〇自由が丘の珈琲屋アンセーニュダングルに7年ぶりに (パート1) | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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〇自由が丘の珈琲屋アンセーニュダングルに7年ぶりに (パート1)

 

【Soul Coffee First In Seven Years】

 

(本文は値段がついていますが、最後まで無料で読めます。読後サポートしてもよいと思われた場合、購読などでサポートしていただければ幸いです。この本文は約10000字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字換算すると、20分から10分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと33分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事を読んだり、音源などを聴くと、もう少しさらに長いお時間楽しめます。お楽しみください)

 

 

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〇自由が丘の珈琲屋アンセーニュダングルに7年ぶりに (パート1)

 

【Soul Coffee First In Seven Years】

 

7年ぶり。

 

UKロックの大家、大貫憲章さんと先日ツイートのやりとりをしていて、また自由が丘でお茶でもしましょうとなり、してきた。前のブログを見ると、なんと前回ここでお茶したのが2013年1月だから7年10か月も前。ついこないだのように思っていたが、本当に時が経つのは速い。大貫さんとは、インターFMでばったり会ったりはあったのだが、ゆっくりお話ししたのは7年以上ぶり。ライヴ会場でばったり会うことは(音楽ジャンルが違うので)まずないしなあ。(笑)

 

そこで久々にその珈琲店アンセーニュダングルに行くので、事前に電話をいれマスターがお店にいらっしゃるかを確認したところ、いらっしゃることはいらっしゃったのだが、早めに店を上がるので少し早めに来れないかということで、早めに出向くことにした。

 

このアンセーニュに来るのも7年ぶりなのか。大貫さんと会ったとき以降、一度は来てるかもしれないがはっきりわからない。

 

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タイムマシーン。

 

到着するとすでにマスターの林さんは仕事を終えカウンターに座り、お客さんのようだった。

 

なんと聞けば、数年前に病気をして2か月ほど入院し、以後は3時~7時くらいしかカウンターに立っていないという。しかも、カウンターには息子さんが入っていて驚いた。

 

自由が丘店はアンセーニュの3店目。下記過去記事にあるが、1975年に原宿店(一号店)、1979年に広尾に2号店、そして3店目として1984年オープンで、最初の店から45年、この自由が丘店でもすでに36年。さすがにこの40年の珈琲業界は大激変してきた。なんといっても1996年、銀座にスターバックスが登場してからは一気にコーヒーショップの流れが変わった。僕は原宿店も何回か行ったが、広尾店ができてからは家から近いので80年代はかなり通った。

 

アンセーニュのような重厚で落ち着いたしっくいの内装の店舗できちんとしたコーヒーカップでゆっくりと味わうというスタイルは今では珍しくなってしまったようだ。

 

激変のその一、なんとアンセーニュも、今年(2020年)4月から禁煙にしたという。僕はたばこを吸わないのでウェルカムだ。

 

それにしても内装は綺麗なので何かメンテナンスのような手入れは定期的にしているのかと尋ねると、「特にしていない、ただ椅子が破れたりしたりするので生地の張替えや、店外のテントなどは入れ替えたりした程度だ」という。「(内装は)最初からそういう設計をしていたので」とこともなげに言う。カウンターも壁も天井も、そして店舗中央に鎮座する大きなガラスのレリックもそのままだ。

 

「ヨーロッパのカフェなんてね、壁が真っ黒になっててね。誰も、リフォームなんかしませんよ。汚れて、味がでてくる。リフォームなんかしちゃったら、客が来なくなっちゃう(笑)」

 

確かに、この自由が丘も広尾もできた頃とその佇まいは寸分違わず、昔よく行っていた頃に瞬時にタイムスリップする。つまり、名店とは時の試練に耐え、客を通っていた頃に一気に引き戻すタイムマシーンのような機能を持つ。

 

いわゆる深煎り系の珈琲を出す店としての老舗の銀座「らんぶる」のオウナー、関口さんという方が亡くなったという記事を最近みかけたら、なんと2018年3月17日に103歳で逝去されたという。

 

