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■『マイケル・ジャクソン全記録1958-2009』
エイドリアン・グラント著、吉岡正晴・監修・訳
帯・西寺郷太
発行・株式会社ユーメイド
定価 1900円+税=1995円
版型 四六版 508ページ、カラー16ページ
発売日 2009年11月10日 


圧倒的な事実の積み重ねの向こうにしか、「本当のマイケル」は見えてこない。 『マイケル・ジャクソン全記録 1958-2009』


マイケル・ジャクソン全記録 1958-2009
エイドリアン・グラント ユーメイド


■ マーヴィン・ゲイ唯一の自伝・伝記

『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』

(デイヴィッド・リッツ著)ついに日本語版登場


名作「ホワッツ・ゴーイング・オン」はこうして生まれた

マーヴィンのソウルはなぜ引き裂かれたのか、その真実のすべて


この目は嘘をつかない、この目は真実を語る


マーヴィン・ゲイ 引き裂かれたソウル
デイヴィッド・リッツ
ブルース・インターアクションズ
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November 22, 2009 00:53:42 soulsearchinの投稿

■アシュフォード&シンプソン(パート3):インタヴュー:モータウンでは「スピード」が必要だ

テーマ:インタヴュー
■アシュフォード&シンプソン(パート3):インタヴュー

(昨日からの続き)

【Ashford & Simpson: Said "Speed Is Important At Motown"】

スピード。

モータウンの成功についてニックが言う。「ベリー・ゴーディーが生み出した『サウンド・オブ・ヤング・アメリカ』というコンセプトがとても生きていたと思う。もちろん、それを支える素晴らしいソングライター、プロデューサー、素晴らしい歌手たち、素晴らしい楽曲。すべてのコンビネーションがうまく行ったんだ。一番の大きな要因は、その楽曲をしっかり歌えるシンガーがいたということだと思う。今の時代は、とてもトリッキーなシンガーが多いだろう。あの頃は違った」

ヴァル。「あの頃、モータウンで私たちは驚くべきことに、クリエイティヴ・コントロール(何かを好きにクリエイトする自由)があったのよ。曲のここをこうしろ、ああしろ、サウンドはこうしろ、なんてことは滅多に言われなかった。私たちも『こうしたほうがいいかしら』などと彼らに尋ねることもなかった。私たちは出来上がったサウンドのマスターを彼らに渡すだけ。で、ほとんどの場合、そのマスターがそのままリリースされていた」

ニック。「モータウンで心がけなければならなかったことのひとつは、『スピード』だ。モータウンには多くのシンガー、アーティストがいる。だから、いい曲をすぐに作って、すぐにリリースしないといけない。早く曲ができないとダメなんだ。みんな、たとえば、1日で3曲レコーディングしたいと思っている。スタジオでぐずぐずしているヒマはないんだよ。(笑)すぐに終えなければならない。そして、最終段階ではベリー・ゴーディーが『クオリティー・コントロール』(品質管理)をするというわけだ。早くても、ダメな作品はダメ、ということだね」

モータウンは印税率が低いことで評判だった。たとえば、モータウンきってのプロデューサー・チームで多くの傑作を生み出したホランド・ドジャー・ホランドは、その印税率の低さを不満に思い、モータウンを辞めて独立、ホットワックス/インヴィクタス・レコードを自ら立ち上げる。ノーマン・ウィットフィールドも、モータウンを辞めたり、アーティストたちも徐々に去っていくようになる。アシュフォード&シンプソンも1973年までにはモータウンを去る。やはり、モータウンの印税は低かったのが辞めた理由なのだろうか。

ニックが慎重に言葉を選ぶ。「モータウンは独特のビジネスのやり方があってね。これは有名な話しだが、最初モータウンと契約するときは、契約書をモータウンのオフィースから持ち出せない。だから、僕らは僕らの弁護士と相談することもできない。サインするか、しないか、だけなんだ。僕たちはまだ当時まったく何も知らない新人だったから、そして、モータウンで曲が書けるということに大喜びしていたので契約書にサインするしかなかったというわけだ(笑)」

ヴァル。「モータウンはあの時代、あらゆるもののトップに君臨していた。アーティストをプロデュースすること、曲を書くこと、シンガーたち。私たちは何も知らなかった。モータウンという名前が大きく輝いていたのね。そしてある部分は、ビッグ・シークレット(大きな秘密)だった。そこを私たちは知ることはなかった。でもその秘密があっても、モータウンはそれが機能していた。ひじょうにうまく機能していたのね、何年も、何年も」

あなたたちが、モータウンを去ったのはやはり同じ理由なのでしょうか。

ヴァル。「いや、基本的には、私たちが去ったのは、契約期間が切れたから、ということね。でも、私たちは(ソングライターとしての)契約が切れた後も、ダイアナ・ロスのプロジェクトをてがけたり、曲を提供したり、それからダイナミック・スペリアーズといったグループをプロデュースしたり、いろいろ仕事はしていて良好な関係なのよ」

ニック。「僕たちはモータウンに対して怒ったりしてないよ。(笑) 僕たちは『モータウン・カレッジ』をハッピーに『卒業』したんだ、ははは」

モータウンでソングライターとして成功を収めたアシュフォード&シンプソンは、約7年のモータウン時代を「卒業」し、アーティストとしてワーナー・ブラザースと契約する。

ヴァル。「ワーナー時代も楽しい時代だったわ。もちろんこの時代にも多くのことを勉強した。ファースト・アルバムは、今でも誇りに思っている。もっともあの頃は、私たち自身、何をどうすればいいかまったくわからなかったんですけどね(笑) ワーナーに来て、『センド・イット』のアルバムが、私たちの最初のゴールド・アルバムね」

ファースト・アルバム『ギミ・サムシング・リアル(Gimme Something Real)』は1973年10月にリリースされた。『センド・イット』は1977年にリリースされた5枚目のアルバムだ。

「ちょうどその頃からライヴをやるようになり、ツアーを始めた。アーティストとしてのヒット曲を作る、ということが大きな目標になってきたんだ」

先にダイナミック・スペリアーズの名前が出たので、彼らに尋ねた。「ダイナミック・スペリアーズの「シュー・シュー・シャイン」は僕の大好きな曲のひとつですが、これはあなたたちはステージではやらないのですか?」

ヴァル。「あらあ、これはやったことはないわ」 「なんでやらないんですか」と僕。ニック。「やってないなあ。考えたことなかった。でも、じゃあ、そう言うなら、こんどやってみようか」「じゃあ、次回の来日のときでも、ぜひお願いします」

他にも聴きたい曲はたくさんある。そして、他にも訊きたいことはたくさんあったが、あっという間に予定の20分が過ぎた。

◎ アシュフォード&シンプソン・ライヴは、今日(2009年11月22日)まで東京ブルーノートで。
http://www.bluenote.co.jp/jp/index.html

■ アシュフォード&シンプソン、初来日ライヴ評
November 20, 2009
アシュフォード&シンプソン:ストーリーを聴かせるライヴ (パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10392434386.html

November 21, 2009
アシュフォード&シンプソン (パート2): インタヴュー
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20091121.html

■ ダイアナ・ロスの「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」ほか、アシュフォード&シンプソン作品も多数収録のベスト

ベスト・オブ・ダイアナ・ロス(来日記念盤)
ダイアナ・ロス&シュープリームス
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■ 「シュー・シュー・シャイン」は今、このアルバムに入ってます。

BRIO Presents ソウル・バー~スタンダード・ソウル・セッション
オムニバス ビリー・プレストン ダイナミック・シューペリアス テルマ・ヒューストン シュープリームス レイ・グッドマン&ブラウン ピーチズ&ハーブ フローターズ マーヴィン・ゲイ スティーヴィー・ワンダー ダイアナ・ロス&シュープリームス-アンド・テンプテーションズ
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ENT>ARTIST>Ashford & Simpson
November 21, 2009 02:51:50 soulsearchinの投稿

●アシュフォード&シンプソン (パート2): インタヴュー

テーマ:インタヴュー
●アシュフォード&シンプソン (パート2): インタヴュー

【Ashford & Simpson Talks】

夢。

ニューヨークの小さなアパートの部屋で見よう見まね、聴きよう聴き真似で曲を作っていた夫婦のニック・アシュフォードとヴァレリー・シンプソン。1960年代から売れっ子ソングライターとなり、1970年代には自身でヒット曲を出すアーティストとなった。僕は彼らの作り出すメロディーが大好きで、1985年と1986年にニューヨークでインタヴューをしたことがある。ライヴはロスアンジェルスのユニヴァサール・アンフィシアターで見た。来日は初。再会は23年ぶりということになるが、仲良し夫婦ぶりはまったくかわらなかった。

