〇「ソウル・サーチン・ラウンジ21回~デイヴィッド・マシューズさんを迎えて」~ミスター・ブラウンとの仕事(パート4)
【David Matthews Talks About Mr. James Brown】
エクスクルーシヴ。
毎月豪華ゲストを迎えてお送りしているいま、歌舞伎町で話題のトークイヴェント「ソウル・サーチン・ラウンジ」。その第21回が去る2017年6月23日、新宿のカブキラウンジでゲストに、ジェームス・ブラウンのアレンジャーでもあったデイヴィッド・マシューズを迎えて行われた。ミスター・ブラウンの元で実際に仕事をしていたマシューズの話は、実にリアルなトーク満載だった。今回は、その約2時間のトークを資料的価値も高いので、ほぼ全文を文字起こししてみた。1万字以上になるので、4回にわけてお送りする。ゆっくりお楽しみください。今日はそのパート4、パート1,2、3は7月16日、17日、18日付けのブログをごらんください。
かけた曲のユーチューブ・リンクも貼っておきますのでそれをかけながらエピソードを読めば、ラウンジにいるかの如く再現されます。
~~~
ジェームス・ブラウンのレコードをかけながらいろいろな話を尋ねていくと、聴いたり話したりしているうちに、マシューズさんもいろいろなことを思い出すようになる。
■「ファンクの創始者」ジェームス・ブラウン
――ジェームス・ブラウンと言えば、「ファンクを生み出した人物」として知られます。ミスター・ブラウンからデイヴさんは、ファンクはこうやるものだ、ファンクのエッセンスはこれだ、よく彼が言うファンクの源泉である「オン・ザ(ジ)・ワン」(一拍目を強調するリズム・パターン、それによってファンクが生まれる)の話とか教わったりしましたか。
DM いや、直接あれこれ、ファンクについて教わったことはないんだ。「オン・ザ・ワン」もそのこと自体は後から聞いて知ってるが、当時はそんなことは少なくとも僕は教わらなかった。それより彼のライヴを見て、レコードを聴いて、ファンクとは何かを学んだ気がする。
ジェームス・ブラウンは「ファンク」をクリエイトした人物だ。彼は実はそうしたリズムを多くのラテン・バンドから取っている。だが、ほとんどのラテン・バンドは、「オン・ザ・ワン」でプレイしていない。ガ~ンガ、ガーンガ(とラテンのリズムを口でやる)という感じでね。でも、ジェームス・ブラウンはそれを「オン・ザ・ワン」でやった。それでファンクになったんだ。
――それは本当にイノヴェイティヴ(革新的)なことでしたね。
DM その通り。
■罰金は一度も課せられなかった
――ジェームス・ブラウンのステージなどで有名なのが罰金制度です。間違いを犯すと、ミスター・ブラウンが右手を広げて、そのミュージシャンを指さし「5ドルの罰金」を言い渡すわけですよね。あなたも、ステージにいたとき、またスタジオで一緒に仕事をしていて罰金を言い渡されたことはありますか。
DM 僕はプロフェッショナル・ミュージシャンなので、絶対にステージでは間違えないように集中していた。万一、間違えてそれがミスター・ブラウンに見つかったら(このミスター・ブラウンの)仕事を辞めるしかない。そして、辞めるにはあまりにもったいないくらい素晴らしい仕事だったので、絶対に辞めたくなかった。だから、絶対に間違えなかった。一度も罰金を言われたことはないよ。あと、ミュージシャンたちはジェームス・ブラウンの会社のペイロールに乗ってるから(週給をもらっている)、そこから罰金が引かれたんだろうが、僕はある意味、フリーランスだったので、毎週の給料はもらっていなかったからちょっと違うのかもしれない。
――では、あなたは、ジェームス・ブラウンを怒らせたりしたことはありませんか。
DM ない。僕は一度も彼の前で間違ったことはしてない。「ほんとにがんばった」(日本語で) 彼がもし僕に怒鳴ったりしたら、僕はバンドを辞めただろう。つまりお互いリスペクトしていたから、僕も彼に対して怒ったりしなかったし、彼も僕に対して怒ったりしなかったんだと思う。
「僕は一度も罰金を課せられたことはなかった」(ミスター・ブラウン)
――時間も迫ってきたんですが、もう1曲、かけたいですね。「アイ・ガット・ア・バッグ・オブ・マイ・オウン」あたりどうでしょう。
DM これも僕がアレンジした。実はこれにもストーリーがあるんだ。ジェームス・ブラウンがあるとき、(彼の1965年の大ヒット)「パパズ・ガット・ア・ブランニュー・バッグ」を持ってきて、これをアレンジしてくれ、と言った。それで僕は曲を聴いて音を取り、アレンジして譜面に起こした。そして、これもゴードン・エドワーズのベースや、ランディ&マイケル・ブレッカーらニューヨークのスタジオ・ミュージシャンが録音に参加している。そして、この「パパズ…」のトラックができあがったら、ミスター・ブラウンがやってきて、その上に全然違うメロディーと歌詞をのっけて歌ったんだよ。そうして出来上がったのが、この「アイ・ゴット・ア・バッグ・オブ・マイ・オウン」なんだ。だからこの「アイ・ガット~」をかけると、ちゃんと「パパズ~」の歌詞が乗ってはまるんだよ。
