アリーサつながり、デイヴィッド・リッツとマシュー・ジョーダン・スミス面会 | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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アリーサつながり、デイヴィッド・リッツとマシュー・ジョーダン・スミス面会

 

【David Ritz Meets Matthew Jordan Smith Through Aretha Franklin】

 

 

アリーサ。

 

2023年3月にクラウドファンディングで製作資金を集めたアリーサ・フランクリンの写真集『アリーサ・クール』が2024年3月無事完成、出版したセレブリティー写真家マシュー・ジョーダンとデイヴィッド・リッツの面会を設定した。

 

マシューが写真集をデイヴィッドにプレゼント、デイヴィッドがマシューが持参したデイヴィッド著作『アリーサ・フランクリン:リスペクト』を持参し、お互い、サインをしあった。

 

デイヴィッドはさすがにジャーナリスト。会うなり、矢継ぎ早にマシューに「どうやって写真家になったのか」「アリーサの撮影はどのようにして始まったのか」「有名人撮影が主なのか、広告が主なのか」など尋ねた。

 

その合間に、自分のことも話した。ニューヨークに生まれ、そこでブラック・ミュージックに出会い、その後父親の仕事の関係でテキサスに行ったときに何人かのブルーズ・ミュージシャンと出会い、さらにブラック・ミュージックに興味が広がった話などをした。こんな感じだ。

 

 

マシューは1963年ニューヨーク生まれ。サウス・キャロライナ州コロンビアで育った。デイヴィッドはそれを受けて、自分は1943年生まれ、マシューとは20歳違い。1954年-1955年(デイヴィッドが11~12歳くらい)に、父親の仕事の関係(セールスマン)でサウス・キャロライナ州チャールストンに引っ越した。つまり、2人は時代は違うが、ニューヨーク→サウス・キャロライナという点でちょっと似ていた。

 

その頃は人種差別が激しかった。「あれは、僕にとってカルチャーショックだった。父はリベラルで特に黒人に対して否定的ではなかった。僕がバスにのると、黒人は親しげに声をかけてきたので、普通にしゃべっていた。だがそれを見てバスの運転手は怪訝そうな顔をして『なんだこいつは』という感じで対応された。それが子供ながらにまったく理解できなかった。(ニューヨークで)『バードランド』に(父親に連れられて)行って、そこのブラック・ミュージシャンを見たり、ブルックリン・ドジャースのジャッキー・ロビンソンが大活躍していて、黒人は僕からみると、なんでも優れていると思っていた、すごく自然にそう思った。それがすごい人種差別が(サウス・キャロライナで)あったからね。自分が好きな文化が否定されてるような感じがした。一方、その後、1955年頃、テキサス州ダラスに引っ越すんだが、そこはもう少しマイルドだった。ニューヨークではマイルス、モンクなどを聴いてたが、そこではフレディー・キング、BBキング、アルバート・コリンズ、などなどのブルーズ・アーティストと出会った。」

 

 

マシューはニューヨークに生まれ、サウスキャロライナで育ち、21歳の頃、ニューヨークに戻った。キャリアを始め、どうやって写真家としてスタートしたかというデイヴィッドの問いにマシューは「最初はエディトリアルだったが、徐々にファッション、ビューティー方面の写真を撮るようになった。それから表紙なんかも撮影するようになった。表紙になると、けっこういわゆる有名人(セレブリティ)を撮るようになった。以後は雪だるま式に増えていった。エッセンス誌が一番大きかった。」

 

「ということは、(編集者の)スーザン・テイラー、(アートディレクターの)ミッキー・テイラーなどもよく知ってる?」 「もちろん、いまでももちろんよくしゃべるよ」

 

デイヴィッド。「スーザンは、ジャネットが『コントロール』を出したとき連絡してきて、スーザンが(僕が住んでる)LAにやってきて、ジャネットと会わせてくれた。以後、たくさんの記事を書いた」

 

マシュー。「スーザンもミッキーもすばらしい」

 

デイヴィッド。「スーザンはしばらく前に辞めたよね」

 

マシュー。「スーザンも辞め、他の人たちもいなくなり、雑誌はずいぶん変わってしまった。スーザンがいた頃のエッセンスは、『雑誌のゴールデン・エージ』だったね」

 

