〇「ソウル・サーチン・ラウンジ21回~デイヴィッド・マシューズさんを迎えて」~(パート2) | 吉岡正晴のソウル・サーチン

吉岡正晴のソウル・サーチン

ソウルを日々サーチンしている人のために~Daily since 2002

〇「ソウル・サーチン・ラウンジ21回~デイヴィッド・マシューズさんを迎えて」~ミスター・ブラウンとの仕事(パート2)

 

【David Matthews Talks About Mr. James Brown (Part 2)】

 

エクスクルーシヴ。

 

毎月豪華ゲストを迎えてお送りしているいま、歌舞伎町で話題のトークイヴェント「ソウル・サーチン・ラウンジ」。その第21回が去る2017年6月23日、新宿のカブキラウンジでゲストに、ジェームス・ブラウンのアレンジャーでもあったデイヴィッド・マシューズを迎えて行われた。ミスター・ブラウンの元で実際に仕事をしていたマシューズの話は、実にリアルなトーク満載だった。今回は、その約2時間のトークを資料的価値も高いので、ほぼ全文を文字起こししてみた。1万字以上になるので、4回にわけてお送りする。ゆっくりお楽しみください。今日はそのパート2。パート1は昨日付のブログをごらんください。

 

かけた曲のユーチューブ・リンクも貼っておきますのでそれをかけながらエピソードを読めば、ラウンジにいるかの如く再現されます。

 

~~~

 

■自分で初めてミスター・ブラウンのために書いた曲

 

デイヴィッド・マシューズ(DM)  ここ(進行表)に書かれている「イッツ・クリスマス・タイム」は、僕が最初にミスター・ブラウンの元で書いた曲だ。ちょうどこのとき、(1969年8月頃)、ミスター・ブラウンは年末に出す『クリスマス・アルバム』を作っていた。それで何か『曲を書け』というので、これを書いた。歌詞? それも僕だ。僕にとってはとても光栄なことで、すごくうれしかった。それでその年末にレコードが出た。当然、作詞作曲家のクレジットに僕の名前があると思ったら、なんとそこには僕の名前はなく、James Brown と Bud Hobgood (バド・ホブグッド)という名前が書かれていた。バドは、実在の人物なんだが、マネージャーのようないろいろ雑事をやるスタッフの一人だった。ミスター・ブラウンに尋ねたんだ。『なぜ、僕が書いたのに、僕の名前はないんですか?』と。するとミスター・ブラウンは言った。『いいか、ショービジネスの世界では盗みは当たり前なんだ。だけど、お前はファミリーからものを盗んではいけないぞ』って」

 

――(笑) ええっ、デイヴさん、あなただってミスター・ブラウンのもはやファミリーでしょうが。(笑)ミスター・ブラウンらしいといえばらいしいが。

 

DM そうだよね。(笑)

 

――ではその「イッツ・クリスマス・タイム」を聴きましょう。1969年8月に録音されたものです。

 

M04  It’s Christmas Time – James Brown

(recorded 1969/8/13)

https://www.youtube.com/watch?v=7d2fxwmOhyc

<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/7d2fxwmOhyc" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

 

――結局、この曲からの印税はもらえなかったわけですか。

 

DM もらえなかったと思う。(笑)  

 

「お前はファミリーから物を盗んではいけないぞ。(俺はいいけどな)」(ミスター・ブラウン)

 

――歌詞もデイヴさんが書いているとすると、これはカヴァー曲ではなく、オリジナルの新曲ということで、ミスター・ブラウンはその場ではまだ(曲や、メロディー、歌詞を)覚えてないですよね。スタジオでは歌詞カードを譜面台に置いて歌ってたんでしょうか。

 

DM う~~ん、確かに歌詞カードは譜面台に置いていたかもしれない。だが、ひとつ言っておきたいのはこの場合、僕がミスター・ブラウンに歌詞を教え、メロディーを歌って教えたということだ。ミスター・ブラウンは譜面を読まないからね。

 

――ええっ、じゃあ、デイヴさんもミスター・ブラウンに歌唱指導した男ですか!

 

DM 確かにそうなんだが、一つ言えることは、譜面が読めないミュージシャンは曲覚えが異様に早いということだ。だからほとんど一回だけで曲を覚える。ミスター・ブラウンもすぐ覚えた。歌詞カードは譜面台のところに置いていたとは思う。そのあたりはよく覚えてないんだが…。

 

■フリーランスのアレンジャー

 

――当時、デイヴさん、あなたはジェームス・ブラウン・エンタープライズに雇われて、そこからサラリーをもらっていたのでしょうか、それとも、曲をアレンジするごとにいくらという感じでギャラをもらっていたのでしょうか。

 

DM 僕はずっとフリーランスで仕事をしていて、(ジェームス・ブラウン)エンタープライズのペイロール(給料)に乗ったことはないんだ。1曲いくらという感じだよ。

 

――どれくらいだったんですか。それはまあまあの金額でしたか。

 

DM 1970年代初期としてはリーズナブルだったと思う。僕は周りの連中(アレンジャー)にいくらくらいギャラを請求すればいいか尋ねたら125ドルくらいじゃないか、と言われたので、1曲ごとに125ドルを請求したよ。同時の僕にとっては、けっこうな金額だった。

 

――当時は、たぶん1ドル360円ですね。(だいたい当時の日本円にして4万5千円くらい。1970年の日本での大卒初任給は3万9900円ほどだから、1曲アレンジするだけで、1月分の給料を稼いだことになる)

 

DM そうだ。何曲もやればけっこういい金額になった。

 

――続いて1969年10月から70年の1月にかけてレコーディングされたレイ・チャールズの「ジョージア・オン・マイ・マインド」のカヴァーをかけましょう。

 

DM  これはね、途中のリフ・アレンジが最高にかっこよくて自分でもとても気に入ってるんだ。サビのあとのリフだ。

 

――ではそこを聴いてみましょう。

 

M05  Georgia On My Mind-James Brown

(recorded 1969/10-January 4, 1970, King Studios)

2分40秒あたりの、ホーン・セクションがアクセントをつけるところ。

https://www.youtube.com/watch?v=-ODbyzGamkk

 

<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/-ODbyzGamkk" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

 

――もう一曲素晴らしいバラードがあるので、かけたいのですが、「アイ・クライド」、これは覚えていますか。

 

DM 覚えている。

 

M06  I Cried

(recorded Feb 14, 1970,  King Studio, Cincinnati, OH)

https://www.youtube.com/watch?v=e9zY6a9L78Q

<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/e9zY6a9L78Q" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

 

――途中のピアノは、デイヴさん?

 

DM そうだ。ミスター・ブラウンは僕がやったアレンジにケチをつけたり不満を言うことはなかった。今から思えば、きっとある程度は(僕のアレンジを)気に入ってくれてたんだろうと思う。ミスター・ブラウンは、僕以外にも何人かアレンジャーを使っていた。たぶん、レコーディングするスタジオの近くのアレンジャーをピックアップしていたんだろう。サミー・ロウというアレンジャーがいて、僕は直接会ったことはないが、彼は「イッツ・ア・マンズ・マンズ・ワールド」をアレンジした人物だ。

 

――実はこれ、昨年のNHK-FMの『ジェームス・ブラウン三昧』のときに、山下達郎さんが、一番好きなバラードとして紹介されていたんです。では第一部はこの辺で。10分くらいお休みして第二部もさらにいろんなお話をお伺いしたいと思います。

 

(パート3へ続く)

 

ENT>EVENT>SOUL SEARCHIN LOUNGE>20>Matthews, David

ENT>JAMES BROWN>Matthews, David