デクスター・トーマス「ギャングスター」を求めて東京に来る | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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ブログで情報発信をしていると、思わぬところから情報が入ってくることがある。今日、ご紹介するブログ記事はそんな中でもばつぐんにおもしろいネタだった。江守アイさんと僕で1970年代に一緒にミニコミのようなディスコ向けの雑誌を作っていた。そのことを知ったアメリカのブラックの大学生が連絡してきて、その雑誌を見せてもらえないかというのだ。デジ君ことデクスター・トーマスのストーリー。一体何が起こったのだろうか。以下の3日分のエントリーをどうぞ。

 

 

(本作・本文は約6000字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字換算すると、12分から6分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと20分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事を読んだり、音源などを聴きますと、もう少しさらに長いお時間楽しめます。お楽しみください)

 

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1.デクスター・トーマス「ギャングスター」を求めて東京に来る

 

 

 

◆デクスター、「ギャングスター」を求めて(パート1)

2012年07月21日(土)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11307355977.html

 

◆デクスター、「ギャングスター」を求めて(パート1)

 

【Dexter Searching For Gangster (Part 1)】

 

探究心。

 

先日ていねいな問合せのメールをもらった。きちんとした礼儀正しい文章で書かれたもので、自己紹介からなぜこのメールを書いているか、その目的などが的確に書かれていた。

 

その彼は現在ニューヨークのコーネル大学に通う学生で、日本のソウル、ヒップ・ホップ・シーンについて興味があり、それをリサーチしていく中で1970年代に発行されていた「ギャングスター」という雑誌を探している、お持ちではないですか、という問合せだった。お持ちでしたらコピーかスキャンさせてほしいとのこと。

 

「ギャングスター」という雑誌は、1976年から1977年にかけてたぶん7冊ほど出したディスコ、ソウルの情報誌だ。B5版48ページの活版印刷ででたもの。江守藹さんが発行人で江守さんに誘われ僕が編集したり、原稿を書いた。そこで倉庫を探してみると、7冊のうち第二号を除く6冊があった。

 

別件で江守藹さんと会うことになっていたので、せっかくだから、3人で会うことに。

 

待ち合わせのカフェにやってきたメールの主デクスター・トーマス君はキッドン・プレイ(映画『ハウス・パーティー』)のような上に伸びたヘアスタイルが印象的な若き快活なブラザーだった。

 

いろいろ話を聴くと、こういうことのようだ。

 

国立国会図書館。

 

デクスター君は1984年9月カリフォルニア州サンバナディーノ生まれ。4人兄弟の長男、下に弟、妹、妹。2001年夏に一度交換留学で一月ほど日本に滞在。その後2002年9月カリフォルニアのリヴァーサイド大学に入学、そこの放送局KUCRで週一でヒップホップの番組の選曲、DJをするようになった。そこに多くのデモテープなどが送られてきたが、そんな中で日本の音楽に興味を持った。

 

2006年夏卒業後、仕事をしながら日本の大学の奨学金を得るために勉強、4度目の奨学金の応募で合格、2008年4月から2010年3月まで約2年間、早稲田大学・政治学部に入学した。この時期に日本のポップ・カルチャー、とりわけヒップ・ホップ・シーン、さらにそのルーツとなるソウル・シーン、ディスコ・シーンなどに興味を持つようになり、いろいろな資料を漁るようになった。

 

その中で、江守藹さんが書いた『黒く踊れ!』を読み、そこで触れられていた「ギャングスター」に興味を持ち、現物を入手しようとしたが、なかなか手に入らず、僕のホームページからメールで連絡してきたのだ。

 

デクスター君は江守さんをリサーチ。江守さんが1970年代にヤング・コミックという雑誌にブラック・カルチャーの記事を書いたという記述から、国立国会図書館に行き、1970年代のヤング・コミック誌を片っ端からチェックしたという。何年何月号ということがわからなかったので、創刊号(1967年8月)からしらみつぶしにあたった。当時は最初は月刊、途中から月二回刊。目次だけで見てても、なかなか当該の記事にあたらないので、結局全ページをめくって調べることに。

