平野眞悠です。


今日は自己紹介の第3話、

昨日の記事の続きです。

 

 

大学4年生の夏に起きた大きな事件とは

大学に入り、

楽しい学生生活を

送っていた私。

 

 

 

しかし、

4年生になった夏に、

大きな事件が起こります。

 

 

 

それは私にとって

人生の大きな岐路となった

事件でした。

 

 

 

その事件とは・・・

大きな病気が発覚したのです。

 

 

 

まさかの感染症!!

 

その大きな病気とは、

まさかの感染症でした。

 

 

もちろんコロナでは

ありませんが・・・

 

 

 

明治時代には死に至る病、

として恐れられていた感染症です。

 

 

そう、肺結核だったのです。

 

 

 

ちなみにこの病気、

明治時代の流行では

人口の約2%が

感染していたそうです。

 

 

いつの時代も

感染症ってあるものですね。

 

 

 

 

さてさて、

私は公務員試験の

二次試験前に受けた

レントゲン検査の結果に

引っかかり、精密検査をした結果、

この病気がわかったのです。

 

 

 

『え?私サナトリウムに入るの?』

『血を吐いて死ぬの?』

 

 

気が動転した私は

肺結核で亡くなられた

正岡子規や樋口一葉・・・

 

 

そんな明治の文豪たちの

イメージで頭の中がいっぱいに

なっていました(笑)

 

 

同級生からの不安の声が・・・

幸いにも血を吐くまで至らず

咳が少々ありましたが、

拡散性ではないタイプの

結核だということで、

 

 

 

医者からは

「普通の生活をしながら、

 薬を飲んで通院で大丈夫ですよ」

 

 

そのように言われましたが、

 

 

同級生からはこんな噂が

広まっていたようです。

 

 

「感染の可能性もあるんじゃないか?」

「大切な就職の前に、うつされても困る」

 

 

確かにそうですよね、

感染していない人たちに

とってみれば、そうでしょう。

 

 

 

研究室の教授からは

「1ヶ月休むように」と言われました。

 

 

 

 

この一連の出来事を、

 

「自分がいることで、

人に迷惑がかかるんだ・・・」

 

 

そんな風に
ネガティブに捉えた私は

1ヶ月間、泣きながら

実家で寝ていました。

 

 

 

その後薬のおかげで

回復に向かいます。

 

 

 

 

就職も決まり、

公務員という形で

新社会人の道を歩み始めます。

 

 

 

 

公務員の仕事の内容は

主に農業者さんの

事業継続や、

新しい事業展開のための

様々な相談にのることでした。

 

 

 

言ってみれば、

農業者さんの『経営サポート』

『働き方改革のサポート』

 

 

そんな仕事内容でした。

 

 

 

 

専門職でしたので、

その仕事で定年まで

いくのかと思いきや、

 

 

 

私の場合は

その後様々な部署へ

配属されることになります。

 

 

 

 

様々な部署への配属が

結果的に私の可能性を

引き出してくれた、と言っても

過言ではありません。

 

 

 

 

ではそんな私が

なぜ公務員を退職することに

なったのか?

 

 

 

 

この続きは次回の記事で。