●桜井ユタカ氏、死去~ソウル・ミュージック紹介の第一人者 | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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● 桜井ユタカ氏、死去~ソウル・ミュージック紹介の第一人者

【Mr.Soul ; Yutaka Sakurai Dies At 71】

訃報。

ソウル、R&Bミュージックなどブラック・ミュージックの音楽評論家、桜井ユタカ氏が2013年6月11日午後、肺炎のため死去した。71歳だった。親族で密葬が行なわれる。

桜井氏は1960年代から、当時はまったくほかの誰もやらなかった黒人音楽の評論、紹介をするようになり、日本におけるソウル・ミュージックの普及に大きな足跡を残した。ファッツ・ドミノから入り、オーティス・レディング、サザン・ソウル系の作品など良質のR&B作品を多数日本に紹介した。1972年から発行した月刊誌「ソウル・オン」は30年以上続いた。またアメリカでリリースされた全ソウル・シングル、アルバムを網羅するという『ソウル大辞典』はAから始まり、2001年4月編集のOまでの第3巻で未完のまま終わった。

評伝。

桜井ユタカさんは、1941年(昭和16年)7月25日東京生まれ。法政大学卒業後、新興楽譜出版(現在のシンコー・ミュージック・エンタテインメント)に入社、「ミュージック・ライフ」の編集に携わった。その後、「ティーンビート」「ヤングミュージック」等の音楽誌編集に携わった後フリーランスに独立。ソウル・ミュージック、R&Bを中心に雑誌、ライナーノーツなどを多数執筆した。

1971年手書き印刷の同人誌「リトル・モア・ソウル」を発刊、これが1972年1月号からソウル専門の月刊誌「ソウル・オン」となり、2004年8月号379号まで発行した。他のメディアで紹介されない珍しいソウル・ミュージック、アーティストを積極的に紹介してきた。

また1970年代メンフィスのハイ・レコード発売時の監修、ライナーノーツ執筆、スタックス・レコードのボックスセット日本盤監修、ライナーノーツ執筆、ソウル曲を集めたコンピレーション盤『ディープ・ソウル』など多数のソウル・レコードの発売に尽力した。

アメリカ(とイギリスなど)で1950年から1995年頃までにリリースされたソウル・ミュージックのシングル盤とアルバムをすべてリストアップするという「ソウル大辞典」を編集、1997年から発行。Aから始まり、O(オー)まで3巻リリースされた。各巻500部限定発売。これは海外のソウル・ミュージック・コレクターからも注目された。

2004年8月号で雑誌「ソウル・オン」の発行を終了、『ソウル大辞典』の編集に集中していたが、しばらく前から実質的に引退していた。

オーティス・レディングをはじめとするメンフィス・サウンド、スタックス、ハイ・レコード関連など広くサザン・ソウルの普及に関しては大きな力となった。特にオーティス・クレイの日本でのスター化は桜井氏に負うところが大きい。1960年代以降、多くのソウルのレコードに書かれたライナーノーツは多くのソウル・ファンの道標となった。

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原点。

湯川れい子さんのニューヨークからのツイート(2013年6月12日、日本時間15時15分)で訃報にふれてびっくりし、まず鈴木啓志さんに電話した。鈴木さん自身も桜井さんとは会っていなかったとは聞いていた。桜井さんはここ数年体調をくずされ、「ソウル・オン」廃刊を機に実質的に引退されていた。あのオーティス・クレイが2008年9月に来日したときも、友人が桜井さんに会いに行こうと声をかけたらしいが、行かれなかったと人づてに聞き、そのときかなり驚いた。

僕が桜井さんに初めて会ったのは高校時代だった。「ソウル・オン」のレコード・コンサートが赤坂のムゲンなどであってそれにでかけるようになって、桜井さん、八木誠さんなどと出会う。1972年前後のことだ。1973年から僕がソウル・シングルの輸入盤を取り寄せるようになり、それを機に親しくさせていただくようになった。たまたま僕が車の運転ができるということで、「ソウル・オン」の配本を毎月手伝うようになりあちこちの輸入レコード店や当時はほとんどなかったソウル・バー、いくつかのディスコなどにも配本に行った。さらに「書いてみないか」とお誘いをいただき、原稿を初めて書いた。ライター・デビューだ。

当初は「ソウル・オン」のニュースのページやレコード評、シングル・リリースのリスト作りなどを書かせていただいた。

いわば僕のソウル音楽ライターとしての出発点はこの桜井さん、「ソウル・オン」にある。正確に何年の何月号かが今ははっきりしないのだが、全部バックナンバーをひっくり返せばわかるはずだが、バックナンバーはトランクルームのどこかですぐにでてこない。1974年頃のどこかだと思う。

2ページか3ページの特集でシャーリー・ブラウンの「ウーマン・トゥ・ウーマン」について書いたのが、初めてのまとまった記事だったような記憶がある。あれが1974年の終わり頃か1975年初めだったと思う。

しかし、そのときに自分がこれを30年以上も続く仕事にするなどとは夢にも思わなかった。20歳そこそこで、10年後なんてまるで想像だにできなかった。だが今考えると、僕が20歳で学生のときに、桜井さんは34歳くらいだったわけだ。14歳しか違わないのに、ものすごく大人の尊敬すべき大先輩に思えた。いや14歳も違ったからなのかもしれない。そして今自分の年齢が当時の桜井さんよりはるか上になっていても、依然雲の上の存在のように思える。