 

すると何時間もかけて、ついに1973年8月23日号でその目当ての記事を発見。これは漫画誌なのだが、それは活版の文字主体の記事だった。彼はそれをスキャンし、アイポッドで見せてくれた。江守さん本人もずっと探していたが、約40年ぶりに自身の記事に再会し感動の様子だった。江守さんが、福生などの基地での黒人仲間たちとのこと、ソウル・ミュージックのことについて書いた記事で、編集者が知り合いで、「ソウルのことを書かせてよ」ということで書いた記事だという。当時は、まだディスコもやっと火が付き始めたくらいの状況だったから、斬新な記事だったことはまちがいない。

 

デクスター君は、現在の日本のヒップ・ホップ・シーンに大変興味あるが、それを探っていくうちに、日本のそれより前のディスコ、クラブ、ソウル・ミュージック・シーンが必ずあるはずだと考え、そのあたりについてのリサーチを進めている。

 

 

 

吉岡正晴のソウル・サーチン

左から江守藹さん、デクスター君、吉岡

 

興味。

 

そして、当時江守さんや僕が、どのように黒人と接したのか、日本人であるあなた方にとってなぜソウルだったのか、当時のソウル・ミュージックがどのように受けいれられたかなどに強く興味を持った。

 

なにしろ、デクスター君は僕のブログを熱心に読んだり、僕と江守さんが『ソウル・ブレンズ』でドン・コーネリアスの追悼をやったポッドキャストを聞いて勉強し、その話をデクスター君のお父さんと話し、父親とそれをネタに熱い会話ができたという。もちろんそれだけでなく、古いソウル・ミュージックを勉強するにつれて、父親(もうすぐ定年を迎える警察官だそう)とそういう話をするようになった。「アメリカではなく、はるか離れた日本でこんな『ソウル・トレイン』のことを(日本人の二人が)詳しく話してるのなんて、ほんとヤバイでしょう」(笑)と日本語で話す。

 

っていうか、江守さんの『黒く踊れ』や僕のブログを日本語で読み(彼は漢字の読み書きOK)、そこからソウルの歴史に入っていくという、あなたこそヤバイでしょう。(笑) 

 

「ま、話は尽きませんが、とりあえず、これがギャングスターのうちにあった分6冊です。

コピーしてきていいですよ」

 

「これ、全部コピーしたら大変じゃない?」と江守さん。「48ページだから、A3でやれば24枚、1枚10円でも240円でできる。もし5円だったら120円くらいかな。1分で4ページずつやれば、1時間かそこらあればできるんじゃないですか」と僕。

 

駅の向こう側にコンビニがあると案内し、彼はギャングスターを抱えて出て行った。

 

(この項続く)

 

■ デクスター君はまずこの『黒く踊れ』を読んだ

 

黒く踊れ!―ストリートダンサーズ列伝

江守 藹

銀河出版

 

 

 

■そして、そこで知った江守さんのその前の本を探して入手した。

 

アメリカ南部を聴く

江守 藹

ヤマハミュージックメディア

 

 

ESSAY>Gangster

ESSAY>Thomas, Dexter

 

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2.デクスター、「ニグロス・イン・東京」コラム開始

 

デジタル・デクスターさんと再会「ニグロズ・イン・東京」コラム

2014年11月30日(日)

 

◆デジタル・デクスターさんと再会

「ニグロズ・イン・東京」コラム

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11958425721.html

 

【Digital Dexter’s Negroes In Tokyo】

 

コラム。

 

江守アイさんの著作『黒く踊れ!』を読み、そこで触れられた1970年代半ばにほんの数冊だけ発行された雑誌「ギャングスター」を探し、2012年7月、僕にたどり着いたアメリカ・ニューヨークの大学に通うデクスター・トーマスさんと、久々にゆっくり話をした。