「そうなんですよ、関口さんね。吉祥寺のモカの(マスター)標(交紀=しめぎ・ゆきとし)さんもなくなっちゃったし(2008年逝去)、残ってるのが(南千住の)バッハですよねえ。そういう高級珈琲店のブームが去っちゃうんでしょうね。よほど気合いれてやらないとダメなんですよ。個人商店が(珈琲屋だけでなく)みんななくなっていきますよね。親が子供に儲かってるところを見せられなくなってるんですよ。そうしたら、継ぐ気にならないですよね」

 

確かに街からさまざまな昭和的な店が姿を消している。酒屋、肉屋、八百屋、定食屋、各種飲食店などなど。「ある意味、そういう店は日本の文化だったんですよ。まあ、そういう時代じゃなくなったんですよね。(自由が丘)白樺通りの『瀬戸』とか(まだあります)、『六本木食堂』(1948年~2004年)もなくなった」と林さんは言う。

 

しかし、このアンセーニュは無事二代目がカウンターに立ち、日々珈琲を入れることになった。二代目は2014年8月から入り、すでに6年だ。週半分は9時すぎの準備(開店は10時)から閉店(現在はコロナで夜10時)後夜11時頃まで入っているという。

 

焙煎機。

 

ここには大きな焙煎機はないが、技術でモカだけは焙煎して出している。確かに最近は焙煎した豆を売るのが流行っている。ではアンセーニュも豆を焙煎して売ればいいのでは、と言ったら、ただ大きな焙煎機を置くとなると大きな排煙機も設置しなければならなく大事になるということ、近所のレストランなどに定期的に卸せたりしないと、なかなか豆だけ売るというのは難しいという。

 

「うちではノート・パソコン、基本的には禁止してます」とのこと。たいがいそういうお客さんは長居することになり、「そのためにここにわざわざいらしていただくお客様が入れないとなると困りますからねえ」と言う。「そういう(パソコンやる)人は別にうちのお店じゃなくてもいいわけですから」。

 

そうかあ、そういえば、ここではお客さんがノート・パソコンを誰もやっていなかった。

 

ピーター・バラカンさんはいちどこのアンセーニュでジミ・ヘンドリックスの特集番組の収録をしたそうだ。

 

林さんは、サム&デイヴが来日したとき(1969年、1970年)、渋谷公会堂で司会の糸居五郎さんのお声がけで、ステージに上って踊ったという。その頃は、もちろん、糸居さんとは面識はなく、当時は深夜放送で糸居さんや高崎一郎さんがオーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」などをかけていて、感激して、「ダメだダメだ、何かしないとダメだ」と焦っていたという。それから十数年後、アンセーニュの広尾店は偶然にも糸居さんが住まわれていたマンションの階下にオープンすることになる。

 

そうこうするうちに大貫さんが登場した。

 

(左・アンセーニュ・オウナー、林さん、右・ソウル・サーチャー)

 

(つづく)

 

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■アンセーニュダングル関連過去記事

 

NO.092

2002/12/15 (Sun)

Enseigned'angle Where the soul coffee is

https://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200212/diary20021215.html

 

角。

 

学生時代から濃いコーヒーが好きだった僕は、六本木のカファブンナを皮切りに、いろいろなコーヒー屋さんに行くようになりました。アンセーニュダングルという名のコーヒー屋さんに初めて行ったのはおそらく78-79年なんだろうと思います。原宿の裏のほうにありました。本当に階段を2−3段下りて、うらびれた街角にある、壁にはつたがからまっているような、そんな店でした。

 

そして、そのアンセーニュが1979年に広尾に二号店を出します。うちからは、この広尾のほうが近いので、こちらによく通うようになりました。

 

お店はだいたい11時くらいまでなんですが、あるとき一人で閉店間際に入ったんですね。いつものとおり、ウインナコーヒーを頼み、だらだらしていると店は閉店時間を迎えましたが、なぜか、僕はまだいつものようにカウンターの一番右側に座っていました。僕がそこに座るのは、マスターがその目の前でいつもコーヒーを落とすからです。

 

すると、マスターがなぜか声をかけてきたんですね。ちょっと、そこのところを正確には覚えてないんですが、いずれにせよ、音楽の話になり、ソウルミュージックの話になり、その流れでマスターが古いソウルの曲がはいったカセットをかけだしたんです。

 

