昨日は一応休養を取るという形にした。かなり疲労が溜まっていたようだ。主に心労であるが。

体力的にはあまり問題ない。強いて言えば花粉症が始まったくらいのものか。今年も2月から始まってきた。鼻炎薬が手放せなくなるのは必死だろう。

近年の花粉症は2月~4月、さらには5月頭までかかっていることがあり、1ヶ月我慢すればとは行かない。少ない手持ち金から薬代を捻出することも考えると頭の痛い所だ。

もうすぐ3月。やり残したことがないよう準備を進めて行く。やれる限りのことをやった。もう心配ないという状態を目指して日々検討を重ねる。
私の見立てはそう大きく外さなかったようだ。現状では予算内に収まる。これは普段の質素倹約ぶりが実生活に生かされた事例になるだろう。どれだけ生活レベルを落とそうとも何不自由なく生活できる。いや、その落差を悪しとしない鈍感さが何よりの効果であろう。

必要とあらば飯を抜くこともいとわない私だ。当然家電においてもある程度の部分で妥協は可能だ。完全に財布の紐を絞めるわけではないのがポイントだ。ある程度で満足をする。

こうした考え方はこの不況に生まれた人間の常態的なものかもしれない。少し前に「プチラグジュアリー」という言葉が流行ったように限られた範囲で満足、贅沢をするというものが最高の買い物であるという思想がある。もちろん費用に対していい効果が望めるならこれ以上ない買い物であって誰もが殺到するわけだが。

しかしそれはある面で今も消費に影を落とす要因になっている。費用対効果を謳いながら事実は詐取に走るような者、無理をして値下げ競争をする者、他者の作成したものを無断で転用することで安く利益を得る者。

一方で本当にいいものは情報化社会の中で限られた人たちの間での機密情報になった。あちこちにアンテナを立てていた者だけが得をし、後はガセやばったものをつかまされる。

かつてはそれでもばれなければ問題がなかった。だが、今は違う。正直にやらなければいつか分かって大打撃を被る。それも立ち直れないほどの。

それは人間個人にとってもそういう時代になってきたと思う。生活の中にある選択の瞬間に自分に厳しくあった者は後々いい結果が出るようになっている。まだ救いはあると考えるべきか。

私は必ずしも完全潔白であるつもりもないが、人に後ろ指指されるような汚さは持たないようにする。それはこれから先もそのつもりだ。
今日は家電を見に行く。昨日はかなりの距離を歩いて様々な物を見てきた。私はこれだけの生活品を見たのは初めてで、かなり勉強になった。

私には生活力がない。食事は作れないし、掃除は適当。洗濯はどれがどれと一緒に洗ってはいけないのか分からない。だからこそ、とにかく見聞するしかない。そうやって経験するしかない。

ようやっと少しずつ前に進みつつある。とにかくやらなければならない。無茶振りも多々あることだろうが、それをうまくかわしてきた私の力は健在だ。どんどんやっていく。

昨日の話を忘れてはならない。

私は家を背負っている。だからこそ、責任ある行動を取れ、と。

背負い込んでも仕方のないことだ。だが、よく踏まえた上で行動しなければならない。つまり、迂闊に何かをするようではいけないのだ。

思いきりと無謀は違う。この差をしっかり見据えてやるしかないだろう。

思いきりよく。

しかし無謀ではない決断力。

新しい課題が増えた。