インタヴューの部屋に現れた二人はソファにぴったり寄り添って、質問にてきぱきと答えていく。

「モータウンとのきっかけは、元々はホランド・ドジャー・ホランドからだった。彼らが僕らが作ったテープを聴いてね。『この歌、全部君たちが作ったのか、このトラック、全部作ったのか、歌詞もか』と言って、ずいぶん驚いた様子だった。そして彼らが(モータウン社長の)ベリー・ゴーディーに僕らのことを話したんだ。その後の話は、昨日ステージで話した通りだよ。(笑) ミスター・ゴーディーから連絡があったときは、大いに喜んだよ」とニック。

ヴァルが言う。「モータウン・ファミリーに入るのは、ソングライターの夢よ。ソングライターなら皆それを夢見ていたわ」

ニック。「(モータウンでは)本当に多くのことを学んだ。そして競争が厳しかった。本当に『ベスト』でなければならない。あるとき、モータウンで有名な『クオリティー・コントロール会議』(作品評価会議、直訳では品質管理会議)に出席したことがあった。その曲が(翌週モータウンから)リリースされるか、どうか、決める会議だ。そのときは、まずスモーキー・ロビンソンの曲が提出された。『もうちょっとだな』と言われた。ノーマン・ウイットフィールドの曲が出された。『もう少しだな』 そして僕たちが書いた曲が流された。僕はものすごくナーヴァスになった。出席者はとても静かになった。するとベリー・ゴーディーが言った。『この曲は投票は必要なさそうだな。すぐ、プレス工場へ送れ』 その曲は、『ユー・アー・オール・アイ・ニード・トゥ・ゲット・バイ』だった」

ヴァル。「私はその会議には出席してなかったんだけどね。私たちもそんなにたくさんその会議に出席したわけではないのよ。私たちはニューヨークに住んでいたから。2-3ヶ月に1回くらいしかデトロイトには行かなかった」

曲を書くパターンは決まっていない、という。ニック。「誰かが、僕のところにやってきて、『ソリッド、ブラザー』と言った。そこで、『ソリッド』という言葉が響いたので、それを元に曲を作ったんだ」

ヴァル。「ドラマーとときにベース・プレイヤー、あるいはキーボード・プレイヤーくらいで、とてもシンプルな編成でデモは作るわ」

彼らが作り出した作品には多くの傑作がある。前日のステージでもっとも盛り上がった「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」は果たしてどんな風に出来たのか。

ニックが説明する。「あるとき、セントラル・パークを歩いていた。するとマンハッタンのビル郡が僕には山のように見えたんだ。そこでAin't no mountain high enough like in New York, I'm gonna make it(ニューヨークみたいにビルが山のように高くなっている所はない、僕はここで絶対成功してみせるぞ)って思ったんだ。それですぐ部屋に戻ってヴァルにその話をして、一緒に曲を書いたんだ」

ニックは詩人だ。

「この曲には、ご存知のように2つのヴァージョンがある。最初は、ハーヴィー・フュークワがプロデュースしたマーヴィン&タミーのヴァージョン、そして、ダイアナ・ロスのソロ・キャリアを飾ったヴァージョンだ。ダイアナのヴァージョンは僕たちがプロデュースしたんだが、ちょうどあの頃、アイザック・ヘイズが長尺の曲を録音していてね。僕たちも、この曲をそんな風にロング・ヴァージョンでやってみよう、ということになった。それであれはあんなに長いんだよ」

ダイアナのヴァージョンは6分超だ。当時のシングルとしては異例の長さだった。

ニック。「マーヴィン・ゲイというシンガーは、本当に素晴らしい。たとえば、自分が書いた歌詞があまり強力じゃないと思っていたとする。でも彼がその歌を歌うと見事な曲になるんだ。まるで、マーヴィンが歌うとバイブルのようになる」

ヴァル。「彼はステージではとてもクールに振舞うんだけど、スタジオでは本当に真剣にガッツを持って必死になって曲に取り組むの。彼がソウルに触れようとしているのがわかるわ。ああいう姿を見ているのは本当にエキサイティングだったわ」

ヴァル。「『エイント・ナッシング・ライク・ア・リアル・シング』は、私たちが実質的に初めてプロダクション全部をてがけた作品だった。レコーディング・スタジオでは多くの人たちがその様子を見ていて、とてもナーヴァスになった。マーヴィンは私たちがうまく行くように仕向けてくれたので、結果、とてもいいものが出来た」

彼らがモータウンにいたのは、約7年。そして、彼らは「モータウン学校を卒業した」。モータウンの後、アシュフォード&シンプソンは、ワーナー・ブラザースとアーティスト契約を結ぶ。ニックは「僕たちは、人前で歌うことも好きだったから、パフォームすることにより重点を置くようになるんだ」とその変遷を語る。

(この項続く) 

■ アシュフォード&シンプソン、初来日ライヴ評
November 20, 2009
アシュフォード&シンプソン:ストーリーを聴かせるライヴ (パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10392434386.html

■ 『ステイ・フリー』(下記3枚いずれも秀逸です)

Stay Free
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■ 『イズ・イット・スティル・グッド・トゥ・ヤ』

Is It Still Good to Ya
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■ 『センド・イット』

Send It
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ENT>ARTIST>Ashford & Simpson
November 20, 2009 04:46:29 soulsearchinの投稿

⊿アシュフォード&シンプソン:ストーリーを聴かせるライヴ (パート1)

テーマ:ライヴ評・レポート
⊿アシュフォード&シンプソン:ストーリーを聴かせるライヴ (パート1)

(ライヴ、ネタばれあります。これからごらんになる方はご注意ください)

【Ashford & Simpson Tell Their Story On The Stage】

鏡。

1960年代から1970年代にかけて多くのヒットを書き、さらに自分たちでもヒットを放ってきたニューヨークのおしどり夫婦ソングライター・デュオ、アシュフォード&シンプソン待望の初来日公演。まずはなによりソングライターとして多数のヒットがあるので、全14曲、すべてヒット曲というファンとしては嬉しいセットリストになった。

彼ら自身の歌でなくとも、ダイアナ・ロスの「ボス」、シャカ・カーンやホイットニー・ヒューストンで知られる「アイム・エヴリ・ウーマン」、映画『天使にラヴソング』の挿入歌としても知られる「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」などなど彼らの作品は素敵な歌詞にひじょうに覚えやすいメロディーが散りばめられる。星の数ほどあるヒット曲は、ヒット曲としての鏡のような作品群だ。

彼らの出世作でレイ・チャールズによって歌われ1966年に大ヒットした「レッツ・ゴー・ゲット・ストーンド」を歌い終えるとニックがバックのミュージシャンのメロディーにのせて語り始めた。

「この『レッツ・ゴー・ゲット・ストーンド』が大ヒットしたら、僕たちの生活は一変した。それまでは(食べていたものが)ハンバーガーだったのが、ステーキになり、小さなアパートがラグジュアリーなマンションになった。そしてデトロイトから1本の電話がかかってきた。ミスター・ベリー・ゴーディーだ。彼はモータウンへ僕たちを誘うために、航空券を送ってくれた。それを見て驚いたものだ。なんとファースト・クラスのチケットだったんだ。デトロイトに行ってミスター・ゴーディーに会うと彼は言った。君たちはいいソングライターのようだが、我々は『レッツ・ゴー・ゲット・ストーンド』のような曲はいらない。うちにいるのはクラッシーなアクト(品のいいアーティスト)だ。たとえば、ダイアナ・ロス、テンプテーションズ、マーヴィン・ゲイなどだ。彼らにあった曲を書いてくれ」

「僕たちはニューヨークに戻り、缶詰になって一生懸命曲を書いた。書いて、書いて、なんとかして遂に曲が完成した。僕たちはデトロイト行きのチケットを買って、デトロイトに行き、ミスター・ゴーディーに言った。あなたが探している曲がやっと書けました。こんな曲です」

そう言って始まったイントロが、「エイント・ナッシング・ライク・ア・リアル・シング」(マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルの1968年の大ヒット)だ。ヴァレリーが最初の数単語を歌うだけで観客からやんやの喝采。以来彼らの書いたヒットはモータウンから次々とヒット。ここでは3曲メドレーで披露される。「ユア・プレシャス・ラヴ」、そして、「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」、いずれもマーヴィン&タミーのヒット。

Ain't no mountain high enough
Ain't no valley low enough
Ain't no river wide enough
Nothing To keep me from getting to you babe

(僕と君との間には、どんな高い山も、どんなに深い谷も、どんなに広い川もない…)(この4行だけでも覚えておくと、一緒に歌えて楽しいです)

観客はいつしか立ち上がり、腕を挙げ、振り、サビの部分を歌っている。アメリカ人なら誰でも知っている大ヒット。日本でも『天使にラヴソング』でウーピー・ゴールドバーグによって歌われた作品だ。マーヴィン&タミー、ダイアナ・ロスでもおなじみのこの曲を聴いていると、まさにこういう曲はそれぞれの人にひとつひとつ思い出が刻まれているのだなあと思う。それぞれの人生のサウンドトラックになっているのだ。こういう曲が一生に1曲でも書ければ、ソングライター冥利に尽きるだろう。このニックの話しからモータウン・メドレーのところは、本当に圧巻だ。じつに持って行き方がうまい。

