〇「ソウル・サーチン・ラウンジ21回~デイヴィッド・マシューズさんを迎えて」(パート3) | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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〇「ソウル・サーチン・ラウンジ21回~デイヴィッド・マシューズさんを迎えて」~ミスター・ブラウンとの仕事(パート3)

 

【David Matthews Talks About Mr. James Brown】

 

エクスクルーシヴ。

 

毎月豪華ゲストを迎えてお送りしているいま、歌舞伎町で話題のトークイヴェント「ソウル・サーチン・ラウンジ」。その第21回が去る2017年6月23日、新宿のカブキラウンジでゲストに、ジェームス・ブラウンのアレンジャーでもあったデイヴィッド・マシューズを迎えて行われた。ミスター・ブラウンの元で実際に仕事をしていたマシューズの話は、実にリアルなトーク満載だった。今回は、その約2時間のトークを資料的価値も高いので、ほぼ全文を文字起こししてみた。1万字以上になるので、4回にわけてお送りする。ゆっくりお楽しみください。今日はそのパート3、パート1,2は3日前、おとといのブログをごらんください。

 

かけた曲のユーチューブ・リンクも貼っておきますのでそれをかけながらエピソードを読めば、ラウンジにいるかの如く再現されます。

 

~~~

 

 

「アフロヘア―はアフリカ発祥じゃないんだね」(デイヴ・マシューズ)

 

10分程度の休憩をはさんでの第二部。まず1曲かけながら、デイヴさんを再度呼び込み。

 

■基本スタジオが多かったが、たまにはツアーにも出向いた

 

M01      Get It Together ‐James Brown

https://www.youtube.com/watch?v=8ChJDV6_lm4

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――ジェームス・ブラウンのアレンジャーとして1969年から1975年ころまで活躍したデイヴィッド・マシューズさんをお迎えしています。デイヴさんに盛大な拍手を!

 

(拍手)

 

――デイヴさんは、基本的にはツアーには帯同しなかったのですか。

 

DM そうだ。基本はスタジオでのアレンジ、レコーディングが主な仕事だった。ただ年に何回かときどき、ツアーについて行ったこともある。その場合も、僕がする仕事は、各地のコントラクターというミュージシャンを手配してくれるエージェントのような人物に連絡して、その土地その土地のローカルでベストのミュージシャンを集めてリハーサルすることだった。ニューヨークやロスアンジェルス、シカゴといった大都市ではいいミュージシャンが揃うが田舎の街に行くと、なかなかいいミュージシャンがいなかったりするので、そういうときは大変だった。ただ僕も割とそういうコネはあったので、それぞれの土地でいいミュージシャンを集めたよ。予算によってホーン・セクションや、ストリングスを(ツアーに)連れて行くことが難しい場合、ローカル(現地)でそういうミュージシャンを雇う。そして本番前にリハーサルをして、準備万端にして、ミスター・ブラウンを迎えるというわけだ。ただそれほど多くはなかった。月に一回ツアーにでるかでないかだった。

 

――そんな中で、デイヴさんは1970年11月にアフリカに行かれてますよね。

 

DM そうだ、行った。何か国か回ったが、ナイジェリアの首都ラゴスのことはよく覚えている。どういう事情だったのかわからないが、なぜか現地のミュージシャンを雇おうとしたが、かなり高く断念した。1週間ほど滞在していたが、ライヴをやったのは1日だけだったように思う。印象に残っているのは、そこがちょうど内戦が終わった直後で、あちこちに軍服を着た血気盛んな若者があふれていたことだ。コンサート会場ではたぶん、1000人以上、軍人だったんじゃないかな。ラゴス空港には一目ジェームス・ブラウンを見ようと大勢の、たぶん、3-400人の現地の若者が集まっていた。人が集まりすぎていたので、ブラウン一行を通すために、観衆を左右に分けて、その真ん中を通そうとした。だが、若者たちは制止を振り切ってどんどんミュージシャンたちに寄ってくるんだ。すると、警官たちは彼らをこん棒で殴るんだ。ずいぶんと乱暴だなあと思ったよ。

 

そうだ、アフリカで思いだした。ブッツィー(・コリンズ=シンシナティー出身のベース奏者。のちにジョージ・クリントン軍団に入り、その後ソロ・アーティストとして活躍)がアフリカに行ったときのことだ。ブッツィーはものすごく大きなアフロヘアーをしてるだろう。僕は、アフロヘアーはアフリカから始まったものだと思っていたので、アフリカの人々はみなアフロヘアーをしているものと思っていた。ところが、あれはアメリカのものなんだね。ブッツィーがあのアフロヘアーでアフリカの街を歩くと、「なんで彼はあんなに髪の毛が長いんだ、あの人は女の人か?」と訊かれる始末だった。彼らにはあのようなヘアスタイルはとても珍しかったようだ。ブッツィーはこの世に存在する男の中でもっともファンキーな男だよ。

 

■伝説のライヴ・イン・パリにも参加

 

――また、ツアーの中では1971年3月のパリでのライヴにも帯同されてますよね。

 

DM そうだ。そのパリ(ライヴ・レコーディングのアルバムが残っている)にも行ったブッツィーはシンシナティーにいた若いミュージシャンで、僕がミスター・ブラウンに紹介した。ブッツィー、その兄キャットフィッシュ、ジャボ・スタークス、フレッド・ウェスリーらと一緒だった。僕はホーンとストリングスのアレンジ担当だった。

 