 

彼と初めて会ったその経緯など詳細は、こちらのブログに。

 

2012年07月21日(土)

デクスター、「ギャングスター」を求めて(パート1)

http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11307355977.html

 

(なんとパート1で、パート2に続くとあったが、どこを探してもパート2がない…。書き忘れたんだな)

 

いま、2年ぶりに読み返したが、それにしても、とても根性のある「堀手(ほりて)(Digger)」だ。(笑) 

 

なんと、彼が突然11月9日に江戸川で行われた「ソウル・ミュージック講座」に来てくれたのだ。「あそこ、駅から15分くらいかかるんで、遠かったでしょう」というと、「いや、スケボーで来たんで(笑)」 スケボーだとかなり早いらしい。(笑)

 

僕のツイッターで「ソウル・ミュージック講座」の情報を知り、当日の予定が流動的だったので、当日券でかけつけてくれたのだ。

 

どう思ったかと聞くと「いや、おもしろいでしょう。やばいでしょう。(笑) ああいうふうに、授業のように話を聞きに来る人がいるのに驚いた。ほぼ満席でしょう」と流ちょうな日本語で話す。

 

これの最大のおもしろいところは、日本人である僕がブラック・ミュージック、ソウル・ミュージックの話をして、それを日本語がペラペラな黒人であるデクスター君が見に来ている、という点だ。そして、それを「おもしろがる」。こんなネジレ現象というか、自分でもその当事者として「おもしろい」。

 

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コラム。

 

彼が最近隔週火曜日にネットに発表しているコラムがちょっとした話題になっているといって教えてくれた。これが、またばつぐんに面白い。

 

コラムのタイトルは、「ニグロズ・イン・ジャパン」

 

https://medium.com/culture-club/negroes-in-tokyo-25741c87c306

 

2014年10月7日(火)に記念すべき第1回のコラムを発表した。このタイトルは、「日本での初の黒人野球選手」。第2回がデ・ラ・ソウルと日本人ラッパー、3回が日本における「ソウル・トレイン~スリー・ディグリーズ」、4回目が「ソウル・トレインに出たYMO」(2014年11月18日発表)。

 

かように、彼は日本における黒人(アフリカン・アメリカン、ブラック)がどのようなに受け入れられてきたに興味を持ち、そのテーマを掘り下げている。

 

日本初の黒人野球選手の話などまったく知らなかった。1970年代にいた巨人のクロマティーとか、ロッテのリー兄弟くらいしか思いつかなかったが、なんとジャッキー・ロビンソン(メジャー・リーグ初の黒人選手)が1947年にメジャーに登場する11年も前、1936年に東京の野球チームに一人の黒人ピッチャーが入っていたというのだ。

 

これを彼は古い新聞などを調べ、ひとつのコラムに書いている。とてもよく書けているので、英語が読める方にはお勧めだ。もちろん、この視点での日本語版も作れる。それもおもしろいものになる。

 

なんと、このコラムを読んだピーター・バラカンさんがデジに連絡を取り、さっそく会ったという。カレッジ・ラジオで番組を作っていたデクスターさんとラジオDJバラカンさんとでラジオ話などで盛り上がったという。

 

日本におけるソウル・ミュージックの受け入れられ方、黒人とのつながり、ディスコの話などをしているうちに、12月にCD化される1960年代に日本の米兵たちで結成されてライヴ活動をしていたザ・ハウス・ロッカーズの話になり、彼も大変興味を持った。このハウス・ロッカーズについては12月17日のCD発売時期にころあいを見て紹介しようと思っているが、今週12月4日(木)の『ザ・ナイト・サーチン』でも特集する予定。

 

そうしたら、ハウス・ロッカーズのリード・シンガーの一人、チェット・フォーチューンが日本の桐生(群馬県)に住んでいると言ったら、ぜひ会いたいという。じゃあ、一緒に会いに行こうかという話になった。