僕はびっくりしました。それまでそこのお店では静かなクラシックしかかかっていませんでしたから。そのシックな店に、60年代のソウル、R&Bがかかり始めたのです。まったく場違いでした。ウィルソン・ピケット、オーティス・レディング、サム&デイヴ、テンプス、そして、ジェームス・ブラウンなどなど。いろんなソウル・ヒットがはいっていました。そのマスターが自分で作ったカセットでした。

 

「よろしければ、お貸ししますよ」とマスターは言いました。もちろん「あ、ありがとうございます。でも、いいですよ」と言って丁重にお断りしたように記憶しています。それとも借りたのかなあ。

 

「で、ソウルけっこうお好きなんですねえ」と僕が言うと、「ええ、まあ。営業時間はクラシックですけど、営業終わったら、こういうのですかね」と淡々とした声で言うんですね。

 

「なんで、また、こういうソウルがお好きなのに、こんなおしゃれなクラシックがかかるようなお店を?」と当然疑問がわきあがります。彼は淡々と、その暗い店でコーヒーカップを洗いながら話し始めました。

 

「昔ね、新宿で働いているというか、アルバイトとかしていて、まあ、ろくな仕事もせずに、不良だったような頃にね、あるとき、喫茶店にはいったんですよ。そうしたら、そこでね、ジェームス・ブラウンの『アイ・ガット・ア・フィーリング』がかかったんです。多分、有線かなんかでしょう。初めてそれを聞いたとき、ものすごい衝撃でね。それまで自分はだらだら仕事ともいえないようなことをやってきて、のんべんだらりとした生活をしていた。で、その曲を聴いた瞬間、ものすごいパワーというか、目を覚まさせられたんですよ。それ聴いて、『おれは、こんなこと、してていいのか』って強烈に思ってね。すぐに歌っている人を調べてジェームス・ブラウンのその曲のレコード買いました。それから毎日のようにそのレコードを聞いてね。そこで、いつかは自分の店を自分でやりたいと思ったわけです。それで、コーヒーが好きだったんで、いろいろ勉強してね、一念発起してコーヒー屋を始めたというわけです」

 

つまり、彼はジェームス・ブラウンを聞いたことによって、現在大繁盛のコーヒー屋を始めたということなのです。「やる気をおこさせられた」というか、今風に言うなら、「インスパイアーされた」というか「モチヴェーションをもらった」ということでしょう。

 

「今まで聞いたことがない音楽でしたからね。なんで、こんなリズムができるんだろう。なんで、意味もわからないのに、こんなにやる気がでるんだろう。なんで、これを聴くと元気になるんだろう、って思いましたね。それから、けっこう黒人のソウルにのめりこみましたね。やっぱり、ガッツがあるソウルが好きですね。軟弱なのよりね。ほんとに、ジェームス・ブラウンを聴いて、人生変わりましたよ」

 

アンセーニュのコーヒーはオールドビーンズを使ったフレンチスタイル。そして、そのコーヒーをマスターはだいたい20杯分を一度にいれます。僕はそのマスターが真剣なまなざしで、コーヒーを落としている姿を見るのが大好きです。自分でも、家でみようみまねでコーヒーを落とすようになりましたが、いつでも、やはりそこのマスターを思い出します。

 

マスターがいれるときもあれば、店では若い店員がいれるときもあります。でも、やはり、マスターが落としたコーヒーのほうがおいしいんですねえ。これが、不思議なんですけどね。たぶん、それは、寿司でもてんぷらでも、同じ食材を使って同じように調理しても、マスター(達人)が手をかけて作るのと、まだその域まで行ってない若い職人が作るのとは、違うのでしょう。

 

そのことをマスターに訊ねたことがあるんです。「なんで、同じコーヒーの豆、同じ量、そして、同じように落として味が違うんですかねえ」

 

「それはね、僕がソウルを込めていれてるからですよ」とマスターは、軽く言いました。「ソウル・コーヒーですよ」

 

ソウル・コーヒーを出す店。「角」は、かどと読んでください。アンセーニュダングルはフランス語で、「角」を意味します。

 

 

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A Toast To Soul Coffee: Real Thing Is Here To Stay 

2007年1月20日

 

https://www.soulsearchin.com/blog_archives/?p=1891

 

【ソウル・コーヒーに乾杯】

 

本物。

 