ハリー・ワインガー、先月ここに来たんだよね。僕もパリの現場にいたんだがおもしろいことが起こった。ハリーは、あのときの参加メンバーに、僕も含めてみんなに話を聞いてるんだ。僕が見たことはこうだ。ミュージシャンたちはステージにいてみんなごきげんな演奏をしている。すると一番前に立っている若い女性がシャツのボタンを少しずつはずし始めた。曲にあわせて盛り上がってくると、どんどんボタンをはずして、ついには全部脱いでしまい全裸になってしまったんだ。(笑) バンドのミュージシャンたちもあっけにとられて、その女性を凝視していた。パリのその事件のことを、ハリーがインタヴューした全員が同じようにハリーにその話をしていたんだよ。フレッド・ウェスリーは「あのおっぱいがいまだに目に浮かぶよ」と言っていた。(笑)

 

ライヴ・イン・パリ ‘71

posted with amazlet at 17.07.14

ジェームス・ブラウン

ユニバーサル ミュージック (2015-05-13)

https://goo.gl/adFnbU

 

DM ミスター・ブラウンとツアーをすると、彼が経営しているレストランに連れてってもらった。ミュージシャンみんなだ。気軽な店で、僕が「何が美味しいの?」と訊くと「チキンと豚の耳(hog’s ears)」と答えた。豚の耳は食べたことなかったけど、食べてみたよ。まあ、ソウル・フードかな。

 

――デイヴさんは、1970年代に入るとシンシナティーからニューヨークへ本拠を移しますね。ニューヨークではニューヨークのスタジオ・ミュージシャンを起用してレコーディングするようになります。そんな1曲を聴きましょう。ジェームス・ブラウンの「シンク」。

 

M02      Think – James Brown

(recorded 1973/1/22, 2/4) NY

https://www.youtube.com/watch?v=TToanTtrdhw

 

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――この「シンク」は、デイヴさんのアレンジですよね。ベースはゴードン・エドワーズ、ドラムスはスティーヴ・ガッドと言われています。このレコーディング・セッションは覚えていますか。1973年1月の録音です。

 

DM 覚えている。僕がもうニューヨークに移住してからの仕事だと思う。ゴードンは譜面は弱いんだが、実にいいグルーヴを作れる素晴らしい演奏者だ。ただ、ミスタッチも多くて、編集をパンチイン、パンチアウトで何度もやったよ。(その間違えた音符、箇所だけ再度録音し直すこと)

 

Singles 8: 1972-1973

James Brown

Hip-O Select (2009-12-21)

https://goo.gl/cykdpi

 

■デイヴィッド・ボウイの「フェイム」にそっくりなジェームス・ブラウンの「ホット」

 

――同じくニューヨークで1975年9月に録音された、スティーヴ・ガッド(ドラムス)、ウィル・リー(ベース)、レオン・ペンダーヴィス(キーボード)らが参加したとされる「ホット(アイ・ニード・トゥ・ビー・ラヴド・ラヴド・ラヴド・ラヴド)」があります。これは、その数か月前に大ヒットしたデイヴィッド・ボウイの「フェイム」にそっくりなんですが、このアレンジはデイヴさんです。これはどうやってできたんでしょうか。

 

DM 実は僕はそれまでデイヴィッド・ボウイのことはあまりよく知らなかったので、この「フェイム」もまったく知らなかった。ミスター・ブラウンが、「フェイム」(のレコード)を持ってきて、「これに似た曲を作れ、コピーしろ」と言ってきた。そのとき「フェイム」を初めて聞いたが、「フェイム」自体がジェームス・ブラウンのリズム・パターンを真似ているというか拝借しているように感じた。そこで、レコードをコピーして楽譜にした。そしてミュージシャンたちがやってきて、トラックをレコーディングし、ミスター・ブラウンが「フェイム」とは違うメロディーをそこに乗せて歌ったんだ。

 

――スティーヴ・ガッドらミュージシャンたちは、これが「フェイム」にそっくりだということは知ってると思うのですが、彼らはぱくってる、という意識とかはないんでしょうか。

 

(BGMでデイヴィッド・ボウイの『フェイム』)

 

BGM  Fame – David Bowie

https://www.youtube.com/watch?v=J-_30HA7rec

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Hot-James Brown

Hot (Sep 1975)

https://www.youtube.com/watch?v=6Vn--qcqxXI

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DM うーん、ないんじゃないかな。彼らはプロフェッショナルだから、楽譜に書かれたこと、言われたことを忠実にやる、そして、ギャラさえもらえれば何も気にしないよ。(笑)それと、この場合、元々の「フェイム」がジェームス・ブラウンのリズムに近い、似ている。そして、メロディーは違う。だから著作権上は問題ないはず。アレンジ、リズムに対しては著作権は発生しないんだ。

 

――僕はデイヴィッド・ボウイがジェームス・ブラウンを訴えなかったのは、相手がジェームス・ブラウンで怖いからなのかと思っていました。(笑)

 

DM いや、それはないだろう。(笑)

 

(パート4に続く)

 

Vol. 10-Singles 1975-79

James Brown

Hip-O Select (2011-03-01)

https://goo.gl/xmJ4c2

 

 

ENT>EVENT>SOUL SEARCHIN LOUNGE>20>Matthews, David

ENT>JAMES BROWN>Matthews, David