どうたってアリーサの本を作ることになったのか。

 

マシュー。「2001年に50人の有名人を撮るという写真集『セピア・ドリームス』を出した。すると、(アリーサの)マネージャーから連絡があった」

 

デイヴィッド。「グエンか?」

 

マシュー。「そうだ、グエンだ。とてもよく知ってる。しょっちゅう話てるよ」

 

デイヴィッド。「最近話してないので、東京で一緒にグリーンティーを飲んだって伝えてくれ」

 

マシュー。「もちろん。アリーサがその『セピア・ドリームス』を見て、僕に連絡してきた」

 

デイヴィッド。「じゃあ、アリーサ撮影で、最初はデトロイトに行ったのか? 忘れたが、ジューイッシュバーブス、それかブーンフィールド・ヒルズの家か?」

 

マシュー。「そうだ。ブーンフィールドだった。」

 

デイヴィッド。「低層の建物で、洗濯物が干してあって、リムジンが止まってる、あの家か」

 

マシュー。「そうだ。よく知ってるね(笑)」

 

デイヴィッド。「知ってるよ、2年は通ったからなあ」

 

マシュー。「あなたが書いた彼女の本~」

 

デイヴィッド。「どっちだ? 2冊目か。アリーサの本を書けたことはどちらも感謝している。」

 

マシュー。「2冊目は、これは本物だと思った」

 

デイヴィッド。「それはありがとう。僕のアリーサ本の歴史は、僕がレイ・チャールズの本を作っていた1976年、77年くらいから始まってるんだ。ドロシー・パヴィリオンでアリーサがライヴをやってその楽屋で初めて会った。『お会いできて光栄です。いつかあなたの本を作りたいと思ってるんです』と告げた。その後、僕はマーヴィンやスモーキーの本を出した。キャロリンにもインタヴューして、1インチずつ彼女に近づいていった。何度も手紙を書いたが、なしのつぶてだった。その後ジェリー・ウェクスラーの本も書いた。手紙は、80年代、90年代ずっと書き続けた。あるとき、デトロイトに行ってた時に、突然電話がかかってきた。最初のコンタクトから25年以上経っていた。電話ではありったけのことを話したが、電話は月曜にかかってきて、水曜に自宅に来てくれという。大変興奮して、火曜には僕はアリーサに話すことをリハーサルしたほどだった。その時点で僕は、レイ、マーヴィン、スモーキーの本を出していた。彼らの本を出すことはまるで夢のようだったが、アリーサは別格だった。そして、優しく、ていねいに本の狙いや企画を説明した。そして、最初の30ページほどのサンプルを提出した。すると、ちょっとやり直してくれないか、と。また書いた。またやり直し。また書いて、やり直しの指示。しかし、その頃になると、僕は彼女が言ったことをほぼ正確にそのまま書き起こしていたんだ。彼女がそれでも「それがひどい」っていうんだな。そんなやりとりが何年も続いた。文学的な声というものを文字に起こすということは、そういうことなんだが、それがわかってもらえなかったようだ。僕は細かいところは目をつぶって、書き直しをした。」

 

(この項、続く)

 

最初に出たデイヴィッドの「骨抜きアリーサ本」

Aretha: From These Roots ハードカバー – 1999/11/1

英語版  Aretha Franklin (著), David Ritz (著)

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その後、15年経って、デイヴィッドがアリーサの検閲なしでリリースした伝記本

Respect: The Life of Aretha Franklin (English Edition) Kindle版キンドル版 \1584

英語版  David Ritz (著)

2014/10/28

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ハードカヴァー \2639

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同書日本語版

アレサ・フランクリン リスペクト 単行本 – 2016/1/29

デイヴィッド・リッツ (著), 新井 崇嗣 (翻訳) \5219より(中古本)

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マシュー・ジョーダン・スミスの写真集『アリーサ・クール』

 

https://www.matthewjordansmith.com/books

 

https://arethacool.com/

 

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デラックス・リミテッド版 (\125,157) ($750.00 + free shipping) @\167/$

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ENT>Author> Ritz, David>Jordan Smith, Matthew

ENT>Franklin, Aretha