クライヴ・デイヴィスから「アット・ディス・モーメント」のホイットニーへの売り込みを断られた手紙 | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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クライヴ・デイヴィスから「アット・ディス・モーメント」のホイットニーへの売り込みを断られた手紙

 

【Billy Vera Revealed Clive Davis’s Rejection Letter To “At This Moment”】

 

お断り。

 

ヴェテラン・ミュージック・マン、シンガー、音楽ヒストリアンでもあるビリー・ヴェラが2023年4月4日の元アリスタ・レコーズ社長クライヴ・デイヴィスの誕生日にあてて、「ハッピー・バースデイ」のメッセージとともに、1986年3月31日付けのクライヴから、ビリーへの手紙を公開した。

 

これは、ビリー・ヴェラが書いた楽曲「アット・ディス・モーメント」をホイットニー・ヒューストン向けに売り込んだことへの返答で、「残念ながら、この楽曲は平均的で、ホイットニーにとってのヒットとはなりえないと考えます。また、別の楽曲をいつでもお送りください」とクライヴは返信している。

 

 

この曲はこれよりさらに数年前にビリーが書き、本人名義の歌で1981年にビルボード・ホット100で79位を記録、小ヒットしたものだが、その後、彼がライヴで演奏するたびにひじょうにいいリアクションを得ていたので、この楽曲自体の可能性をビリーは感じていて、ホイットニーが歌えばさらにヒットするのではないかと売り込んだようだ。

 

しかし、この手紙のように1986年3月の時点でホイットニーは歌うことはなかった。

 

ところが、このあと、ビリー・ヴェラのヴァージョンが再度スタジオ録音され、それが、マイケル・J・フォックス主演のテレビ・ドラマ『ファミリー・タイズ』の失恋シーンで毎回流れるようになり、いきなり大ブレイク。

 

結局、1986年11月からヒットし始め、1987年1月24日付け~31日付けと2週間、ホット100でナンバー・ワンに輝くことになったのだ。

 

この話がおもしろいのは、ヒット曲をかぎ分ける黄金の耳を持つクライヴ・デイヴィスをして、これがヒットするとは見抜けなかったということと、この曲の可能性を長く信じていたビリー・ヴェラがしつこく売り込みをかけていたこと、そして、もうひとつ、テレビの影響力の大きさだ。

 

もちろん、打率3割打者だとしても、残りの7回は凡打におわるので、これがヒットしないだろうと見ても、なんらしかたがない。

 

一方、これがライヴで支持を集めていたことから、この楽曲になんとか陽の目をあてたいと思っていたビリーの執念も特筆に値する。

 

これがヒットし始めたときのことはよく覚えている。

 

最初のシングルは日本のアルファ・レコーズがロスにつくったアルファUSAからでていたので、チャート動向を気にしていた。そして、これはライヴ・ヴァージョンをシングルカットしたものだった。ところが、1986年のものは、なんとスタジオで録り直されていた。これはライヴを見たテレビ・プロデューサーが、番組で使うのにライヴ盤だと使いにくいので、スタジオ録音盤を作ってくれと要請し、それにこたえて作られたもので、ドラマ効果もあり、見事に全米1位になった。

 

さて、この曲をホイットニーが歌っていたら、どうなっていたか。ホイットニー向きだったか。

 

Billy Vera At This Moment

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=O2ur063fMhs

 

これはどちらの意見もある。「ホイットニー向きじゃない」、いや「ホイットニーが歌っても、全米1位だ」。こればかりは、実際にホイットニーが歌ったものがないと思われるので、なんとも言えない。ぼくなんかは、いちどは試してみてもいいとは思う。彼女はどんな楽曲でも、そこそこいい曲なら、自身の解釈で魅力を倍増できるからだ。たとえば、平凡な7点の曲を、彼女が歌えば9.5点にしたりといった具合だ。

 

ビリー・ヴェラといえば、ジュディ・クレイとの白人・黒人デュオとして「ストリーブック・チルドレン」という大ヒットを1967年に出している。

 

Storybook Children - Billy Vera & Judy Clay

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=4E7F8AMxuZs

 

これはアトランティック・レコーズから発売され1967年12月からヒットし翌年ビルボード・ソウル・チャートで20位を記録するスマッシュヒットとなった。

 

そして、クライヴ・デイヴィスはこのヒットのあと、1960年代後期か70年代初頭に、ビリー・ヴェラを招き、ディナー会を開いて、ビリーに当時クライヴ・デイヴィスがディレクターだったコロンビア・レコーズに来ないかと誘っていた。だが、そのときは、ビリーがアトランティックと契約していたために、実現しなかった。なので、2人は旧知の仲なので、遠慮なくこうしたやりとりができたのだろう。

 

しかし、ビリーにとっては、クライヴに断られたために、彼のヴァージョンが全米ナンバー・ワンになったのだから、運命とはおもしろいものだ。

 

ただし、ビリー・ヴェラは本人の自伝の中で、この手紙については触れていない。クライヴに遠慮したのだろうか。(笑)

 

ビリー・ヴェラ・ホームページ

https://billyvera.com/

 

CD

 

The Billy Vera Story

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Billy Vera: Harlem to Hollywood (English Edition) Kindle版

英語版  Vera, Billy, (著)

https://amzn.to/3ZZpBuM

 

 

GREAT SONG STORY>At This Moment>Vera, Billy