自由が丘のコーヒー屋さんカフェ・アンセーニュダングル。ここについては、4年前にこんな記事を書いた。ジェームス・ブラウン関連で昨年末日記に再びリンクをはったものだ。

 

2002/12/15 (Sun)

Enseigned’angle Where the soul coffee is

自由が丘のおしゃれな珈琲屋アンセーニュダングルのマスターのジェームス・ブラウンとの出会い。こんな風に影響を受けた人が世界中にいるはずです。

http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200212/diary20021215.html

 

というわけで、ミスター・ブラウンの死後(2006年12月25日)、一度はここに行かなければという思いがあった。ディーヴァ・グレイのリハーサルが自由が丘であったので、その合間にでも行けるかとも思ったのだが、なかなかそうは問屋が卸してくれなかった。そして、先日やっと出向くことができた。

 

久々に行くと、マスターはいつもの通りカウンターにいた。あいさつもそこそこに僕の顔を見るなり、「ライヴで最後(の来日)だって言ってたからねえ」。マスターは、昨年3月の最後の来日公演を見ていた。「関さんは、お葬式に行ったみたいですよ。帰ってくるなり、(お店に)来ました。ボビー・バードや、ダニー・レイなんかがみんな歓待してくれたそうで、たくさん写真を見せてくれましたよ」 関さんとは、ジェームス・ブラウンの熱狂的なファンの方だ。僕も存じ上げているが、宅急便等を配達する仕事をしていて、その車の名前は、なんと「JB エキスプレス」!! 僕も偶然街中(まちなか)で出会って、しばし立ち話をしたこともある。国内の公演はほとんど追いかけるマニアだ。

 

「吉岡さんが(ウェッブに)書いた記事読んで、マスターはこんな音楽好きなの、って驚かれることがありますよ。ところで、あの中で、僕が『アイ・フィール・グッド』で影響を受けたってありますけど、あれ、『アイ・ガット・ア・フィーリング』です。直しといてください。(笑)」 了解です。文章を書いたのは2002年10月だが、その話を聞いたのは、おそらくそれから10年以上前のことだったと思う。10年以上前の記憶を頼りに書いたのでそこで曲名を取り違えたのだろう。ま、僕にとってはそれほどインパクトがあった話なので、10年前の話でも思い出して書けたのだと思う。

 

それはさておき、やはり最近では夜11時に営業が終わると、掃除・片付けの時にはジェームス・ブラウンのCDなどをかけるそうだ。このおしゃれな店とファンキーなブラウンのアンバランスが想像しただけでおもしろい。

 

雑談の中で、なんと、マスターとオオサカ=モノレールの中田さんの自宅がものすごく近いということが発覚したらしい。これまた濃い話。(笑)  

 

ところで、カウンターでしゃべっているとこのお店の名物メニュー「琥珀の女王」が3人前出た。深く濃いアイスコーヒーの上に液体の生クリームを載せ、リキュールをほんの1、2滴たらし、コーヒー豆をひとつだけ載せたもの。もちろん絶品なのだが、それをここではラリックのグラスで出す。いろいろな形のものを使っているのだが、みなグラスに傷がついていないで綺麗なままだ。「このグラスって新しいんですか」と聞いた。「いやあ、開店からのものですよ。20年以上使ってるかな。もちろん、割れてダメになってしまうのはありますよ」 「それでも使ってるものは傷なし?」 「つかないですね。つまり、本物は長く使っても傷つかないんですよ」 「この店も内装とか、リフォームなんかしてないんですよね」 「しませんねえ。最初から本物作ってれば、この壁だって、時が経つにつれてどんどん渋く、いい味がでるようになるんです」 

 

ウエッジウッドだ、ジノリだとここはいいコーヒーカップばかりを使っている。もちろん20年以上の間には、7−8割ものカップなどが割れて使えなくなった。だが、開店当初に膨大なストックを持っていたので、いまだに20年以上前に買い揃えたもので営業している、という。すべてに本物にこだわるマスターに改めて恐れ入りました。そんな本物に徹底してこだわるマスターが一番気に入った音楽がジェームス・ブラウンなのだから、ジェームス・ブラウンは本物中の本物である。そして本物は永遠に残る。

 

