▲「R&B」生みの親~ジェリー・ウェクスラー死去(パート1) | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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▲Jerry Wexler Dies At 91: R&B Pioneer Who Invented Term “Rhythm & Blues” (Part 1)


【「R&B」生みの親~ジェリー・ウェクスラー死去(パート1)】

訃報。

R&Bのレコード・プロデューサーとして1950年代から多くのアーティストとかかわり、多数のヒット曲を生み出したジェリー・ウェクスラーが2008年8月15日午前3時45分、フロリダ州サラソータの自宅で心臓疾患のため死去した。91歳だった。ここ数年、心臓を患っていた。

ジェリー・ウェクスラーは、本名ジェラルド・ウェクスラー。1907年1月10日ニューヨークに生まれた。父はポーランドからの移民、母親はジェリーに作家になって欲しいと思っていた。教育熱心な母親の勧めで彼は南部のカンサス州立大学へ。そこで彼はブルーズに接する。一時期戦争に従軍するが、戦後、大学に戻り、その後1949年までにニューヨークに戻った。ここで、音楽業界誌ビルボードに入社。ビルボードにはいくつものチャートがあったが、いわゆる黒人音楽のヒットチャートは当時は「ベスト・セリング・リテイル・レイス・レコーズ」と呼ばれていた。ブラック・ミュージックをレイス・ミュージック(人種のレコード)と言っていた。だがこの表現は若干差別的で問題があるということで、ビルボードは新しい名前に変更しようとする。そしてそのときのスタッフの一人だったジェリー・ウェクスラーが提案した「リズム・アンド・ブルーズ(R&B)」という言葉が採用され、1949年6月25日付けビルボードから「レイス・ミュージック」の名前が「リズム・アンド・ブルーズ」となった。ジェリーは、その意味で「R&B」という言葉の生みの親だ。ビルボードでジェリーは記事を書くレポーターとなるが、ある意味で、原稿を書く点では母親の希望だった作家(ライター)になったわけだ。

ビルボードでの仕事ぶりを認められたジェリーはアトランティック・レコード創始者アーメット・アーティガンに誘われ、1953年アトランティック入り。ここでレコード宣伝、レコード制作に携わるようになる。このころ、ジェリーが売り出したのが、ドリフターズ、コースターズ、レイ・チャールズといった黒人アーティストだった。当時のレコード・マンは、自分でアーティストを見つけ、レコーディングし、ラジオ局のDJに売り込み、宣伝をし、ときにはアーティストのツアーの手助けもして、ヒットを作るという作業をすべてやった。

ウェクスラーはより南部の泥臭いソウル、R&Bに傾注するようになる。オーティス・レディングが在籍していたメンフィスのソウルの名門レーベル、スタックスをアトランティック傘下に置き、積極的にソウル、R&Bを売り出した。中でも、ちょうどコロンビア・レコードとの契約が切れたシンガー、アレサ・フランクリンを自社に引き抜き、アレサを南部のスタジオに連れて行きレコーディング。それまでのジャジーでブルージーなサウンドからパンチの効いたリズムの強いR&B曲を出したところ、瞬く間に大ヒットとなり、以来、アレサは次々と大ヒットを放つようになる。ジェリーはプロデューサーとしてアレサと14枚のアルバムで手を組み、アレサの黄金期を形成した。

アトランティックでは、1975年に同社を去るまで、アレサのほかに、レイ・チャールズ、ウィルソン・ピケット、パーシー・スレッジなど多数の作品をてがけた。また、アーメット、ネスヒ・アーティガンとともに、一インディ・レーベルだったアトランティック・レーベルを世界的な大レーベルに育て上げた立役者でもある。アトランティックで、彼は「R&B」「ソウル」を世に送り出し、レイ・チャールズ、アレサ・フランクリンやレッド・ゼッペリンやオールマン・ブラザースを世界的スターにした。20世紀を代表するレコード・プロデューサー/レコード・エグゼクティヴの一人と言っても過言ではない。

ジェリー・ウェクスラー本人は自らの肩書きで一番気に入っているものは、レコード・プロデューサーや、宣伝マンなどではなく、「レコード・コレクター」(レコード収集家)だと言うそうだ。

ローリング・ストーン誌が数年前に、ジェリー本人によるお気に入り自作曲ベスト20のリストを掲載した。その20曲は次の通り。まさにアメリカ・ブラック・ミュージックの歴史を作り上げたアーティスト群だ。

Jerry Wexler’s Own Favorite Tracks

1. Professor Longhair -- "Tipitina" (1953)
2. Ray Charles -- "I Got a Woman" (1954)
3. Big Joe Turner -- "Shake, Rattle and Roll" (1954)
4. LaVern Baker -- "Tweedlee Dee" (1954)
5. Champion Jack Dupree -- "Junker’s Blues" (1958)
6. The Drifters -- "There Goes My Baby" (1959)
7. Ray Charles -- "What I’d Say" (1959)
8. Solomon Burke -- "If You Need Me" (1963)
9. Booker T. & the MG’s -- "Green Onions" (1962)
10. Wilson Pickett -- "In the Midnight Hour" (1965)
11. Aretha Franklin -- "Respect" (1967)
12. Dusty Springfield -- "Son of a Preacher Man" (1969)
13. Dr. John -- "Iko Iko" (1972)
14. Doug Sahm -- "(Is Anybody Going to) San Antone" (1973)
15. Willie Nelson -- "Bloody Mary Morning" (1974)
16. The Sanford/Townsend Band -- "Smoke From a Distant Fire" (1977)
17. James Booker -- "Winin’ Boy Blues" (1978)
18. Etta James -- "Take It to the Limit" (1978)
19. Dire Straits -- "Lady Writer" (1979)
20. Bob Dylan -- "Gotta Serve Somebody" (1979)

(ジェリー・ウェクスラーについては続きます)

■ 訃報記事

http://www.nytimes.com/2008/08/16/arts/music/16wexler.html?_r=1& ;pagewanted=2&partner=rssnyt&emc=rss&oref=slogin

http://voices.washingtonpost.com/postrock/2008/08/rip_jerry_wexler.html?hpid=topnews

http://www.rollingstone.com/news/story/22595667/the_record_collector_jerry_wexler_dies_at_age_91

ENT>OBITUARY>Wexler, Jerry, (January 10, 1907 – August 15, 2008, 91)