●ズレマ・キューソー死去~元フェイス・ホープ&チャリティー・リード・ヴォーカル | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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● ズレマ・キューソー死去~元フェイス・ホープ&チャリティー・リード・ヴォーカル

【Zulema Cusseaux Dies At 66】

訃報。

1970年代にヒットを放つフェイス・ホープ&チャリティーのリード・シンガーだったズレマ・キューソーが2013年9月30日、生まれ故郷のフロリダ州タンパで死去した。66歳。しばらく前から具合が悪かった。葬儀は2013年10月11日、12日にタンパで行われる。

ズレマ・キューソー Zulema Cusseaux は1947年1月3日フロリダ州タンパ生まれ。エドワード、グラシエラ・キューソー夫妻の間に3人兄弟の一人として誕生。男兄弟と女姉妹が一人ずついる。親しい人たちからは、「ズリー」と呼ばれ、次第に「ミス・Z(ズィー)」となった。高校でフレンチ・ホーンを演奏するようになり、マーチング・バンドに入った。またピアノもマスターし、ピアノの弾き語りで名を成すようになる。さらに教会のメンバーとなり、歌、ピアノの腕を磨いた。

1960年代後期、同地の仲間であるアルバート・ベイリーとブレンダ・ヒラードとともに「ラヴレスLovelles」を結成。これがのちにフェイス・ホープ&チャリティーに発展。プロデューサー、ヴァン・マッコイに見出され、1970年マックスウェル・レコードから出た「ソー・マッチ・ラヴ」がソウル・チャートで14位を記録し、一躍知られるようになる。

しかし、その後1972年、ズレマはグループを脱退、ソロに転向。1973年には、ビル・ウィザースなどを売り出したクラレンス・エイヴォントのサセックス・レコードに移籍、「テリング・ザ・ワールド・グッドバイ」(ソウルで91位)、さらにRCAに移籍「ウォナ・ビー・ホエア・ユー・アー」(マイケル・ジャクソンのヒットのカヴァー、ズレマ・ヴァージョンは1975年1月からヒットし、ソウル・チャートで58位を記録)、ルジョイント・レーベルで2枚のシングルがヒット。しかし、大きな成功を収めることはなかった。

一方、彼女が抜けた後、フェイス・ホープ&チャリティーは1975年にヴァン・マッコイ・プロデュースで「トゥ・イーチ・ヒズ・オウン」の大ヒットが生まれた。

So Much Love - Faith, Hope & Charity
初ヒット

http://youtu.be/n8KU-VL5yBA



Zulema - Close To You
彼女の弾き語りがひじょうによくできているヴァージョン。

http://youtu.be/2m4PcQhif6w



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OBITUARY>Zulema, (Cuxxeaux) (January 3, 1947 – September 30, 2013, 66 year old)