――へえ、それは知らなかった。ということはジェームス・ブラウンは自分の作品もぱくっていたということになりますね。自身の曲をコピーしろ、というわけですよね。
DM そうだ。(笑) ジェームス・ブラウン・コピーズ・ジェームス・ブラウン! ニューヨークのセッションでも、他の地域のセッションでも、その地域のベストのミュージシャンを選んで使っていた。ニューヨークのベスト・ミュージシャンということは、世界一のミュージシャンと言ってもいい。一方、ツアー先のローカルなミュージシャンは、特にホーン・セクションがみんな下手でなかなか苦労した。ちなみに僕は、ジェームス・ブラウンのバンドリーダー(音楽監督)ではない。音楽監督という意味では、一番上はジェームス・ブラウンだが、バンドのリーダーとしては、僕の前はピー・ウィ・エリスだった。僕の仕事はしいていえば、ホーン・セクションとストリングス・セクションがあれば、それらでいいミュージシャンを集め、リハーサルをして、本番でちゃんとその部分を演奏させる、ということだった。
I’ve Got A Bag Of My Own – James Brown
https://www.youtube.com/watch?v=lxJ1q3o-_gE
<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/lxJ1q3o-_gE" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
Papa’s Gotta A Brand New Bag – James Brown
https://www.youtube.com/watch?v=QE5D2hJhacU
<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/QE5D2hJhacU" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
■CTI/KUDUからの引き抜き
――ジェームス・ブラウンのところには1975年までいるわけですね。どうして、ミスター・ブラウンのところを辞めたのでしょう。そのとき、ミスター・ブラウンに相談したのですか。あるいは、辞めるとジェームス・ブラウンが怖いとか、不安はありませんでしたか。
DM ちょうどその頃、たまたまだと思うが、ジェームス・ブラウンからの仕事が2-3か月なかった。僕は基本的にはフリーランスだったので、特に(ブラウンから)契約に縛られていたわけではなかった。そんなときクリード・テイラーのCTI/KUDUレコードからアレンジャーとして、レコーディング・アーティストとしてエクスクルーシヴ(独占で)契約したいというオファーがあった。それがけっこういい金額だったので、僕は受けることにした。そして最初にてがけたのが、ロン・カーター(ジャズ・ベース奏者)の「エニシング・ゴーズ」(1975年)だった。それからしばらくして、ミスター・ブラウンのところから仕事の依頼が来たんだが、これこれしかじかでCTIと専属契約をしたので、そちらの仕事ができなくなってしまった、と伝えた。彼は残念がっていたが、しょうがなかった。(こちらのCTIとの)契約が独占だったからね。
それからしばらくしてから、ニューヨークのレディオ・シティー・ミュージック・ホールでジェームス・ブラウンのライヴがあった。前を通ると、顔見知りのミュージシャンがいて楽屋に案内してくれた。ミスター・ブラウンはいろんな人との挨拶で忙しそうだったが、僕を見ると、声をかけてくれ、こう言ってくれた。あの一言は忘れられない。「ミスター・マシューズ、アイ・ラヴ・ユー・フォーエヴァー(君のことはずっと好きだよ)」 だから彼とはずっといい関係だったと思っている。
ただ、彼を「友達」と言えるかどうか、彼が僕を「友達」と呼ぶかどうかはちょっとわからないな。一体どんな人間なら、ミスター・ブラウンと友達になれるのだろう。
ミスター・ブラウンのコンサートではいくつも思い出がある。同じニューヨークのアポロ・シアターでのライヴだったと思う。あそこにはステージから(楽屋のほうに)降りてくるらせん階段があるんだが、そこでモハメド・アリを見た。彼はとても大きいんだ。写真を撮ったりはできなかった。話かけることもできなかったけどね。
ジェームス・ブラウンのところを辞めた後も、いろんな仕事をした。(ヒップ・ホップの)アフリカ・バンバータと初めて会ったときのことだ。彼はとても僕にナイスで、「(俺のことは気楽に)バムと呼んでくれ」と親しくしてきた。そこで自己紹介しようとしたら、「僕はジェームス・ブラウンが大好きなので、あなたのことは知っています」と言ってくれた。