ENT>MUSIC>ARTIST>Brown, James

 

 

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大貫憲章さんとソウル・コーヒーでお茶するの巻

2013年01月28日(月)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11457322508.html

 

 

◆大貫憲章さんとソウル・コーヒーでお茶するの巻

 

【Soul Coffee With Mr.Ohnuki】

 

接点。

 

イギリス・ロックのオーソリティー、音楽評論家、イヴェント・オルガナイザー、大貫憲章さんと自由が丘の珈琲屋さん、アンセーニュダングルでお茶をした。

 

大貫さんがツイッターでお茶をしているところの写真を載せたのを見て、すぐにアンセーニュとわかり、メールでやりとりをして、じゃあこんどここでお茶しましょう、と言ってから1年くらいは経ってしまったかもしれないが、やっとそれが実現した。ここに至るまではずいぶんと時間がかかったが(笑)。

 

このカフェについてはこれまでに2回ほど書いている。

 

2002/12/15 (Sun)

Enseigned'angle Where the soul coffee is

http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200212/diary20021215.html

自由が丘のおしゃれな珈琲屋アンセーニュダングルのマスターのジェームス・ブラウンとの出会い。こんな風に影響を受けた人が世界中にいるはずです。(内容に訂正あり)

 

January 20, 2007

A Toast To Soul Coffee: Real Thing Is Here To Stay

【ソウル・コーヒーに乾杯】 

http://blog.soulsearchin.com/archives/001526.html

 

大貫さんもこのアンセーニュはときどき利用していたが、「実はそこのマスター、ジェームス・ブラウン好きなんですよ」というのを教えたところ、カウンターで音楽談義に花が咲いたそう。なんとここには、やはり近くにお住まいのピーター・バラカンさんも来店したことがあるらしい。なにしろ、普段クラシックばかりかかっている店内と営業後の掃除タイムのBGM(大体ソウル系、ときにストーンズなどもかかるらしい)の落差に大貫さんも度肝を抜かれたという。

 

ただ雑談なんだが、マスターも交えてしゃべるしゃべる。(笑) 自ら「僕は無口なんで」というマスターが、ジェームス・ブラウンのことになると、けっこうしゃべるんです。

 

若干の訂正があります。

 

マスターがジェームス・ブラウンの「アイ・ガッタ・ア・フィーリング」(「アイ・フィール・グッド」ではなかった)を聴いて、がぜんやる気を出すわけだが、それは喫茶店ではなくて、立ち食い蕎麦屋で有線で聴いたとのこと。無料のネギを山ほど蕎麦の中にいれて食べていたときのことだという。ただ聴いたその日は、誰のなんという曲かはわからず、何度もレコード屋に行って、尋ねてはわからず、いろいろ探してはわからず、やっとの思いでシングル盤を見つけ出したそうだ。

 

すると、大貫さんもジェームス・ブラウンの最初の衝撃はこの「アイ・ガッタ・ア・フィーリング」で奇しくも同じ曲だった。

 

アンセーニュの原宿店のオープンは1975年(昭和50年)、広尾店は1979年(昭和54年)、そして自由が丘店は1984年(昭和59年)だ。原宿店に初めて行った日は覚えていないが、広尾はオープン直後から行っているので、かれこれ30年以上は通っている計算にはなる。

 

マスターは、パソコン一切やらず、携帯電話さえももたない。「僕はアナグロですから」「えっ? アナログですね」(笑) 「あ、そうそう、アナログ」

 

多岐にわたった話題。大貫さんが中学生の頃からACB(アシベ)などのライヴハウス(ジャズ喫茶)に通い、グループ・サウンズを見ていたこと、かなりグループ・サウンズ系に詳しい。大貫さんの相棒であるDJカッチンがパンクから最近突然ノーザン・ソウルに目覚めて7インチを集め始めている、ということなど。これはおもしろかったなあ。

 

■ノーザン・ソウルについて

「ノーザン・ソウル」とは~フローレッツ・ライヴから(パート2)

2012年11月16日(金)

http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11404710578.html

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11404710578.html

 

2時間半以上しゃべってたと思うが、大貫さん曰く「これ、もったいないよねえ、ユーストかなんかできるよね。月一くらいでまたお茶しようよ」。そうしましょう。ユーストも出来ると思います。