ステージ上でも仲が良いところを存分に見せつけるアシュフォード&シンプソン。この日はさすがにアシュフォード&シンプソンをよく知るファンが多かったようだ。東京のソウル・ファン、関係者を多数見かけた。そのため、反応も熱く熱狂的だった。ラッツ佐藤さん、つのだ☆ひろさん、DJアトムご一行、ソウル住職白河さん(ヴァーヴ時代のニックのソロ・7インチ持参)…。

それにしても14曲、約80分、まだまだ彼らの大ヒットはあって、聴きたい曲が残っている。"So So Satisfied", "It Seems To Hang On", "Happy Endings", "I'll Be There For You"...。そして"Shoe Shoe Shine"。

ライヴ後、彼らに何で今まで日本に来なかったのですか、と尋ねると、「さあ、誰も呼んでくれなかったから」とヴァルが言った。

(この項、続く)

◎ ライヴは11月22日(日曜)まで、東京ブルーノートにて
http://www.bluenote.co.jp/jp/index.html

■ 過去関連記事
September 25, 2009
アシュフォード&シンプソン、11月に初来日決定
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090925.html

■ 『ストリート・オペラ』

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■ マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル:ベスト (最高のデュエットに提供した最高の楽曲)

エイント・ノーマウンテン・ハイ・イナフ~マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル・コンプリート・デュエッツ
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ダイアナ・ロス 『ザ・ボス』アシュフォード&シンプソン全面プロデュース

ザ・ボス
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アシュフォード&シンプソン、こんなベストも

The Very Best of Ashford & Simpson
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■メンバー

ニコラス・アシュフォード(ヴォーカル)Nickolas Ashford(vo)
ヴァレリー・シンプソン(ヴォーカル)Valerie Simpson(vo)
クレイトン・ブライアント(ヴォーカル)Clayton Bryant(vo)
ヴァレリー・ゲント(キーボード)Valerie Ghent(key)
ピーター・カナロッツィ(キーボード)Peter Cannarozzi(key)
デヴィッド・チュン(ギター)David Chun(g)
エルリエル・バーフィールド(ベース)Eluriel Barfield(b)
バーナード・デイヴィス(ドラムス)Bernard Davis(ds)

■セットリスト アシュフォード&シンプソン
Setlist : Ashford & Simpson, November 19, 2009

show started 21:34
01. Intro: Bourgie Bourgie
02. Found A Cue
03. Is It Still Good To Ya
04. Stay Free
05. Boss
06. Send It
07. I'm Every Woman
08. Street Corner
09. Let's Go Get Stoned
10. Motown Medley (10 -12): Ain't Nothing Like A Real Thing
11. Your Precious Love
12. Ain't No Mountain High Enough
13. Solid
Enc. You're All I Need To Get By
show ended 22:53

(2009年11月19日木曜、東京ブルーノート=アシュフォード&シンプソン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Ashford & Simpson
2009-141
November 19, 2009 01:35:06 soulsearchinの投稿

△スーパー・ディスコ・ナイト、12月20日に開催

テーマ:告知関連
△スーパー・ディスコ・ナイト、12月20日に開催

【"Super Disco Night" Will Be Held On December 20th】

告知。

玉川高島屋がちょうど40周年となることを記念し、三宿のソウル・バー、ソウル・ナッツ、FM世田谷らが手を組み、『クリスマス・スペシャル~スーパー・ディスコ・ナイト~東京ウエスト・サイド』と題した一大ソウル、ディスコ・イヴェントを来る2009年12月20日(日曜日)、玉川高島屋アレーナ・ホールで行う。このイヴェントには、世田谷区のソウル・バー、川崎のソウル・バーなども協力。この近辺の17軒のソウル・バーなどを紹介した、ちょっとしたソウル・バー・マップを大量に印刷、フライヤーとしても配布している。

ライヴ出演は、バブルガム・ブラザーズからブラザー・コーン、マイケル・ジャクソン生き写しのパフォーマンスが高い評価を得ているMJスピリット、ソウルフルな2人組シュガー・ピンプス、ロックンロール&ソウルのワンダラーズ、レディー・キューブ、ソウルダンスのマイケル鶴岡ら。DJ陣は、DJオッシー(Osshy)、ケイコ(K-Co=ソウル・ナッツ)。MCに吉岡正晴。

なお本ブログをごらんになり、superdisconight@yahoo.co.jp に予約を入れてくださった方は、特典として、優待価格(3500円)で入場でき、特製ステッカー、世田谷地区ソウルバー・マップなどのグッズがもらえます。

概要

タイトル:クリスマス・スペシャル 『スーパー・ディスコ・ナイト~東京ウエスト・サイド』
日時:2009年12月20日(日曜)18時~23時
場所:玉川高島屋ショッピング・センター西館1階 アレーナ・ホール
〒158-0094 東京都世田谷区玉川3-17-1
電話:03(3709)2222
http://www.tamagawa-sc.com/home.html
料金:4000円(1ドリンク付き)
ショータイム:20時から
出演: ブラザー・コーン、マイケル鶴岡、MJ-スピリット、シュガー・ピンプス、レディー・キューブ、ワンダラーズ、ほか。
DJ: DJオッシー、DJケイコ
司会: 吉岡正晴

特典: 本ブログをごらんになり、superdisconight@yahoo.co.jp に予約を入れていただいた方には、優待価格で入場できる優待券、特製ステッカーなどのプレゼントをお送りします。
superdisconight@yahoo.co.jp まで、あなたのお名前、住所、連絡先、入場人数をお書きの上、メールをお送りください。折り返し、チケットの引き換え方法など詳細を書いた確認メールを差し上げます。なお、携帯メールからお送りいただく場合、こちらからの返信アドレス@yahoo.co.jpを受信できますよう、ドメイン指定などお願いいたします。

EVENT>ANNOUNCEMENT

November 18, 2009 01:06:25 soulsearchinの投稿

☆キャプテンEO、2010年1月米ディズニーで再公開へ

テーマ:マイケル・ジャクソン関連
☆キャプテンEO、2010年1月米ディズニーで再公開へ

【"Captain EO" Will Be Coming Back To Disney January 2010】

復活。

1986年、アメリカのディズニー・ランドで公開されたマイケル・ジャクソンの3D(スリーディー)映画『キャプテンEO(イオー)』が2010年1月から同じディズニー・ランドで公開されることになりそうだ。ハリウッド・リポーター誌のロジャー・フライドマンなどが2009年11月16日、明かした。同映画の権利はすべてディズニー社が保有しており、再上演に関してはディズニー次第と言われている。ディズニーでは再公開に向けて、レッド・カーペットのイヴェントも計画中とのことだ。マイケル死去後、再公開を望む声が高まっていた。

『キャプテンEO』は1986年9月18日から、1997年4月までおよそ足掛け12年にわたってディズニー・ランドで公開されてきた約17分のショートフィルム。(日本では1987年3月20日から1996年9月1日まで公開) 入口で3D眼鏡をもらい、それをかけて映画を楽しむ。実際、これをかけてみると、宇宙に浮遊している石や登場人物などが飛び出してくるように見える。

ジョージ・ルーカスがプロデューサーとなり、彼から振られたスティーヴン・スピルバーグがフランシス・フォード・コッポラに振り、最終的にコッポラが監督した『スターウォーズ』風の短編映画。マイケル・ジャクソン主演、アンジェリカ・ヒューストン、ディック・ショーン共演。共演のディックは、公開後1年余で他界している。

ここで歌われるマイケルの楽曲は、「ウィ・アー・ヒア・トゥ・チェンジ・ザ・ワールド」と「アナザー・パート・オブ・ミー」。前者は長くCD化はされていなかったが、2004年のマイケル・ジャクソンの『アルティメート・コレクション』に、また、後者は1987年のマイケル・ジャクソンの『バッド』のアルバムに収録された。後者は『アルティメート』にも収録。『キャプテンEO』の映像自体はまだ正式にはDVD化、映像作品化はされていない。

当時はカリフォルニア州アナハイム、フロリダのディズニー・ワールド、パリのディズニーランド、そして東京ディズニー・ランドの4箇所で公開されていた。

マイケルとディズニーに関しては、1997年、中東の富豪プリンス・アル・ワリード氏と手を組んで、ディズニーランド内に「ピーター・パンズ・ネヴァーランド」を作る構想があったが、結局実現していなかった。

■ キャプテンEOの2曲は、今では『アルティメート・コレクション』に収録。

The Ultimate Collection
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■ 映画『ムーンウォーカー』も公開中。これはDVD

ムーンウォーカー [DVD]
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ENT>ARTIST>Jackson, Michael