ニューヨークでは、いろいろな仕事をした。ハリー・べラフォンテが映画『ビート・ストリート』というのをてがけていたとき、その音楽監督をやった。
■「80%ビジネスマン、20%ミュージシャン」
――ジェームス・ブラウンから何か大きなプレゼント、贈り物とかされたことはありますか。車とか、家とか。
DM いや、特にないな。仕事をしたときの金だけだな。曲ごとの支払いだった。(笑)
――ジェームス・ブラウンのところにいた間で一緒にやって特に思い出深い曲とかありますか
DM (しばらく考えて)一曲には絞れない。思いうかばないなあ。全部だ。ファンキーな曲もそうでない曲も全部だ。
――1970年代にはいってジェームス・ブラウンのレコードのアレンジャーとしてデイヴィッド・マシューズという名前がでてくるようになってきました。そのあなたが、CTI/KUDUでアルバムを出したときに写真が出て、それが白人であることに大変びっくりしました。その他の音楽関係者もきっと、それを知らなかった人は、驚いたことだと思います。ミスター・ブラウンはなぜ白人のあなたをアレンジャーとして起用したのだと思いますか? ただ、たまたまそういうことになったのでしょうか。
DM たしかにたまたまそうなったという面もあると思う。ただ、今日最初に聴いた「エニー・デイ・ナウ」のようなアレンジがあったが、ジェームス・ブラウンは常に白人のマーケットに入り込みたいと考えていた。あれはまさにそれを狙っていて、そのために白人のアレンジャーの力を借りようと思ったのかもしれない。確証はないけどね。ジェームス・ブラウンはかつて僕に「自分は20%ミュージシャンで、80%ビジネスマンだ」と言っていた。(笑)それと、ジェームス・ブラウンのバンドのトランペット・プレイヤーが確か白人だよね。ホリス、だったっけ。
――ジェームス・ブラウンの女性シンガー、ヴィッキー・アンダーソン、リン・コリンズ、マーサ・ハイなどにも会ってますよね。レコードも作ってる。
DM そうだ。ただマーサ・ハイは、一度辞める頃じゃなかったかな。ヴィッキーやリンのレコードは作った。「ロック・ミー・アゲイン」(リン・コリンズ)のアレンジはやった。ヴィッキーは2-3曲、アレンジをやった。ヴィッキーはそのとき、アルバムを作りたがっていた。彼女のアルバムっていうのは出たのかな。ヴィッキーはボビー・バードの奥さんだ。
――ヴィッキーのアルバムは、そのときは出てないと思います。
DM 誰かがジェームス・ブラウンの映画『ゲット・オン・アップ』のDVDをくれたんで見たが、そこで初めてジェームス・ブラウンとボビー・バードの関係を知ったよ。(笑)全然彼らの関係は知らなかったんだ。僕がいたころ、ボビー・バードはかならずジェームス・ブラウン・ショーにいたからね。
■MJQ=マンハッタン・ジャズ・クインテット
――デイヴィッド・マシューズさんは、ジェームス・ブラウンのファミリーを辞めた後、CTIにやってきて、アレンジャー、アーティストとして多くの作品をだしました。特に日本ではMJQ、マンハッタン・ジャズ・クインテットとして40枚近くのアルバムをだしています。ちょうど今週、最新作『スゥイングしなけりゃ意味ないね』がでました。そこから最後に1曲、かけましょう。ジェームス・ブラウンのインスト作品としてもしられる「チキン」です。
DM 「チキン」はピー・ウィ・エリスの作品だ。
M07 Chicken – Manhattan Jazz Quintet
――今日はどうもありがとうございました。ミスター・デイヴィッド・マシューズ!!
(拍手)
MJQ最新作、毎月1作ずつCDを3か月連続で出していきます
スウィングしなけりゃ意味ないね
マンハッタン・ジャズ・クインテット
Singles 6: 1969-1970
James Brown
Hip-O Select (2009-01-27)
~~~
デイヴ・マシューズさん率いるマンハッタン・ジャズ・クインテットは
9月にビルボードライブ東京、大阪でライヴがあります。
ビルボードライブ東京
2017年9月14日(木)19時、21時半
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=10544&shop=1
ビルボードライブ大阪
2017年9月20日(水)18時半、21時半
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=10545&shop=2
ENT>EVENT>SOUL SEARCHIN LOUNGE>20>Matthews, David
ENT>JAMES BROWN>Matthews, David