●行方均さん死去~ミスター・ブルーノート | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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●行方均さん死去~ミスター・ブルーノート

 

【Hitoshi Namekata Dies At 68】

 

訃報。

 

東芝EMI時代から多くのブルーノート・レーベル作品を世に出し、「ミスター・ブルー・ノート」とも呼ばれたディレクター、プロデューサー、行方均さんが2020年3月13日、急性骨髄性白血病で都内の病院で死去した。享年68。しばらく前から闘病していた。

 

 

 

評伝。

 

1951年6月29日仙台生まれ。早稲田大学卒業後、1976年東芝EMI入社。主に洋楽畑を歩んできたが、1988年、東芝EMI内に日本における「ブルーノート・レーベル」を目指す「サムシング・エルス」レーベルをスタート。松永貴志、大西順子などの日本人ジャズ・アーティストの発掘、育成にも力を注いだ。

 

1997年から2013年にかけてはビートルズの国内盤発売をてがけた。

 

2011年EMIがユニヴァーサルに買収され同社で副社長就任。その後2014年に独立。ジャズ・プロデューサー、音楽評論家、ラジオDJとしても活躍した。

 

ブルーノート関連の書籍も上梓した。

ブルーノート アルバム・カヴァー・アート 大型本 – 2005/8/16
行方 均 (著, 翻訳)

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ブルーノート・ベスト5&クロニクル ([バラエティ]) (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2019/12/2
行方均 (著, 監修), BLUE NOTE CLUB (編集)

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https://amzn.to/2ILrnKU 名曲・名盤のブルーノート物語: 最強のジャズ100年史 (日本語) 単行本 – 2016/12/20
行方 均 (著, 編集)

 

『ジャズは本棚に在り』→

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写真家、内山繁さんブログ→

https://bit.ly/2w1ZGuA

 

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2020年3月15日午前3時、追記↓

 

■マイケル・カスクーナの追悼文

 

ブルーノート・レーベルのディスコグラフィー編纂、アルバム・プロデュースなどで知られるマイケル・カスクーナの行方均さんへの追悼文→https://bit.ly/2vrmfc4 

 

初めての出会いからマウント・フジ・ジャズ・フェスのことなど、一気に。

(追記・ここまで)↑

 

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豪快。

 

行方さんとは、今年(2020年)の年賀メールのやりとりをしたのが最後。その前、2019年に一度お会いしましょう、ということで日程を出したが、あいにく行方さんが『ビル・エヴァンス』の字幕の仕事でその日がダメで「では近いうちに」ということになっていた。

 

最初の接点は1981年、ダイアナ・ロスのEMI移籍第一弾アルバム『ホワイ・ドゥ・フールズ・フォール・イン・ラヴ』のライナーノーツを依頼されたとき。ダイアナはEMIから出た4-5作のライナーを書いたが、行方さんが洋楽のディレクター時代のことだった。1981年時点ではたぶん一番詳しい年表を作ったのだが、それを「これだけで売れる」とえらく褒められた。この年表はその後しばらくライナーに追記され転用された。

 

その後EMI・キャピトルのブラック系は行方さん直系の原島さんにバトンタッチされたが、その原島さんも行方さんより先に鬼籍に入られた。原島さんの元ではいわゆる「ハッシュ系」というジャンルを生み出し、その作品群のライナーノーツなどを多数てがけるようになった。それも行方さんあってのことだ。

 

サムシング・エルス設立の折などにはいつも連絡をいただき、そのショーケースなどにも足を運んだ。

 

そして、EMI~ユニヴァーサルを経て、ディスク・ユニオンの中で「サムシン・エルス」を再復活させ、そこになんとあの木下航志くんを迎えてアルバムを作った。そのときに久しぶりに連絡をいただいた。

 

「何か調べると、必ずあなたのブログにぶちあたる」と言われて恐縮した。

 

そのときだったか、「血液、全部入れ替えたんだよ」みたいな話をした。なんとなくいつも「豪快な方」だなあという印象を持っていた。

 

ご冥福をお祈りします。

 

OBITUARY>Namekata, Hitoshi>(June 29, 1951 – March 13, 2020, 68 year old)

 

 

 

 

 

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