November 17, 2009 12:09:47 soulsearchinの投稿

◎「マイケル・ジャクソン全記録」~オノ・ヨーコさん~ノラ~マリオ~「ダンシング・グルーヴ」~デレ

テーマ:マイケル・ジャクソン関連
◎「マイケル・ジャクソン全記録」~オノ・ヨーコさん~ノラ~マリオ~「ダンシング・グルーヴ」~デレクB訃報

【Michael Jackson Book etc.】

もろもろ。

おかげさまで『マイケル・ジャクソン全記録1958―2009』がご好評をいただいている。昨日、アマゾンでは一時的に品切れしているようだ。出版社によると、すぐに入荷するように手配したそうだが、全体的に品薄で、増刷も視野にいれている、とのこと。そうなると、当然、初版での誤字脱字を直すことになる。もし読者の方で、これらに誤字脱字、事実の違いなど発見されたら、メールなどいただけると幸いです。ebs@st.rim.or.jpまでよろしくお願いします。

マイケル・ジャクソン全記録↓
マイケル・ジャクソン全記録 1958-2009

昼間(2009年11月16日月曜)NHKの『スタジオ・パーク』にオノ・ヨーコさんが出ていた。毎年この時期にあるジョン・レノンのトリビュート・ライヴでの来日とのこと。こういうプロモーションで出ることにかなり驚いたが、インタヴューの女性アナと最初からからみあってない印象を受けた。アナの質問などのやりとりがあまりに内容が薄くて軽いために、超インテリで学識のあるオノ・ヨーコさんが戸惑っている風だった。オノ・ヨーコさんのような天才に対して、そこらの芸能人に応対するようにしてはいけない。それとちゃんとヨーコさんの答えを聴かないと。ぼくは、『ダブル・ファンタジー』(1980年)を聴いた時に、理由はないのだが、オノ・ヨーコさんっていうのはなんて天才なんだと直感した。周囲は誰も同意してくれなかったが…。

やはり『ダブル・ファンタジー』。ジョンとヨーコさんの曲が交互に。↓
ダブル・ファンタジー(紙ジャケット仕様)ダブル・ファンタジー(紙ジャケット仕様)

昨日のソウル・サーチン・ブログでのノラ・ジョーンズの「チェイシング・パイレーツ」の記事について、元々のライナーの訳詞からでも意味はそこそこわかる、との指摘をいただいた。その方は女性だが、ノラの女心がよくわかる、とのこと。歌詞を見る男目線と女目線の違い…。

ノラ・ジョーンズ『ザ・フォール』↓
ザ・フォールザ・フォール

夕方、郵便物の中に湯川れい子先生からの直筆のお手紙。先日お送りした『マイケル・ジャクソン全記録』へのお礼状だった。達筆で、また、内容にも感動。

夜、ビルボードライブでマリオのライヴ。元気いっぱいで、アリーナ前列の女性ファンの目は全員ハートマーク。けっこうバラードもじっくり歌って、アンコール含めてちょうど70分。途中にマイケルの「ロック・ウィズ・ユー」を含み、アンコールにマーヴィン・ゲイの「セクシュアル・ヒーリング」。これは驚いた。

マリオ最新作↓
D.N.A.(期間生産限定盤)D.N.A.(期間生産限定盤)

そして、FM横浜へ直行。鈴木しょう治さんDJの『ダンシング・グルーヴ』生放送。深夜12時半から30分弱。リスナーから来たマイケル邸訪問の話をしてください、というメールに応えて、その話しから『ディス・イズ・イット』、そして、『マイケル・ジャクソン全記録1958―2009』の話しへ。あっという間にしゃべり倒した。鈴木さんから、以前話をした「ソウル・バー本」はどうなった、と訊かれ、「そういえば…」と思い出したが、果たして。

『ダンシング・グルーヴ』を聴きながら第三京浜で自宅に戻る。ちょうど彼が先週行ったライオネル・リッチーのインタヴューをやっていた。「『エンドレス・ラヴ』、ケニー・ロジャースがヒットした後、モータウンから、ソロ・アルバムを作ろうlet's do solo.と言われた。ソロになろうgo soloではなくてね」というコメントが印象深かった。

最新ベスト。ライナーノーツ書いてます↓
ベスト・オブ・ライオネル・リッチー<デラックス・エディション>(DVD付)ベスト・オブ・ライオネル・リッチー<デラックス・エディション>(DVD付)

戻ってPCを立ち上げると、イギリスのラッパー、デレクBの訃報が。デレクBは1965年1月15日、イギリスのロンドン生まれ。デレク・ボーランド。15歳のころからDJを始め、イギリスの海賊ラジオで活動。ニューヨークのヒップホップ界の大御所ラッセル・シモンズと契約、アメリカ進出。クッキー・クリュー、エリック・B・ラキームなどをてがけた。2009年11月15日(日曜)にロンドンで死去。まだ44歳。海賊ラジオ=パイレート・レイディオpirate radio。ん? パイレートは、ここでは単数だなあ…。

そういえば、最近「ミスター・モロモロ」と言われることがある…。

ENT>MUSIC>
OBITUARY>Derek B

November 16, 2009 03:01:55 soulsearchinの投稿

○ノラ・ジョーンズ最新作『ザ・フォール』~「海賊を追いかけて」の意味

テーマ:アーティスト関連
○ノラ・ジョーンズ最新作『ザ・フォール』~「海賊を追いかけて」の意味

【What Is Metaphor Of "Chasing Pirates"?】

海賊。

ノラ・ジョーンズが通算4作目の新作『ザ・フォール』を出した。昨日(2009年11月15日)の「山野ミュージック・ジャム」(インターFM76.1mhz東京地区)でもご紹介したが、ノラは山野楽器でも特別売れるアーティストだ。FMでのこのコーナーが始まったのが2002年4月だが、その第2回目にちょうどリリースされたばかりの彼女のデビュー作『カム・ゴー・ウィズ・ミー』を紹介した。以来彼女のアルバムはリリースされるとすべて紹介、また彼女主演の映画『マイ・ブルーベリー・ナイツ』も紹介している。

僕は個人的にはやはりファースト・アルバムがベストだと感じてはいるが、それでもノラのアーティストとの発展性、伸びているところに注目している。何よりも、僕は彼女の声が好きなので、新譜は必ず聴く。彼女がロック寄り、あるいは、カントリー寄りになると、僕のテイストからははずれるが、さて、今回はどんな感じになるだろうか、と期待に胸を弾ませる。

アルバムのトップは、「チェイシング・パイレーツ(海賊を追いかけて)」だ。そして、この曲の英詞と訳詞を読んだ。…のだが、意味がよくわからない。英語のマーヴィン先生に尋ねたところ、彼も英語詞を読んでもこの言葉が意味するメタファーがわからなかった。

Chasing Pirates (Written by Norah Jones)

In your message you said, you were going to bed,
but I'm not done with the night.

So I stayed up and read
But your words in my head,
got me mixed up so I turned out the light.

And I don't know how to slow it down.
My mind's racing from chasing pirates.

Now an ambulance screams. While the silliest things
are flopping around in my brain.

And I try not dream Up impossible schemes,
that swim around, wanna drown me insane.

And I don't know how to slow it down.
Oh my mind's racing from chasing pirates. (2x)

My mind's racing from chasing pirates. (2x)

++mind is racing
《one's ~》~のことで頭の中をいろいろな思いが駆け巡る、~のことをあれこれ考える

+++++

ライナーについていた訳詞はこうだ。

「チェイシング・パイレーツ」ライナーの訳詞

メッセージの中のあなた
もう寝るよって言っていたけど私の夜はまだ終わらない

寝ないで本を読んでみたけど
あなたの言葉のせいで頭がゴチョゴチャ
たから明かりを消してしまったの

どうしたらペースを落とせるのかしら
海賊を追いかけて思いは駆けめぐる

救急車が叫び声をあげて
頭の中を馬鹿な考えが
バタバタ飛び回る

泳げるようになろうという
無茶なたくらみは考えないわ
溺れて正気をなくしてしまいたい

どうしたらペースを落とせるのかしら
海賊を追いかけて思いは駆けめぐる

(対訳:メディア総合研究所)

+++++

どうにもこれだとストーリーがわからない。

主人公の彼女に誰か好きな男がいる。それがパイレーツ(海賊)なら、なぜ複数なのか。海賊はいつも複数で動くから、そもそも複数形なのかな。プロモ・ビデオを見ると、ノラが船長で、海賊をマンハッタンで追いかけている風になっている。彼女はまだその彼に片想いなのか。で、pirateのイディオムをいろいろ調べてみた。

要は海賊行為をするのがパイレーツ、あるいは、財宝を盗むのがパイレーツということで、少しそれが転じて、心を盗む、ことを意味し、やはり、その好きな男のことをパイレーツと比喩しているのかもしれない。

冒頭のメッセージは、携帯の留守電か、携帯のメールのどちらかだろう。ひょっとしたら、主人公の彼女は、彼は寝ると言ったが、彼が他の女性といるのではないか、と心配になって気を揉んでいるのかもしれない。たとえば、いつもだったら、深夜に寝る前には電話で話していた二人が、この日に限って、電話で話せない。そこで、彼女は心配になり目が冴えて寝られなくなった。

みたいなことをいろいろと考えているうちに、試しにこんな風に訳してみた。これであってるんだろうか。マーヴィンとは、「ま、じゃあ、ノラに会ったときに聞こう」ということになったんだが。(笑)