 

僕と大貫さんは音楽的にほとんど接点がないのだが、西麻布のトミーズでお互いDJをやっていて、妙に接点がある。1980年頃のことだ。そうそう、ジミー・ウォーカーからニッカボッカーズの話になり、そこからオールディーズ番組の話になり、えらく最後に盛り上がった。この話はまた詳細、後日におとどけします。

 

吉岡正晴のソウル・サーチン

写真:左から大貫さん、マスター・林さん、吉岡。マスターの顔が小さいのは、遠近法のため。一応念のため。マスターは僕たち二人がしゃべってる間も豆を挽き黙々と珈琲をいれている

 

■ ジェームス・ブラウンの「アイ・ゴット・ザ・フィーリング」で人生を変えられたマスター

 

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James Brown

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■ ニッカボッカーズ

 

Lies: Very Best of

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Knickerbockers

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ESSAY>Ohnuki

 

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古くからの友、ソウル評論家でDJの吉岡正晴さんと。

2013-01-28

https://ameblo.jp/boobee-002/entry-11458701342.html

 

 

 先週の金曜日だったか、体調が喉から鼻に風邪みたいな症状が次々と出て、さらにはその後にはお腹まで具合悪くなり、週末は散々でした。

 

 でも、そんな時に、以前から会って久しぶりにお茶飲み話しでもしようか、という約束をしていたので、自由が丘の喫茶店の老舗、東急ストアの近くに20年以上も前からやっているという「アンセーニュダングル」に頑張って出かけました。

 

 そこで会ったのは、自分がDJをやるきっかけになった、西麻布(その頃は霞町という方が普通だったけど)にあったTommy's Houseというショットバーで、ぼくより先にすでにDJをしていたソウルの評論家としても知られていた吉岡正晴さん。年はぼくよりいくぶんか若いけど、DJとしてはその前からエンバシーとか有名店でプレイしていた(18才から始めたらしい)彼が「先輩」で、フリーのDJの草分けのひとりです。

 

 彼との付き合いはその頃、つまり30年以上前からで、彼の自宅で行なわれていたホームパーティーなんかにもお邪魔したりしていました。ウチとはかなり違うお金持ちな印象で、マンションの一室で行なう、まるで当時流行りの絨毯バーみたいな雰囲気が別世界のようだったのを覚えてます。

 

 

 もっとも音楽的には自分とのつながりはほとんどないので、トミーズ以降はほぼ付き合いがなくなってました。それが、ここ2~3年のTwitterやネットでのブログなどを通じて、再び頻繁に連絡しあうようになって、結果、会うことに。その場所が、彼が30年以上も前から知っている、広尾にあるアンセーニュダングル広尾店の姉妹店である自由が丘の店。自分がその店によく行くことをTwitterとかでコメントしてたら、彼が反応して、そこのマスターって、ヘアスタイルが軽いアフロ系な小柄で眼鏡の人?って聞いてきたので、「そうだけど、それがなんかあるの?」と返事したら、そのマスターは彼と広尾時代に親しくなった人で、「すごいソウル・ファン、特にジェームス・ブラウンの熱烈なマニアなんだよね。」と帰って来ました。

 

 そこである時、マスターにそれとなく話しかけてみたら、吉岡くんのことをよく覚えていて、しかも、JBファンであることをとうとうと話してくれたんです。日本で最初にJBを来日させたのは、そのマスター、林さんとそのお仲間たちだ、というんだからビックリでした。

 

 と、まぁ、そういうことが縁となり今回の久しぶりのご対面になったんですね。3時間近くいろいろ話しました。彼の知識の豊富さと正確さはまさに驚異的で、自分の曖昧模糊とした記憶頼みのものよりはるかにアカデミックでリアルです。何しろ話してる間もメモをとったりマメなんですから。

 

 その時の模様を彼がこのアメブロでの彼のブログ(ソウルサーチン・ブログ)で詳細に記しています。興味のある方は是非一読をオススメします。ほかの記事もすごく丁寧でブログというより記事であり評論ですね。

 

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11457322508.html(ソウル・サーチン・ブログ)

◆大貫憲章さんとソウル・コーヒーでお茶するの巻  1/28更新

 

 

 

 

 

 

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