 

はたしてスケジュールはうまくあうかな。

 

「吉岡さんには、そういうのをどんどん書いてほしいんですよ、江守さんにも」と熱く要請されてしまった。いや、たしかにやらなければならないとは思っています。(笑)

 

(この項続く)

 

ゴールデンR&Bメンフィス・サウンド(紙ジャケット仕様)

ザ・ハウス・ロッカーズ

 

 

ダイナミック・ステージ

ザ・ハウス・ロッカーズ <br />ビクターエンタテインメント (2014-12-17)

https://amzn.to/34IFaht

 

ディグ!(紙ジャケット仕様)

ザ・ハウス・ロッカーズ  形式: CD

 

 

 

ESSAY>Degi Dexter

BLACK CULCTURE>In Japan

 

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3.デクスター、プリンスのペイズリー・パークに潜入取材敢行

 

2020年04月25日(土)  

〇最新ペイズリー・パーク内部動画~デクスター・トーマスがダンにインタヴュー

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12592150023.html

 

【Vice News Released Paisley Park Images】

 

内部動画。

 

ふだんは入口で携帯も預けさせられる写真撮影も厳格に禁止されているプリンスのペイズリー・パーク・スタジオに我らがデクスター・トーマスがプリンス自伝編者のダン・パイペンブリングに案内されてインタヴューする動画が、プリンスの命日4月21日公開された。

 

 

image

 

デクスター・トーマス

 

We Took a Tour of Prince's Home Before Coronavirus Shut it Down

 

21 Apr 2020

 

→https://bit.ly/3eKQqN2(約7分) 

 

https://www.youtube.com/watch?v=wLZjBiVzXBc&feature=emb_logo

 

 

これは、ちょうど昨年プリンスの自伝『ザ・ビューティフル・ワンズ』が全米で発売されたときにダン・パイペンブリングにインタヴューをオファーしたところ、実現したという。ただし編集した後のアプルーヴなどにかなり手間がかかったそうだ。

 

内部の動画かなり珍しい。この動画では、ダンとデクスターがプリンスが使っていたピンポン台でピンポンをしているところも映っている。

 

デクスターはここ4年程このヴァイス・ニュースで、文化、音楽、政治などさまざまなトピックでニュース映像にまとめて発表している。

 

最近の音楽ネタでは、なんと、日本でも1970年代一部のR&Bファンに熱狂的に支持されていたロイCの今を取材していた! 

 

→https://bit.ly/2x4yb4h(約7分35秒)

 

https://www.youtube.com/watch?v=5ah8JNCBQ28&feature=emb_logo

 

サウスキャロライナで細々とレコードのディストリビューターをやっているロイCを取材した。その昔、「インピーチ・ザ・プレジデント(大統領を弾劾しろ)」などのシングルを出した。日本ではアルバム『セックス&ソウル』がマニアを中心にヒットした人でもある。

 

メジャーのマーキュリーでは、白人の顧客層もいるので、「大統領を弾劾しろ」といったメッセージ・ソングは出せなかったという。今でも、「大統領は、去れ」とメロディーを口ずさみながら歌うところなど、現役感いっぱいだ。

 

その後、彼の作品がサンプリングされちょっとした話題にもなった。

 

このインタヴューをしているデクスターは一時期日本にもいてさまざまな文化に興味をもっている人物。かつて、日本におけるソウル、ブラック・ミュージックの受け方を調べるために、僕と江守藹さんのところまで取材にきた人物だ。

 

 

デクスターについて→

2012年07月21日(土)

デクスター、「ギャングスター」を求めて(パート1)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11307355977.html

 

 

 

デジタル・デクスターさんと再会「ニグロズ・イン・東京」コラム

2014年11月30日(日)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11958425721.html

 

ENT>PRINCE>PAISLEY PARK

ENT>JOURNALIST>Thomas, Dexter

 

 

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