+++++

「チェイシング・パイレーツ」 (仮訳)

留守電に残された「もう寝るよ」の一言
(あるいは、(携帯の)メールに残された「もう寝るよ」の一言)
でも、(とてもじゃないけど)私の夜はまだ終わらない (でも、私はまだ寝られない)

だから私は起きて読書をしていたけれど、
あなたの一言が頭から離れない
(その言葉に)混乱してしまったので、明かりを消した

この気持ちをどう抑えればいいのか、わからない
私の気持ちを盗んだハート泥棒(パイレーツ)を追いかける思いで頭がいっぱい

バカな考えが頭を駆け巡る中、街には救急車のサイレンが響く

不可能な計画を夢見ようとは思わない
(その不可能な計画とは)彼の愛の中に苦しいほど溺れるなんてこと(は、夢見ない)

この気持ちをどう抑えればいいのか、わからない
私の気持ちを盗んだハート泥棒(パイレーツ)を追いかける思いで頭がいっぱい

(訳:ソウル・サーチャー[吉岡正晴])

確かにこう訳してみると、なんとなくわかったような気もする。う~む。100パーセント・クリアになったわけではないんですが。(笑)

+++++

【ノラ・ジョーンズ関連記事】

2003/02/26 (Wed)
Experience you'll never go through again
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200302/diary20030226.html
2002年4月初来日時のショーケース・ライヴの模様を回想。

2004/01/20 (Tue)
Unchangeable Universality: Norah Jones Live @ Spiral Hall
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200401/diary20040120.html
2004年1月のショーケース・ライヴの模様。

April 19, 2005
All That Simplicity Is Gold: Norah Jones
http://blog.soulsearchin.com/archives/000049.html

March 24, 2007
Norah Jones: Show Case Live At Ebisu
http://blog.soulsearchin.com/archives/001668.html

March 11, 2008
映画『マイ・ブルーベリー・ナイツ』
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080311.html

ノラ・ジョーンズ・ライヴ『ヴェイカントな夜』(2002年9月7日)
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/jones20020907.html
2002年の正式な日本初ライヴにインスパイアーされたショートストーリー。

■ 4作目『ザ・フォール』(国内盤)

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2002年デビュー作『カム・アウェイ・ウィズ・ミー』(やはり最高傑作です)

COME AWAY WITH ME
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ENT>ARTIST>Jones, Norah
November 15, 2009 00:05:00 soulsearchinの投稿

◆オバマ大統領と抹茶アイス

テーマ:オバマ関連
◆オバマ大統領と抹茶アイス

【Obama Focused On Matcha Icecream Than Buddah】

抹茶。

2009年11月13日、アメリカのオバマ氏が、アメリカ大統領として初来日。14日朝、港区のサントリー・ホールで演説を行った。NHKで生中継された。

なんと、我らがブレンダ・ヴォーンがこれに招かれ、朝8時のドア・オープンから並んだそうだ。しかも、前から6列目でオバマの演説を聴いたという。

10時過ぎから始まった演説。さすがに、オバマ大統領、つかみがうまい。いきなり、「子供のころ、母に鎌倉に連れてかれ、大仏を見たが、そのときは、抹茶アイスクリームのほうが気になっていた」と言って笑いを誘う。そして、昨日(前日)の夕食の席で鳩山首相とアイスクリームの思い出を話せてよかった、とも付け加える。まるで今朝書いたような(実際この朝に付け加えたのだろう)ライヴ感たっぷりの数行だ。

実はブレンダから8時ごろに着信履歴があり、僕は寝ていたのだが、終わった後、ブレンダにかけなおした。すると大使館関係から招待状が来て驚いたがこんなチャンスはないので、喜んで行ったという。「次の機会には、彼の前で歌いたいわね。あ、そうそう、演歌歌手のジェロがいたわよ」とのこと。「オバマに直接会えたか」と尋ねたら、さすがにそれはまったく無理だったそうだ。でも、前から6列目はすごいな。

話は変わるが、僕はひょんなことからオバマTシャツを数枚手に入れ、マーヴィン・デンジャーフィールド(大のオバマ好き)や、松尾さん、マーチン、ハセヤンにプレゼントした。

話は最初にもどるが、考えてみると、これから鎌倉の大仏の売店では、抹茶アイスが飛ぶように売れるんだろうなあ…。

■ ソウル・サーチンのオバマ関連記事

November 08, 2008
「チェンジ・イズ・ゴナ・カム」から「チェンジ・ハズ・カム」へ~オバマ氏勝利演説
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081108.html
オバマ演説の中で、このシカゴでの「ヴィクトリー・スピーチ」は最高峰、白眉の出来だ。歴代大統領の演説の中でも名演説と言える。

January 19, 2009
磁力持つオバマのソウル・スピーチ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090119.html

January 20, 2009
オバマ就任イヴェント、多数のアーティストが参加
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090120.html

January 21, 2009
オバマ大統領誕生~アレサの歌が祝福
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090121.html

January 22, 2009
オバマに望む3つの奇跡~就任演説を聴いて
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090122.html

January 25, 2009
オバマ大統領就任演説の同時通訳
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090125.html

■ オバマ演説集 (収録演説リストを見ると、この2枚組はコストパーフォーマンスがよいです。僕は最初に1枚ものを買ってしまいましたが…(笑) 買いなおそうかなあ…)

CD2枚付[完全保存版]オバマ大統領演説
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+++++

なお、11月14日(土)にサントリー・ホールで行われたオバマ大統領の東京演説の全文は、英語も日本語訳もすでにあちこちに出ている。(下記は朝日新聞のサイトより。将来リンクが切れる可能性もあります)

+++++

(資料)
Obama Tokyo Speech 2009.11.14

http://www.asahi.com/international/update/1114/TKY200911140237.html

どうもありがとう。(日本語で)「アリガトウ」。どうもありがとう。おはよう。米大統領になって初のアジア訪問の最初の目的地として東京に来られたのは大変名誉なことだ。ありがとう。こんなに多くの人たち、日本人、そしてここに何人か米国人の姿も見えるが、長年の友人ジョン・ルース新大使を含め、日米のきずなを強化するため連日働いている人たちに囲まれてうれしい。

 日本にまた来られたのはすばらしいことだ。知っている人もいるかもしれないが、少年時代、母に連れられて鎌倉を訪れ、平和や静けさをたたえた大仏を見上げた。子供の私は抹茶アイスクリームにより魅せられた。昨夜の夕食会で、その思い出を紹介しながらアイスクリームを食べられたことを、鳩山首相に感謝したい。どうもありがとう。日本の人たちが当時米国の少年に示してくれた温かみやもてなしは、忘れたことはなかった。

 今回の訪問でも、鳩山首相の歓迎や、即位20年の天皇・皇后両陛下とお会いするという栄誉、そして日本の人たちによるもてなしを通じて、同じ精神を感じている。そしてもちろん、日本の(福井県)小浜市民へのあいさつや感謝の念を示さずには、ここに来るわけにいかなかった。

 私が今回の歴訪を日本から始めた理由は簡単だ。就任以来、米国のリーダーシップを刷新し、互いの利益と尊重に基づいて世界と関与する新たな時代を追い求めてきた。アジア太平洋での我々の取り組みは、揺るぎなくかつ活性化した日米同盟を通して大いに定着していくことだろう。

 就任直後から、両国の関係強化に努めてきた。ホワイトハウスに私が出迎えた最初の外国指導者は日本の首相だ。ヒラリー・クリントン米国務長官の最初の外国訪問は日本から始まるアジアだったが、これも約50年ぶりだった。

 2カ月後に日米同盟は50周年を迎える。当時のアイゼンハワー米大統領が、日本の首相の隣に立ち、両国は「対等と相互理解」に基づく「不滅の関係」を作ると発言した日だ。

 この半世紀、日米同盟は安全保障と繁栄の基盤であり続けてきた。この同盟は、両国が世界の2大経済大国となり、日本が米国にとって北米以外で2番目の貿易相手国となるのに資してきた。同盟関係の進展につれ、日本は世界の舞台でより大きな役割を演じるようになり、世界各地の安定のため重要な貢献をするようにもなった。イラク再建から、ソマリア沖の海賊対処、アフガニスタンやパキスタンへの支援に至る貢献だ。最近では、両国における国際的開発努力に追加支援の約束をするという注目すべきリーダーシップを示した。

 日米同盟が長続きしてきたのは、何よりもそれが我々の共通の価値――指導者を自ら選び、夢を実現しようとする自由な人々の民主主義の権利への信念――を反映してきたからだ。そうした信念が、変化を約束した鳩山首相や私自身の選出を可能にした。我々は国民や日米同盟のため新世代のリーダーシップをもたらすことを約束する。

