〇「ソウル・サーチン・ラウンジ21回~デイヴィッド・マシューズさんを迎えて」~ミスター・ブラウン | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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〇「ソウル・サーチン・ラウンジ21回~デイヴィッド・マシューズさんを迎えて」~ミスター・ブラウンとの仕事(パート1)

 

【David Matthews Talks About Mr. James Brown】

 

エクスクルーシヴ。

 

毎月ソウル・・ミュージック関連の豪華ゲストを迎えてお送りしている、いま歌舞伎町で話題のトークイヴェント「ソウル・サーチン・ラウンジ」。その第21回が去る2017年6月23日、新宿のカブキラウンジでゲストに、ジェームス・ブラウンのアレンジャーでもあったデイヴィッド・マシューズを迎えて行われた。ミスター・ブラウンの元で実際に仕事をしていたマシューズの話は、実にリアルなトーク満載だった。今回は、その約2時間のトークを資料的価値も高いので、ほぼ全文を文字起こししてみた。1万字以上になるので、4回にわけてお送りする。ゆっくりお楽しみください。

 

かけた曲のユーチューブ・リンクも貼っておきますのでそれをかけながらエピソードを読めば、ラウンジにいるかの如く再現されます。

 

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当日はいつもの通り、1曲今月話題の曲をかけてから、マシューズさんを招き入れた。その1曲はRIRIの”Rush”で、さすがに耳の超えたここラウンジのお客さんも驚かれていた。今回からゲストを迎える場所をDJブースの前に設置し、ゆっくり座って話ができるようにした。通訳はいつもの通り、早瀬みゆきさん。

 

思い出。

 

――まず、デイヴィッドさんはどのようにしてジェームス・ブラウンのところで仕事をするようになったのですか。

 

デイヴィッド・マシューズ (以下DM) まず、最初に断っておきたいんですが、なにしろミスター・ブラウンと仕事をしたのは40年以上前のことなので、正確に覚えていないことなどもあります。その点はご理解ください。

 

僕は生まれはケンタッキー・ルイヴィルの近くのソノラなんだが(1942年3月4日生まれ)、10代半ばでシンシナティーの大学に行くためオハイオ州シンシナティ―に移り住んだ。親が教会のプリ―チャー(宣教師)の仕事をしていたので、ほぼ3年ごとに引っ越しをしていた。シンシナティーの前は、ドイツやイタリアを周っていた。シンシナティーに引っ越した頃、すでにキーボードを演奏するようになっており、当時はフリージャズをやっていた。シンシナティーで友人とザ・ソウル・マスカリンというバンドをやって、シンシナティーのクラブで週何回かプレイしていた。1968年か69年あたりのことだと思う。(26歳、27歳くらい) 僕らはけっこう人気があった。ジェームス・ブラウンが所属していたキング・レコードはシンシナティーにあったので、その関係者がよくクラブにやってきた。そこで僕らの演奏を聴いて気に入ってくれたようだった。確かチャールズ・バビット、ジェームス・ブラウンのマネージャーだったと思うが、一度、デモ・テープを録ろうということになり、キングのスタジオに行って6曲くらいレコーディングした。レコーディングがほぼ終わると、ミスター・ブラウンが現れた。そして、その録音したテープの頭の10秒くらいを再生して、次々と、頭の10秒くらいだけを聴いていった。ミスター・ブラウンはそれらはあまり気に入らないようだった。ミスター・ブラウンは、「that ain’t hip, but that’s straight」と言った。(「かっこよくない、真正直なジャズだ(ストレートなジャズだ)」と言った意味) つまり、気に入ってくれなかった。すると、ミキサーかエンジニアの男が、3曲目の真ん中あたりがかっこいいからぜひ聴いてみてください、と言った。彼がそこを再生するとミスター・ブラウンが気に入ってくれた。そしてアドヴァイスをくれた。「いいか、一番いいところは、(曲の)一番頭にもってこい、そうしないと、真ん中じゃ、誰も聴かないぞ」 結局、このデモ・テープのおかげでミスター・ブラウンに僕のことを覚えてもらって、アレンジの仕事が来るようになったんだ。確か、そのとき、『君は、ファンキーな曲のアレンジはできるか』と訊かれた。自分は今まで(ほとんどジャズばかりやっていたので)そういうのはやったことがなかったが、(ミュージシャンの)友達が『このデイヴは何でもできるんですよ。彼はなんでもできます』と言ってくれたので、自分でも『できます』と答えた。それからしばらくしてから、ミスター・ブラウンのマネージャーから連絡があった。初めててがけたセッションが「エニー・デイ・ナウ」、バカラックの曲のカヴァーだ。

 

「いいか、曲の一番いいところは、一番頭にもってこい。そうしないと、誰も聴かないぞ」(ミスター―・ブラウン)

 

――ではその「エニー・デイ・ナウ」を聴きましょう。

 

M02  Any Day Now – James Brown

(recorded 1969/4/21-22-23)

https://youtu.be/hyArOW6i5bY

 

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――この他に「Bewildered」という曲もあります。どちらも1969年4月に録音されています。

 

DM  あ、それは、同じときのセッションだね。覚えてるよ。

 

■ミスター・ブラウンはトラック録音のときには来ない

 

――ミスター・ブラウンはそのレコーディング・セッションには来るのですか。

 

DM トラック(カラオケ)を録音しているときには、基本的には来ない。彼が来るのは、トラックができて、ヴォーカルをいれるときだけだ。彼は僕のアレンジを気に入ってくれていたようだった。

 

――ということは、アレンジについて、あれこれデイヴさんに指示とかはしないんですか。

 

DM 基本的に、それはない。お任せという感じだ。ただ、曲のポイントのリフなんかをいれるときにちょっとした指示があることはある。基本的に、僕がやる仕事は、その録音する地域でベストのミュージシャンを集めて、トラックを作るということなんだ。

 

――JB’sなど、いつもやっているバンドでのレコーディングはてがけなかったのですか。

 

DM 彼らは常にミスター・ブラウンとツアーにでている。その彼らのレコーディングにはかかわらなかった。僕は、彼がツアーにでているときに、トラックを地元のミュージシャンを使って作って、戻ってきたときに、ヴォーカルを録れるようにしておくのが仕事かな。だから、JB’sや彼らをレコーディングすることはほとんどなかった。

 

――では、最初にデイヴさんがてがけたもう1曲「ビーウィルダード」を聴いてみましょう。

 

M03  Bewildered – James Brown

 (recorded 1969/4/12-22-23)

https://www.youtube.com/watch?v=hjuIofViNFQ

<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/hjuIofViNFQ" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

 

――「ビーウィルダード」でした。

 

(パート2へ続く)

 

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Singles 6. 1969-1970

James Brown 
Hip-O Select (2009-01-27)

https://goo.gl/nTsuQT

 

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次回ソウル・サーチン・ラウンジ22回は、7月19日(水)、ウッディー・ファンク、セルジオ武藤を迎えて

http://ameblo.jp/soulsearchin/

 

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デイヴ・マシューズさん率いるマンハッタン・ジャズ・クインテットは

9月にビルボードライブ東京、大阪でライヴがあります。

 

ビルボードライブ東京

2017年9月14日(木)19時、21時半

http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=10544&shop=1

 

ビルボードライブ大阪

2017年9月20日(水)18時半、21時半

http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=10545&shop=2

 

ENT>EVENT>SOUL SEARCHIN LOUNGE>20>Matthews, David

ENT>JAMES BROWN>Matthews, David