思い出。

たくさんの思い出がある。六本木の今はなき喫茶店「ベニルイ」には一時期本当に入り浸った。桜井さんがそこでいろいろなレコード会社の人と打ち合わせをしていて、よく呼び出された。それからしばらくして青山のソウル・スナック「OA」だ。当時のRVC(渋谷)やビクター(原宿)のディレクターなどとはそちらのほうが近かったので、もっぱらOAだった。ワーナーパイオニアは六本木でベニルイの目と鼻の先だったから、ワナパイの人とはベニルイだった。おそらく当時のワーナーの折田さんは桜井さん経由でベニルイで紹介されたと思う。(場所は会社かもしれないが) そしてそれが僕の初めてのライナーノーツにつながる。1975年7月のメジャー・ハリスの『マイ・ウェイ』だ。例の「ラヴ・ウォント・レット・ミー・ウェイト」が入っているアルバムで、あれが僕の初めてのライナーノーツである。ベニルイから徒歩3分の今はミッドタウンの敷地になってしまったソウル・バー「ジョージ」にもよく流れた。

そういえば桜井さんは毎年夏、下田の海に行きつけの宿があり、そこにも連れて行ってもらった。下田までの一本道で調子にのってスピードを出していて、スピード違反で捕まったこともあった。もちろんライヴ・コンサートもお供した。とはいっても、その頃はめぼしいライヴは年に2-3本もあるかないかだった。中野サンプラのグラディス、アル・グリーンなんかそうだったかな。

桜井さんがラジオ関東(当時、現ラジオ日本)で深夜に週一でマニアックなソウル番組をやっていたことがあり、その手伝いもした。ディレクターはブリティッシュ・ロックに強い和田栄司さんだった。和田さんのキュー振りで僕がターンテーブルに7インチシングルやときにアルバムを乗っけて、レコードをまわした。半年くらい続いたのかなあ。と思ったら、和田さんと何十年ぶりかに話をして、おそらく1974年4月から1975年3月まで続いた『ディス・イズ・ワールド・オブ・ソウル』だったのではないか、と思い出していただいた。和田さんによると、彼が担当していた『神太郎の深夜放送一直線』(深夜1時~5時)の枠の3時半くらいから約1時間半、桜井さんが好き勝手にソウルのレコードをかけていた。あれも実にマニアックな番組だった。古いソウル・オンにはかけた曲目が残っているはずだ。

好き嫌い。

ソウル・ミュージックに関して言えば、桜井さんが好きなアーティスト、曲調などはだいたいわかった。そして、嫌いなものもよくわかった。特にディスコ嫌い、ジャズものも好きではなく、その好き嫌いをはっきり口に出したり、書いたりしていておもしろかった。しかも、それが一環していて絶対に好き嫌い、ポリシーは頑固にぶれなかった。

最後に桜井さんにお会いしたのは、OAのクロージング・パーティーだった。調べてみると2006年5月である。もう7年も前だ。僕のツイートを見て、村上てつやさんからも電話がかかってきた。彼も桜井さんに最後に会ったのがそのときだったというので、同じときだ。あれ以来ほとんど人前にでてこなくなってしまったのかもしれない。

本質。

桜井さんが書いて1976年4月(昭和51年)に講談社から出した『ソウル&ブルーズ~キミをとりこにする魂の音楽』を久々に引っ張り出した。活版印刷のソウルに関する本で、桜井さんがどのようにソウル・ミュージックの魅力に引き込まれたかという話から、ソウル・ミュージックの歴史などもわかりやすく解説され、買うべきレコードなどが紹介されている。ファッツ・ドミノを米軍放送(FEN)で聴いてこのソウル・ミュージックの世界にどっぷりとつかり、「3度のメシよりも好き」と広言する。そして「気付いたらもう20年もこれを聴いているが飽きたことがない」とも書く。その頃、20年も聴いてるのかとその長さに多いに驚いたことを覚えているが、今、自分が30年以上、40年近くこういう音楽ばかりを聴いていて、しかも、飽きないのだから、なんとも不思議な感じがする。

そしてこの本で僕がもっとも印象付けられている文章がある。それは本の最後に書かれている文章なのだが、6行ほどを引用してみたい。若い読者にソウル・ミュージックを聴く際にこうして欲しいという桜井さんの願い、希望だ。

「そして、もうひとつ、ぼくからの希望は、音楽を楽しむ時には、まず第一にアーティストの本質を聞いてから、次にいい曲だ悪い曲だと云々して欲しい。曲あってのアーティストという聞き方がまかり通っているが、これは絶対におかしい。まずあるのはアーティスト。次に曲だ。この順序をきもに銘じて、これからもどしどしソウル・ミュージックの奥深い世界にのめり込んでいってもらいたいと思う」(同著・211ページ)

この教えは僕もずっと肝に銘じている。

桜井さん、長い間、おつかれさまでした。ありがとうございました。最大の感謝を込めて。

2013年6月14日

吉岡正晴

OBITUARY>Sakurai, Yutaka>July 25, 1941 – June 11, 2013, 71-year-old

スペシャルサンクス: 鈴木 伸宏さんにソウル・オン誌の詳細データを提供いただきました。ありがとうございます。

■桜井さんの曲・アーティスト解説などを収録。スタックス・ボックス・セット

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