 だからこそ、我々は歴史的に重要なこの時に、双方が日米同盟を再確認するのみならず、深化することで一致した。両国政府が達した沖縄駐留米軍の再編合意の履行のため、合同の作業部会を通じて迅速に進むことを合意した。日米同盟が未来に向け進化・発展していくにつれ、アイゼンハワー元大統領がずっと前に表現した精神に立ち、我々は対等で相互の尊重に基づく関係に向けて常に努力していく。

 アジア太平洋地域への関与は日本で始まるが、日本で終わるわけではない。合衆国の建国は大西洋沿いの港や街から始まったが、我々はすでに何世代にもわたり、太平洋国家でもあった。アジアと米国は太平洋で隔てられているのではなく、つながっている。太平洋をはさみ、我々は歴史――米国建設を助けたアジア系移民や、この地域の安全や自由の維持のため身をささげてきた何世代もの米軍人――や共通の繁栄――何百万もの雇用や家族が頼みとする貿易や商取引――、また我々の国民――米国の生活を豊かにしてくれるアジア系米国人や、様々に入り交じったすべての人々――などでつながっている。

 私自身の人生がその物語の一部だ。私は米国の大統領だが、ハワイで生まれ、インドネシアで少年期を過ごした。妹のマヤはジャカルタ生まれで、中国系カナダ人と結婚した。母は東南アジアの村でほぼ10年近くを過ごし、女性がミシンを買ったり、教育を受けたりすることで、世界経済の中での足場ができるように支援した。だから、環太平洋地域は私の世界の見方を形づくった。

 おそらくその頃と比べ、この地域ほど急速かつ劇的に変化したところはない。統制経済は市場経済となった。独裁制は民主主義に変わった。貧困からの迅速な脱却で生活水準は上がった。こうした変化すべてを通じて、米国やアジア太平洋地域の豊かさは以前にも増して密接につながった。

 アジア太平洋地域の未来と我々は関係があることを、どの人にも、どの米国人にも知ってほしい。ここで起きることは我々の国内での生活に直接影響を与えるからだ。我々はここで多くの商取引に携わり、多くの産品を買っている。輸出の拡大で雇用を創出することもできる。ここでの核軍拡競争の脅威が、その他の地域の安全保障も脅かしかねない。偉大な宗教をけがすような過激派が我々双方の国土に対する攻撃を計画している。アジア太平洋の台頭する力と発展する国々なしでは、エネルギー安全保障や気候変動の課題は解決できない。

 共通の課題に対処するため、米国はこの地域の国々と旧来の同盟関係を強め、新しい協力関係を築こうとしている。このため、我々は日本や韓国、豪州、タイ、フィリピンとの条約に基づいた同盟関係に目を向けている。これらの同盟は過去からの歴史的文書ではなく、我々が共有する安全保障に不可欠な、互いを結びつける約束だ。

 これらの同盟関係は安全保障や安定の基盤をもたらし続け、この地域の国々や人々が好機や繁栄を追い求めることを可能にしている。私が子供の時に日本に来た時には、想像できなかったことだ。米軍が世界で二つの戦争に従事していても、日本やアジアの安全保障への我々の関与は揺るぎない。それはこの地域に、とりわけ米国の若い男女の軍人たちが駐留していることからもわかる。私は彼らをとても誇りに思っている。

我々は今、より大きな役割を担う用意があるアジア太平洋やその他の地域の新興国に注目している。例えば、民主主義を取り入れて経済を発展させ、国民の可能性を引き出してきたインドネシアやマレーシアだ。

 我々は台頭する国々に、21世紀において一国の安全保障や経済成長は、他国の犠牲によって成り立つ必要はない、という観点から着目している。中国の台頭を米国がどう見るか尋ねる人が多くいる。しかしこれまで言ってきたように、この相互に関連づけされた世界では、勢力はゼロサムゲームになる必要はないし、国家は他国の成功を恐れる必要もない。勢力圏づくりを競うのではなく、協力圏づくりを深めることで、アジア太平洋は前進していくだろう。

 他国と同様に、米国が中国に接する際には自らの利害に焦点をあてる。だからこそ、相互に関心を持つ課題について、米国が中国と実務的な協力関係を作ることが重要だ。どの国も21世紀に直面する課題は一国だけで解決することはできず、米国も中国も共同して課題に対処できた時の方がうまくいくからだ。従って、我々は中国が経済成長とともに増す責任に合わせ、国際的な舞台でより大きな役割を果たすことを歓迎する。中国との協力関係は、我々が経済を再活性化させようとする努力において極めて重要だ。中国はアフガニスタンとパキスタンの安全と安定を促進してきた。そして現在は、世界の不拡散体制に寄与し、朝鮮半島の非核化という目標も支持している。

 米国は中国を封じ込めるつもりはないし、米中関係の深化は(他国との)二国間同盟を弱めるものでもない。むしろ反対に、強固で、繁栄した中国の台頭は、複数の諸国からなる共同体を強化する源になる。北京やほかの場所で、我々は戦略・経済的な対話を深め、軍同士の意思疎通を改善したい。もちろん、すべての課題について同意はできないだろう。米国は、すべての人の信教と文化の尊重を含め、我々が重視する基本的な価値を主張する際に揺らぐことはないからだ。人権と人間の尊厳を支えることは米国に刻み込まれた伝統なのだ。しかし、敵意ではなく協調の精神でこれらの議論を前に進めたい。

 二国間関係に加え、多国間機構の成長がこの地域での安全と繁栄を進めると我々は確信している。米国は近年、これらの機構の多くと疎遠になっていたことは知っている。だが、それは過去のことだと明言したい。アジア太平洋国家として、米国は地域の未来を形作る議論に関与し、こうした機構が創設され発展していくに際して、ふさわしい機構に本格的に参加したい。

 これこそがまさに今回の旅で私が始める作業だ。

 アジア太平洋経済協力会議(APEC)という場は、今後も地域の通商と繁栄を促進し続けるだろう。今夜、このフォーラムに参加することを楽しみにしている。東南アジア諸国連合(ASEAN)は、東南アジアの対話と協調、安全の触媒であり続ける。米国大統領として初めて加盟全10カ国の首脳と会う機会を楽しみにしている。直面する課題に対応する役割を担うため、米国は東アジアサミットにも、いっそう正式な形で関与していくことができればと待ち望んでいる。

 我々はこうした深く広い関与を追求する。我々の集団的な未来はそこにかかっていると知っているからだ。そこで私は、未来がどんなものか、我々の繁栄と安全、普遍的な価値や望みを促進する上で、何をなすべきかについて、少し触れたい。

 第一に、経済回復を強化し、均衡がとれた持続的な成長を目指さねばならない。

 アジア太平洋の国々やほかの諸国が取った迅速で前例のない協調的な対応は経済の壊滅を防ぎ、過去何世代もの中で最悪の景気後退から脱却し始めることを助けた。我々は国際経済の枠組みの刷新に歴史的な一歩を踏み出し、G20は今や国際的な経済協調の主要な討論の場となった。

 国際金融に関する諸機構でアジア各国に与えられたより大きな発言権とともに、G20への移行は、米国が21世紀に追求する、より広く、より多くの国の参加を求めるような関与のあり方を明らかに示している。そして日本はG8の主要メンバーとして、将来の国際金融の枠組みを形作る上で指導的で不可欠な役割を今後も果たし続けるだろう。

 我々は経済回復の間際にあるが、それを持続的なものにしないといけない。世界的な景気後退を導いた、にわか景気に続く崩壊というサイクルに戻るわけにはいかない。不均衡な成長につながる政策を再びとることはできない。今回の景気後退が我々に教えた重要な教訓の一つは、経済成長を米国の消費者と、アジアの輸出だけに頼ることの限界だ。米国人があまりに巨額の借金に気づき、失業して雇用がみつからない時に、アジア製品への需要は急減したからだ。需要が急落した時、この地域からの輸出も急落した。アジア地域の経済は輸出に依存しすぎているため、成長が止まった。そして世界の景気後退がますます深まった。

 我々は今、歴史上まれな分岐点にたどり着き、異なる道を選ぶ機会を有している。まずは、均衡ある経済成長に向けた新戦略を追求するという、ピッツバーグのG20(サミット)での約束から始めねばならない。

 シンガポールで詳しく述べることになるが、米国において、この新戦略は、貯蓄を増やし、支出を減らし、金融制度を改革し、長期的な赤字と借り入れを減らすことを意味する。それはまた、我々が建設し、生産し、そして世界中に売り出すという輸出に重点を置くことも意味する。これは米国にとっては雇用戦略だ。今、米国の輸出は、何百万もの、良い賃金を得られる仕事を支えている。そうした輸出を少し増やすだけで、さらに何百万もの雇用を生む可能性を秘めている。これらの雇用創出は、風力発電の風車や太陽光発電パネルから、あなた方が日常的に使う技術までに及んでいる。

 アジアにとっては、よりよい均衡を達成することで、並外れた生産性の向上で可能になったような、より高い生活水準を労働者と消費者が享受する機会を提供することになる。また住宅や社会基盤、サービス業への投資を高めることになる。より均衡のとれた世界経済は、より深く、広い範囲の人々が利益を受けるような繁栄につながる。

