西麻布 | 吉岡正晴のソウル・サーチン

吉岡正晴のソウル・サーチン

ソウルを日々サーチンしている人のために~Daily since 2002

(昨日からの続き。舞台は自由が丘から西麻布へ)

【自由が丘へのルーツ】

西麻布ばいちゃん

なぜ、大貫さんと僕が「レノマス」に「エスピガ」のDJとして誘われたか。

それから遡ること3年余。1979年夏。僕は西麻布にあったDJバー「トミーズ・ハウス」という店に足を運び入れた。西麻布に住む友人が、「半地下からいい音が聞えてくるなんか面白そうな店があるから、行ってみよう」といって誘ってくれたのだ。六本木交差点から西麻布の交差点に向かい、左側を歩いていくと、交番の手前にその店はある。階段を数段下りて入っていくと、中では大音響で音楽が流れていた。

たくさんの曲を聴いたが、特に印象に残っていたのはちょうどその頃全米で流行っていたハーブ・アルパートのインストゥルメンタル曲で全米ナンバーワンになる「ライズ」だ。10坪程度の小さな店だったが音響に凝っていて、JBLとウーハーがものすごくいい音を出し、当時の流行の洋楽曲がかかっていた。カウンターは対面で客が座るようになっていて、そのテーブルには、バックギャモンのゲーム盤が作りつけられていた。店のスタッフは、ローラースケートを履いてドリンクを運ぶという、当時としてはかなり斬新な、しかもアメリカナイズされた店だった。バックギャモンのゲームを覚えたのもこの店だった。

オウナーはトミーで、彼は洋楽も最先端のものから、邦楽も洋楽寄りのものを厳選してかけていた。初めて足を踏み入れたその日、僕はそこの店の音の良さ(音響の良さと選曲の良さ)にほれ込み、以来頻繁に通うようになり、そのうちトミーに誘われひまな時間にDJをするようになったのだ。それがいつしかレギュラーで週末にDJをするようになった。僕は毎週金曜と土曜の夜10時半から夜中の3時まで4時間半、ノンストップで立ちっ放しでDJをした。僕がかけたのはほとんどソウル、ディスコばかりだった。

毎日深夜3時。店のクロージング・テーマは決まっていた。毎日、週末も平日も、深夜3時になると、「トミーズ・ハウス」では必ずこの曲がかかかり、この曲とともに暗かった照明が明るくなった。それが山下達郎さんの「ラスト・ステップ」だ。僕が達郎さんの音楽を知ったのがこの「トミーズ・ハウス」だったといっても過言ではない。トミーが達郎さんのレコードを大変好きで、洋楽曲の中にぽっと達郎さんのレコードをはさみこんでよくかけていた。彼が1980年に大ブレイクする前の話である。

1979年。

1979年夏というと、ソニーのウォークマンが世に出たときである。さっそく新しいもの好きの編集者などがそれを持って「トミーズ」にやってきたことを思い出す。初めてウォークマンを聴いたときの驚きといったらなかった。これはとんでもないものがでてきたと思った。

この「トミーズ・ハウス」はまもなくその音の良さで音楽関係者やファッション業界、雑誌編集者などが多数来るようになる。そんな中に大貫さんがいた。僕もそこで大貫さんと知り合うことになるのだが、大貫さんもトミーに誘われ、毎週水曜日にDJをすることになったのだ。大貫さんは、1980年に「ロンドン・ナイト」のイヴェントを始めていて、ほぼ同時期にこちらでもDJをやりだした。大貫さんと僕の選曲は決してかぶることがないので、それはそれでおもしろい。

ここで強烈に印象に残っているのは、さきほどの「ライズ」以外では、マクファーデン&ホワイトヘッドの「エイント・ノー・ストッピン・アス・ナウ」、クルセイダーズの「ストリート・ライフ」、マイケル・ジャクソンの『オフ・ザ・ウォール』のアルバムなどだ。「トミーズ・ハウス」での思い出もけっこうあるので、いずれ別の機会にでも書いてみよう。

そして、自由が丘の「レノマス」は、よくこの「トミーズ・ハウス」に遊びに来ていた。そこで、僕や大貫さんと知り合い、「エスピガ」でのDJへとつながっていくのだ。

ところが、その「エスピガ」は、あるときキッチンでちょっとしたボヤを出してしまう。僕はたまたまその日店にいたのだが、DJは終わっていたか、休憩中だった。キッチンの方から火がでてびっくりした。しかし、よくある料理のときにフライパンなどから瞬間火がぼーと燃え上がるのかと思っていたら、それがなかなか消えず、あれと思ったら、瞬く間に煙がでてきた。あわてて「火事じゃない?」と言って、店のスタッフがお客さんを店外に出した。結局、そのボヤは自力で消し大事には至らなかったのだが、その日は当然営業中止。確か店はキッチンが使えないためにしばらく休業し、これを機に、そのままクローズしてしまったように記憶する。

「エスピガ」をやめてからは「レノマス」とは疎遠になってしまい、近況はわからない。しばらくしてアメリカに行ったことを風の便りに聞いたくらいだ。

だが今回、「マルディ・グラ」が、実は以前「レノン・ストリート」の跡地だったという小さな事実を確認できたことは、個人的には大きな収穫だった。自由が丘の何の変哲もない交差点の角にあった昔の店と今の店。世田谷区奥沢5-29-10、この小さな角地には音楽好きの神が宿っているのかもしれないなどと無理やりにこじつけてみたくなった。

(この項、終わり)

■マルディ・グラのウェッブ
http://www.jiyugaoka-mardigras.com/

■大貫さんの「ロンドン・ナイト」のウェッブ
http://www.kenrocks.net/i.htm

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