう。

私は誰かに依頼されてその役割をしているわけではない。それはそう、何となくそういった星の下に生まれてきたものの運命というやつでどこにいても暗にその役割が回ってくるのだ。

だからただの馬鹿になって会に参加したことはない。したいとも思わない。常に周りの人の顔色や微妙な心境の変化を読み取ろうとする。

今回の場合で言えば私が歌った辺りから巧く歌おうとする人が増えていったように思う。それは結果としてバラードを増長、スローテンポは沈んだ形での会の終焉に繋がった。

私はそんな小さなことにも責任を感じてしまう一人だ。だが一方で自分の存在を誇示するように歌っていた人がいたことでさらに、というかかなり空気を悪くした。

ある程度は場が許してくれる。しかし、それ以上は場に甘えてはいけないのだ。場に合った歌を歌うのも会合でのひとつの礼儀といえる。

バカな歌を歌っていい人もいる。一方で聴かせる歌を歌わなければならない人もいる。その全てがあって会を構成するのだ。

はっきり言って、これは私の持論だ。だから自分の好きな歌を歌って何が悪いと言われれば返す言葉もない。しかし、ではあのまま好きに歌っていて良かったのかと言われればそうではないと思う人が多いはずだ。

人には個人の空間と他者と共存する空間がある。公私という言葉は正にそれだ。カラオケに限った話ではない。公の場においてそれは正しかったか。いや、正しくないはずだ。

私は今年から社会に出る。このような初歩的な間違いだけは犯したくないところだ。
段々と更新に間ができている。疲れもあるが、どちらかといえば考えることが多すぎてこちらに手が回らない。

先日、久々に嬉しいニュースがあった。また一歩を踏み出せたと思う。これからはまた新しい気持ちで頑張っていきたい。

しかし、連絡が来ない。そろそろ配属先から連絡が来てもいい頃だが。早いうちに住む場所について分からない限り手の打ちようがない。例えば家電の購入に影響してくる。ひとつ買わなくなるだけでかなりの出費減となるだけにそれが分かるか分からないかでは大きいのだ。

寮とあったが、それが本当に寮なのかあるいはそうではなくて借り上げ社宅のような形になっているのか。それで住む感覚というのも変わってくる。隣人に挨拶するだけでなく寮長にも挨拶の品を用意する必要があるなど様々な出費にも関わる。

何とか早く内容を見せてほしいものだ。そして質問しなければならない。

今日はアルバイト先での集まりがある。四年間お世話になった場所だ。最後に何かできればと思っている。と、言いながら今の今まで布団の中だが。

全くもって自身の行動力のなさには辟易する。このまま社会人になったらと思うと恐ろしい。

さて、アルバイト前に一眠りするか。
このまま続けて行ったらタイトル欄に入らなくなるくらい書くのではないか、と思ったのは内緒である。

やはり昨日も翌月の生活費について考えていた。交際費(予備費)にいくら残せるのかが最大の焦点であった。正直3万円は残しておきたい。給料が入ってくる再来月からはまったく問題なく回していけることになっているが、来月に関してはまだそれがないということになるため問題になった。

計算していると何かがおかしい。10万円の手持ちで計算してギリギリになってしまう。生活費を払い終えたら手元に1万円しか残らない。これで飲み会などに参加したらゼロである。これはどうしたか。

狂いが生じたとバイト中も悶々とし、いかにして1日千円以下に抑えるかなどと考えていたところ家に帰って風呂に浸かって思い出した。


そうだ、3月の給料がまだではないか。


そう、2月分の給料はまだ今月入ってきていない。3月分の給料は4月になって取りに行くことが頭に入っていたため覚えていたがこれは盲点であった。

これで手元には10万円以上の資金が残り、仕事を始めてからの給料から社会保険費等を差し引いた金に近付く。つまりはある程度貯金ができるほどになった。

これならば一応破綻の可能性はなくなった。後はいかに効率良く運用できるか。これは正に私の力にかかっている。そうなればなかなかに楽しい。今後の生活の余裕を作るも殺すも私次第なのである。自分の人生であるからどうするも自由にできる。もちろん決まった枠の中ではあるが、贅沢もすれば恩返しにも使える。

そうした先に家庭を築き、真っ当な障害を終えられるならこれ以上の幸せはない。私は、それを目指そうと思う。

何も特別でなくていい。特別な個人ではありたいと思うが、生活まで特別でなくていい。普通に生き、普通に死ぬ。それを目指して最初の一歩を踏み出すのだ。