 何十年もの間、米国は世界で最も開かれた市場のひとつであり、過去1世紀において、その開放性はアジアとその他の地域の多くの国の成功を支えてきた。新しい時代において、世界中の他の国の市場開放は、米国だけでなく、世界の繁栄に極めて重要だ。

 新戦略で不可欠なのは、野心的で均衡のとれた多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)妥結に向けた努力だ。どんな合意でもいいというわけではなく、世界中の市場を開放し、輸出を増やすという合意だ。我々は時期を逃さずその目標を達成できるかどうかについて、アジアのパートナーと協力する用意がある。米州地域の貿易相手国も協議のテーブルに招待する。

 この地域の持続的な経済統合が、すべての国の労働者や消費者、企業の利益になるとも信じる。韓国との間では、貿易協定の進展に向けて必要な課題について話し合うだろう。米国はまた「環太平洋パートナーシップ」諸国とも、21世紀の貿易協定にふさわしい、広範な参加国と高い水準を備えた地域的合意を作るという目的で関与していくだろう。


 協力して取り組むということこそが、この回復を維持し、共通の繁栄を進められる方法だ。バランスの取れた成長を追求するだけでは不十分で、地球と、ここに住むことになる未来の世代にとって、持続可能な成長であることが必要だ。

 米国はすでにこの10カ月で気候変動と戦うために、これまで取ってきたよりも多い措置をとった。最新科学を取り入れ、新エネルギーに投資し、効率基準を上げ、新たなパートナーシップを構築し、気候をめぐる国際交渉に取り組んだ。端的に言えば、米国にはまだやることがあるが、責任を果たし、これからも果たし続ける。

 その中には(国連気候変動枠組み条約締約国会議が開かれる)コペンハーゲンでの成功への努力も含まれる。私はそれが簡単だとの幻想は持っていない。しかし、前進への道のりは明らかだ。すべての国が責任を果たさなければならない。私の国もそうだが、排出の多い国々は明確な削減目標を持たなければならない。途上国は、資金と技術の援助を得た上で、排出を抑える中身のある行動をとる必要がある。そして、行動には透明性と説明責任も必要だ。

 私たち一人一人が、地球を傷つけずに経済を成長させるため、できることをしなければならない――しかも、我々はそれを一緒にやらなければならない。良い知らせは、正しいルールと動機付けをすれば、最高の科学者たち、技術者たち、起業家たちが創造する力が解き放たれる、ということだ。それは、新たな雇用、新たな事業、そしてまったく新しい産業にもつながる。日本はこの点において先頭に立ってきた。我々は、この重要な地球的目標を達成するうえで、日本の重要なパートナーとなることを楽しみにしている。

 とはいえ、我々は21世紀のこうした課題に直面すると同時に、20世紀の遺物である、我々の安全への脅威、つまり核兵器の危険に対応するための努力も、倍増させなければならない。

 (チェコの首都)プラハでは、私は世界から核兵器をなくすことへの米国の決意を再確認し、その目標を追求するための包括的な課題を示した。日本がこの努力に加わったことを喜ばしく思う。なぜなら、地球上でこの2カ国以上に、この兵器が何をもたらしうるかを知っている国はなく、そうした兵器のない未来を共に目指さなければならないからだ。これは、我々が共有する安全の根本であり、共有する人道性にとっての大きな試練だ。私たちの未来自体が左右されるのだ。

 明確にしたいことがある。これらの兵器が存在する限りは、米国は、韓国や日本を含む、同盟国の防衛を保障するため、強力で効果的な核抑止力を維持する。

 しかし、この地域での核軍拡競争の加速は、この何十年間の成長と繁栄を損ないかねない。だから、私たちには、核不拡散条約(NPT)の基本的な仕組みを守るよう求められている。つまり、すべての国に原子力の平和利用の権利があり、核兵器保有国には核軍縮へ行動する義務が、核保有国は核兵器を断念する責任があるという仕組みだ。

 実際、日本は、この仕組みに従えば真の平和と影響力を獲得できると、世界に示した例だ。何十年にもわたって原子力エネルギーの平和利用の利益を享受する一方で、核兵器開発を拒否してきた。そのことはあらゆる基準からみて、日本の安全保障を高め、立場を強くしてきた。

 我々の責任を果たすため、そしてプラハで示した課題を前に進めるために、我々は日本の助けも得て、この国際的な努力を支持する国連安保理決議を全会一致で可決した。ロシアとは、保有する核の削減の新たな合意を目指している。包括的核実験禁止条約を批准し、その発効にも取り組む。来年の核安全保障サミットでは、世界中の脆弱(ぜいじゃく)な核物質を4年以内に管理下に置くという目標を前に進める。

 以前にも述べたように、国際的な核不拡散体制の強化は、特定の国を名指しすることではない。すべての国がそれぞれの責任を果たすということだ。それにはイランと北朝鮮も含まれる。

 何十年にわたって、北朝鮮は、核兵器開発の追求も含む、対決と挑発の道を選んだ。この道がどこにつながるかは明白であるべきだ。我々は平壌(北朝鮮)への制裁を強化した。彼らの大量破壊兵器を制限する、今までで最も広範な国連安保理決議も通した。脅しに屈しない。言葉だけではなく、行動を通じて明確なメッセージを伝え続ける。北朝鮮が国際的な義務の履行を拒否することは、同国の安全を低下させるだけで、より安全にはならない。

 ただ、ここには別の道がある。我々のパートナーと歩調を合わせ、直接外交に支えられながら、米国は北朝鮮に違う将来を提示する用意がある。自国民をぞっとするような抑圧の下に置く孤立ではなく、北朝鮮には国際社会に統合していく未来もありえる。貧困のままではなく、貿易や投資や観光が北朝鮮国民により良い生活への機会を与えるという経済的機会のある未来も持てる。不安定さを増すのではなく、安全と尊敬の未来もだ。この尊敬は、好戦的な態度を通じては獲得できない。完全に国際的な義務を果たすことで国際社会の中に地位を占める国にしか与えられないのだ。

 こうした未来を実現するために北朝鮮が取るべき道は明確だ。6者協議へ復帰し、これまでの合意を守り、NPTへ復帰、朝鮮半島の完全かつ検証可能な非核化を行うことだ。そして、日本人の家族に対し、拉致された人たちの行方を完全に明らかにしなければ、近隣諸国との完全な関係正常化もない。これらは、もし自国民の生活を改善し、国際社会に参加することに関心があるならば北朝鮮政府がとることができる行動だ。


 この課題に注意深く対応する一方、アジアのすべてのパートナー諸国と協力し、国境を越えた21世紀の脅威と闘う。罪のない人々を殺戮(さつりく)する過激派を根絶やしにし、シーレーンを脅かす海賊行為を止める。感染症を阻止する努力を強化し、我々の世代で極端な貧困を終わらせる努力をする。女性、子供、移民を搾取する人身売買をやめさせ、この、現代の奴隷制という災厄に終止符を打つ。

 実際、我々が協力して取り組まなければならない最後の分野というのは、すべての人の基本的人権と尊厳を守ることだ。

 アジア太平洋地域は、多くの文化に恵まれている。素晴らしい伝統と、力強い各国の歴史に彩られている。何度も何度も、この地域の人々が、人類の進歩のために示してきためざましい才能と熱意を見てきた。そして、明確なのは、伝統的文化や経済成長は、人権の尊重によって損なわれるのではなく、逆に強化されてきたということだ。人権を支持することは、他の手段では得ることができない、継続的な安全をもたらす。米国の民主主義と同様に、日本の民主主義で見られる話だ。

 自由と尊厳を求めることは、すべての諸国民に共通する物語の一部だ。なぜなら、ある種類の望みは、人間が共通して持つものだからだ。思うことを話し、指導者を選ぶ自由や、情報に接することができ、自分の好きな信仰をもてること、法の支配や、司法の平等な適用への信頼。こういったものは、安定を妨げるのではなく、その礎石である。そして、我々は常にこのような権利を求める人たちの味方だ。

 この真実は、ビルマ(ミャンマー)に対する我々の新たな対応の指針になる。長年の善意にもかかわらず、米国による制裁も、他の国による関与も、ビルマ国民の生活の改善に成功しなかった。

 従って我々は今、指導者たちと直接に接触し、民主的改革に向けた具体的手段が講じられない限り、現在の制裁は継続するということを明確に伝えている。我々は、統一され、平和的で、繁栄し、民主的なビルマを支持する。ビルマがその方向に向かうなら、米国との関係改善が可能だ。

 取られなければならない明確な措置がある。アウン・サン・スー・チーさんを含むすべての政治犯の無条件釈放、少数民族との紛争の終結、そして将来についての共通の展望に基づく、政府、民主派、少数民族の間での、真摯(しんし)な対話だ。これが、ビルマの政府が国民の需要に応えることができる方法だ。これが、ビルマに真の安全と繁栄をもたらす道だ。

