段々と携帯から書く方が楽になってきた自分がいる。やはり新しいパソコンのキーは打ちづらい。

Wi-Fiの設定をしていた昨日。ようやっと設定が完了した。前回は3日以上かかっていたが今回は2日で完成したあたり自分の成長がうかがえる。しかし安物は説明が少なくて駄目だ。

今日は久々にWi-Fiを使って遊ぼうかと思っている。最近は色々と考え込むことが多く、休めていなかった。来週もイベントがあるわけだが今は家でゆっくりするとする。

転居まであと二週間と少し。何があるかは分からないが今は楽しみでいる。どうなるかなんて誰にも分からないのだからガチガチに考えていたってどうにもならないだろう。

これからストレスに思うことなんて山ほどあるのだ。それに比べたら大したことなどないし、仕事をすることで社会的な責任を果たせるのならこれほどありがたいことはないんだ。私は苦しんでここまで来たから、それがよく分かっている。

働くことの意味。働かせていただくことの意味。

もしかしたら同級生の中でもあまりいないタイプの就職であるから、その意味合いは大きいかもしれない。とにかく、今はとても幸せなのだ。

困ったら手を差し伸べてくれる人がいる。それが何より幸せだ。一人で戦うしかなかったあの日々に比べればなんてことはない。分からなければ聞けばいい。分からないのが当たり前と思われているんだから。

確かにそれに甘えていてはいけない。だけれど、分からないものは分からない。これから覚えていくんだから、ちゃんとやればいい。

生活なんてしっかりしたものはできないだろう。できないけれど一生懸命やって、ダメならできたもので我慢する。自分のことなんだから、自分が我慢すればいい。我慢したくなかったら勉強すればいい。

そのどれもが自分でやるしかないし、自分でやっていい。楽だけど苦しい。そういうものなのだ。

今日も晴れた空の、その下の屋根のそのまた下にてパソコンのキーボードを打っている。まだ考え残した部分はないか。見落としている部分はないか考えている。もうかなり考え尽くしたとは思っている。しかし、私の経験上、こういう時にこそ何か見落としがあるものだ。だから不毛に見えるような今の時間を過ごしている。


現地に行ってからの方が忙しいことに気付いた。先に準備している方が物量を買う分忙しく見えるが、実は何も分からない土地で探しものをすることの方が労力が大きいと思った。先月、現地にて寮の場所を探そうと歩き回ったが範囲がそれほどでもないにも関わらず大変な疲労がのしかかった。


その結果様々なことが分かったが、新しい場所を開拓することには多大な力を必要とするということを身をもって知った。


私は分からないことばかりである。だからミスもたくさんするし、その前に人に聞くようになってきた。しかしそのひとつひとつは失敗とまでは行かない。それが次の糧になっているのは間違いないからだ。


これから頭がパニックになるくらい別の文化を自分に結びつけなければならない。当然混乱もするだろう。だがどうか。どちらにしても働くということは新しい文化を受け入れることだ。だとすれば、大して脅威に感じる必要もないのではないか。むしろ、最初から決心を持って飛び込める分、怖さがないのではないか。


私がここに配属された理由が分かった気がする。要は未熟なのだ。精神的な面で。


だから自立を促すための遠方配属。実際に仕事だけではなく、慣れない環境、慣れない仕事に対面することで、人間的な根本の力を養おうというのだ。もちろん、私が働くことになっている病院は街の中心部にあることから忙しいという言葉では表しきれない混雑、混乱が予想されることからも分かるように仕事の経験を積むにもとても良い環境にある。


必要なのは、仕事の知識でも、生活力でも、世渡りの巧さでもない。それらのストレスに耐えうる精神力。それらを跳ね返す逆境への強さ。これに尽きるのではないか。


もちろん上記の能力もあった方がいいに決まっている。ただ、最低限これだけは持っていてほしい、そういうものが精神力であったのではないか。


だから、私は選ばれた。二年間の就職活動はこれ以上ないストレスだった。しかしそれでも乗り越えてきた。その精神力が買われたのだ。


私個人のことをどう思われているかは知らないが、仕事の面でのそういった評価、期待には応えねばなるまい。


どんなことがあっても、食らい付いて、引き千切るくらい噛み付いて、吠えまくってやる。

また遅い時間に起きてしまった。実に情けない、というかもったいない。やるべきことはいくらでも作れるはずだ。まだ向こうに行くまでの間にやっておこうと思っている勉強量には達していない。そうしたことだって身近にあるというのにできていない。ただ、時間は過ごしているだけだ。


そのままだって大して変わりはしないのかもしれない。だが、じゃあそのままでいいという理由になり得るか。そうではないだろう。


まだまだやれるはずだ。にも関わらずここに止まっている。だからいつまでも成長しきれないのだと思う。そういう意味では今回の親元を離れる展開には感謝をしている。いつまでも万能なあの人たちに守られていては何もできない。


私は何もしてこなかった。だから、何も分からない。事前に教えてもらって何かができることは私が成したことではない。実際にノーヒントでやって、失敗もして、そして学んだ結果自分のやり方でやって初めて自分が成したといえる。


私にそういう経験があったかと言えば、正直少ない。確かに周りの人がしたこともないことをやったこともあるが、それだけでは心許ない。私はもっと何かを成すべきだ。そして経験を積まなければならない。仕事という意味で言えばそれは今後のキャリアにも関わってくることだといえる。良い立場に立てばそれ相応の収入が手に入る。そうすれば生活はより楽になる。生活が楽になれば心の余裕もできるし、親にも楽をさせられる。仕事では自由はないかもしれないが、少なくとも個人の金銭的不自由は解消されるというわけだ。


私はもっと必死にならなければならない。今までは何とかなるだろうというところがあった。もちろんそれくらい大きく構えることは大事だ。だが、やるときにやれないのでは違う。全力を傾ける時にできていないことが最近出てきたように思う。今日の起床などもひとつだ。まるで緊張感がない。


まだ学生の身分であることは間違いない。それまでの就職活動の苦戦を考えれば休息の時間と捉えるのも悪くない。だが、既にライバルの存在がある。同期や、現在も働いている先輩方もライバルなのである。


野球をしているときは先輩の存在はレギュラーであり、それを押しのけるのはできたとしてもあくまでたまたま能力が上回っただけで、チームという面でいえば下級生たる私の存在はレギュラーとは言いがたかった。しかし、実社会ではそのような悠長なことを言っていられない。どんな人でも一生懸命働いて給料を上げようと願っている。そうでない人もいるが、そういう人は自らその地に安住しているのであり、この話には関係ない。


上に行こうという人は常に努力している。では、私はどうか。できているとはいえない。もちろんそういった人たちも24時間365日休まず動いているわけではない。だから逆転のチャンスはあるわけだが、私は自分の立場に甘えてはいないか。


現地に行ってからでもいい。もう甘えは許されない。社会に出た良識ある一人の人間という扱いを受けるのであるから、もう少し引き締めていかねばならない。