〇名曲物語~「エイント・ノーバディー」~なぜかブラザー&シスターに圧倒的な人気曲~ウッディーファ | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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〇名曲物語~「エイント・ノーバディー」~なぜかブラザー&シスターに圧倒的な人気曲~ウッディーファンクたちがカヴァー(パート1)

 

【Great Song Story : Ain’t Nobody】

 

圧倒的。

 

1983年にルーファス&チャカ・カーンで録音され同年11月にシングル・リリースされ大ヒットした「エイント・ノーバディー」は、ルーファス&チャカの代表作となっただけでなくチャカ以降実に多くのカヴァー・ヴァージョンがリリースされている。

 

もちろんいい曲で、かっこいい曲でヒットしたのもいわば当然なのだが、それ以上に多くのアーティストたちがこぞってこれをカヴァーする。この人気ぶりが、異常なほどに感じられる。

 

リリース当時はソウル・チャート(ブラック・コンテンポラリー・チャート)でこそ1位になったものの、ポップ・チャートでは22位にしかなっていない。ところがこの曲への反応、またアーティストたちのこの曲へのラヴがものすごい。そして、何より、この曲が特にブラザー&シスターの間で圧倒的な人気なのが興味深い。

 

このカヴァーで僕が個人的に印象に残っているのが、日本でもおなじみのピーボ・ブライソンが毎回ショーの最後の曲(アンコール曲)をこれで終えるヴァージョンだ。のりのりで観客も立ち上がり、こぶしを天井につきあげ、会場は一体となって興奮のるつぼと化す。

 

ほかにもケイリブたちがのりのいいヴァージョンをやったり、実にライヴ映えする。

 

そして、我らがトークボックスの女王、ウッディーファンクもこれをカヴァーした。Tグルーヴとモノローグが参加したファンク&グルーヴなヴァージョンだ。

 

Ain't Nobody feat. monolog & T-Groove

https://www.youtube.com/watch?v=NmbnOpQZefg

 

 

配信

WODDYFUNK「AIN'T NOBODY - Single」 https://music.apple.com/jp/album/aint-nobody-single/1472319213

 

アナログシングル

‪https://www.hmv.co.jp/product/detail/10100499

 

CDは2020年4月発売予定の

「Best Of WODDYFUNK」に収録予定。

 

 

ルーファス&チャカ・カーンのヴァージョンは1984年映画『ブレイキン』でもフル・サイズで踊りを覚えるシーンでいい形で使われた。

 

Breakin' Ain't Nobody

https://www.youtube.com/watch?v=QhTUjVdxhmw

 

 

 

 

ラッパーのL.L.クールJもこのリフを使ってラップを乗せている。

 

LL COOL J - Ain´t Nobody (HQ)

https://www.youtube.com/watch?v=-kZpdrNkkN0

 

 

 

こんなヴァージョンもある。

 

The Voice 2016 Knockout - Sa'Rayah- 'Ain't Nobody'_HIGH

https://www.youtube.com/watch?v=dSxA3921-jE

 

 

 

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ちなみに、ルーファス・フィーチャリング・チャカ・カーンは2020年ロック殿堂(ロックンロール・ホール・オブ・フェイム)入りの候補となっている。候補になるのは4回目。

 

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では少しこの曲について簡単に紹介しよう。

 

これは、ルーファスのメンバーでキーボード奏者のデイヴィッド・ホーク・ウォリンスキーが当時まだ新しかったリン・ドラム・マシーンを使って1982年の夏ごろまでに作っていた。

 

ルーファスは、1979年11月、クインシー・ジョーンズのプロデュースで『マスタージャム』をリリース。ここでもウォリンスキーは曲を提供している。アルバムからの最初のヒットになった「ドゥ・ユー・ラヴ・ホワット・ユー・フィール」や続くシングル・ヒット「エニー・ラヴ」が彼の作品だ。アルバムはこれらのシングルの大ヒットを背景にゴールド・ディスクを獲得。チャカ、ルーファス人気も再度高まった。一方、チャカは1978年からグループ活動とは別にソロ活動を始めており、チャカはソロ、グループ活動を別個に並行して行うようになっていた。

 

『マスタージャム』以降アルバム2枚はチャカなしのルーファスのみでリリース、レコード会社もそろそろチャカ入りの作品を出したがった。ところがソロ活動をメインにするチャカのスケジュールがなかなか取れない。チャカはもうグループとはやらずにソロに専念したい意向を持っていて、なかなかプロジェクトが進まなかった。そこで、次のアルバムをチャカのルーファスとしてのアルバムは最後にすること、そしてできるだけ負担を減らすために、ルーファス&チャカのライヴを録音して出そうというアイデアが固まった。ライヴ盤は2枚組にしてA面からC面まで3面を使いライヴを収録、D面、すなわち4面目でスタジオ録音の新曲を4曲ほどいれようということになった。

 

そしてこの「エイント・ノーバディ」をそのD面用に作ったが当初、グループ、ルーファスはそれほど気に入っていなかった。同時にウォリンスキーはこれをクインシー・ジョーンズにも聞かせていた。クインシーはこれを気に入り、ちょうどレコーディングしていたマイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』にいれようと考えた。

 

一方で、ルーファスのメンバーもそれほど気に入ってはいなかったが、とりあえず録音はした。

 

そして、ライヴ・アルバムのライヴは1983年2月ニューヨークのライヴ・ハウス、サヴォイでのものを録音することになった。

 

スタジオ録音曲は4曲用意され、そのうちの1曲が「エイント・ノーバディー」になる予定だった。そして、そうした素材が揃ったときに、レコード会社はどれを最初のシングルにするか考え、なんとメンバーのケヴィン・マーフィーが書いた曲を最初のシングルにしようかと考えた。それを聞いたホーク・ウォリンスキーは、「これ(「エイント・ノーバディー」)を最初のシングルにしなければ、この曲はマイケルに持っていく。ファースト・シングルにするか、マイケルのアルバムにいれるか、決めてくれ」と言って、結局レコード会社が折れ、この「エイント・ノーバディー」が晴れてアルバムからの第一弾シングルとなった。

 

おそらく1982年の秋口くらいの話だろう。もしこの「エイント・ノーバディー」がクインシーの手元にわたり、マイケルがこれを録音していたらいったいどうなっただろうか。

 

まちがいなくシングル・カットされヒットしていただろう。ホーク個人にとっては、『スリラー』に入ったほうがよかったかもしれないが、それは歴史の運命のいたずらだ。どっちがよかったのかはなんとも言えない。

 

個人的には、マイケルが歌うこの「エイント・ノーバディー」も聞いてみたいが…。

 

ルーファス&チャカのヴァージョン入り。

サヴォイでストンプ!

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チャカ・カーン&ルーファス ルーファス チャカ・カーン

ダブリューイーエー・ジャパン (1992-07-25)

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ピーボ・ブライソンのもの

Unconditional Love

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Peabo Bryson

Private Music (1999-04-27)

https://amzn.to/2N74mny

 

(この項続く)

 

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