 以上が、米国がアジア太平洋地域においていっそうの繁栄、安全、人間の尊厳をもたらすために取る手段だ。その際には、親しい友人である日本を通じて行う。日本は常に、この地域での米国の努力における中心的存在だ。我々は、太平洋国家として、地球上のこの地域で人格の一部が形成された大統領のもとで、そうした努力を行う。またその努力は、約50年にわたり米国と日本国民とのきずなを導いてきたのと同じ目的意識をもって行う。

 このきずながどのように築かれたか、話は、前世紀の半ば、太平洋での戦火が収まってしばらくした頃にさかのぼる。その際に、米国が日本の安全と安定を約束したことが、日本国民の復興精神と勤勉さとともに、「日本の奇跡」とよばれるものにつながった。つまり、世界が長い間見たことのなかったような急速で力強い経済成長の期間だ。

 それからの数十年、その奇跡はこの地域に広がり、わずか一世代で、何百万人もの人々の生活と運命が、良い方に変化した。これは、苦労して勝ち取った平和に支えられ、広大で雑多な地域に散らばる諸国を結びつける、相互理解という新しい架け橋によって強化された進歩だ。

 我々には、まだやらなければならない仕事がある。科学技術での新たな進歩が太平洋の両岸での雇用につながり、また地球温暖化からの安全につながるようにする。危険な兵器の拡散を巻き戻し、分断された(朝鮮)半島において、南の住民が恐怖から解放されると同時に、北の住民が欠乏から解放されて生きられるようにする。若い少女が、その体でなく心で価値を判断され、若者たちが、どこにいようと、自分の能力、熱意、そして選択が許す限り、どこまででも進んでいけるようにする。

 これらはどれも簡単に実現しないし、後退や苦闘なしにも実現しないだろう。しかし、この変革の時期に、この奇跡の国において、歴史はそれが可能であることを示している。これは米国自身の課題だ。それが我々の日本との協力関係、そしてこの地域の他の国や国民との協力関係の目的である。米国初の「太平洋系大統領」として明確にしたい。この太平洋国家(米国)は、世界で死活的に重要な同地域での指導力を強化し、維持することを約束する。

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ESSAY>Obama
OBAMA>Tokyo Speech
November 14, 2009 01:01:00 soulsearchinの投稿

★フェイス・エヴァンス・ライヴ

テーマ:ライヴ評・レポート
★フェイス・エヴァンス・ライヴ

【Faith Evans Live】

クラブ。

Pディディーの秘蔵っ子としてデビュー、アルバム5枚(うち1枚はクリスマス・アルバム)で瞬く間にアメリカR&B業界でのスターになったフェイス・エヴァンスのライヴ。4枚のアルバムはいずれもプラチナム(100万枚以上)のセールスを記録しているので、圧倒的な人気を獲得している。かつて来日が決定したがキャンセルされたため、今回が待望の初来日。

バンド編成は、ドラムス、ギター、キーボード2人にDJという5人。多くの音はキーボードからシークエンスで出ているようだ。女性コーラスなども事前録音。全体的には、クラブなどで行われるショーという感じだが、フェイスの歌声はひじょうに魅力的。なによりも、その声の良さと歌のうまさが、ヒップホップ系ではずばぬけている。

会場の1階は、ほぼ最初からスタンディングで、フェイスに熱狂的に反応。曲も、踊れるミディアムからアップテンポの曲が多かったので、のりのりになった。所々聞かれるバラードでの歌唱は抜群だ。ただこの日は喉の調子が悪いとかで、ショーが途中のDJプレイを含めても正味62分。次回はなによりあの素晴らしい声と歌を、フル・バンドでのフル・ショーを見てみたい。

■フェイス・エヴァンス過去4枚のアルバムはいずれもプラチナ・アルバムに

Faith
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■メンバー

フェイス・エヴァンス / Faith Evans(Vocals)
ギル・スミス / Gil Smith(Keyboards/MD)
チャーリー・ビリーアル / Charlie Bereal(Guitar)
エリック・イングラム / Eric Ingram(Bass)
ベン・ブリッグス / Ben Briggs(Drums)
DJ ハリケーン / DJ Hurricane(DJ)

■セットリスト フェイス・エヴァンス ビルボードライブ東京
Setlist : Faith Evans

show started 21:00
01. Intro
02. You Gets No Love
03. Love Like This (sampling Chic "Chic Cheer")
04. Goin' Out
05. You Used To Love Me
06. Come Over
07. Soon As I Get Home
08. Tru Love
09. DJ Hurricane section
10. I Don't Need It (sampling of Jones Girls' "Nights Over Egypt")
11. Burnin' Up
12. All Night Long
13. Never Gonna Let You Go
14. Mesmerized (sampling of George Benson's "Footin It")
Enc. Again
show ended 22:02

(2009年11月8日日曜、ビルボードライブ東京=フェイス・エヴァンス・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Evans, Faith
136
November 13, 2009 02:31:31 soulsearchinの投稿

▲『マイケル・ジャクソン全記録 1958-2009』発売プロモーション開始

テーマ:マイケル・ジャクソン関連
▲『マイケル・ジャクソン全記録 1958-2009』発売プロモーション開始

【Michael Jackson Visual Documentary; Promotion Just Begun】

宣伝。

マイケル・ジャクソンが、何年何月何日、どこで何をしたか、どのように。そうした事実だけを忠実に記録し、それらを集大成した著作『マイケル・ジャクソン全記録 1958-2009』(エイドリアン・グラント著、吉岡正晴翻訳監修)が2009年11月10日リリースされた。少しずつプロモーションを開始した。

やはり、この本の素晴らしいところは、「ゴシップはいらない。事実の積み重ねだけで、マイケルの足跡を振り返る」というコンセプトだ。イチローがよく言う。「ヒットの1本1本の積み重ねが、偉大な記録を作る」 まさにその通りで、この本で記録されているひとつひとつの積み重ねがマイケル・ジャクソンを偉大なスーパースターにしているのだ。そういう意味では、マイケル・ジャクソンというスーパースターのDNAをひとつひとつ解剖しているかのような書と言ってもいいかもしれない。

昨日(11月12日)は、午後ずっとメールの返事やら、電話やらで忙殺され、夕方、幕張のベイFMへ。一度今年の5月にマーヴィン・ゲイ本の宣伝に行き、道も覚えていた。道は混んでいなかったので、40分程度で到着。5時過ぎに着くと、あたりはもう真っ暗。前回来た時は、時間が早かったせいもあるが、まだまだ明るかった。この日は暗くて、どのビルだったかが、わからなかった。でも、ツインタワーを見つけて、駐車場に。

DJ伊津野さんは、おそらく1970年代後期、あるいは1980年代初期か、ディスコ協会の勝本さんを通して知り合って以来だと思うので、30年近い付き合いか。正確に何年何月何日に初めて会ったのかがわからない。読者のみなさんも、『自分全記録19xx--』というのを、『マイケル・ジャクソン全記録 1958-2009』の余白に書き込んでください。(渡辺祐氏アイデアより)

つくづく日記というのは、書いておくものだなあ、と思う。文章にしなくても、誰と会ったとか、どこ行ったとか、何を食べたかだけでもいいかも。

6時の時報から、あっという間の30分。2曲(「アース・ソング」と「マン・イン・ザ・ミラー」)をかけるつもりだったが、例によって話が長くなり、後者はかからず。番組終わるのを待ち、軽く挨拶をして、ベイを後に。

半蔵門に向かい、8時半、TFMのスタジオへ。JFN用の番組のコメントを録り、その後10時からの『大西貴文のザ・ナイト』へ。前半と後半で2曲ずつ計4曲選んでおいてください、というので、選んだのは、「スムース・クリミナル」、「ビリー・ジーン」、「マン・イン・ザ・ミラー」、「ヒール・ザ・ワールド」。

結局かかったのは、前半で「スムクリ」、途中で「ビリー・ジーン」、さよならのご挨拶で「ヒール・ザ・ワールド」、実質3曲。

本の話しとしては、この翻訳本が誕生した経緯、追加分が200ページ近くなっていること、個人的にはリサ・マリーの追悼文、エイドリアン・グラントのあとがき、そして、マイケル・ジャクソン発言集がひじょうに感動的だ、というようなことを話した。

マイケル本どれを買えばいいか、と問われれば、究極的に言えば、マイケル・ジャクソン本人が書いた『ムーンウォーク』(田中康夫翻訳)、西寺郷太著『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』、そして、この『マイケル・ジャクソン全記録 1958-2009』(エイドリアン・グラント著)と言える。(若干手前味噌で申し訳ないが・・・) そして、それ以上にもちろんのことだがCDとDVDで、マイケルを知るのが一番いい。

アマゾンにおいて、 本 > エンターテイメント > 音楽 > 海外のロック・ポップス のジャンルで、おかげさまでずっと1位になっています。ありがとうございます。引き続きよろしくお願いします。

■ マイケル本、買うならこの3冊
『マイケル・ジャクソン全記録 1958-2009』

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ENT>MUSIC>ARTIST>Jackson, Michael
ENT>BOOK>Jackson, Michael
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