こんにちは冨永のむ子です。
風薫る季節になってきましたねー
昨日は母と大船ルミネのイベントへ。
見た目が気に入ったものの、
着心地がいまいちで出番がなかった服を処分したら、
クローゼットも心の中もとってもスッキリしました。
買い物に失敗したと気づいた時点で、
潔くそこを認めて手放せばいいのに
なかなかの執着がありました。
エゴは失敗を認めたがらない。
その代わりに上手に言い訳をさせます。
言い訳も色んな種類があるけど、
真面目な頑張り屋さんの呪いになってしまう言い訳は
「これも意味がある」ってやつだなあと。
自戒をこめて・・・。
もちろんすべてのことに
意味はあるのです。
でもその意味は、しでかしてすぐの時点では
絶対にわからないのです。
意味は自分が捏造するものじゃなくて、
昇華して自然に見えてくるもの。
でも人は自分を護りたい生き物だし、
自分の思った通りにしたい。
エゴは自分の失敗を認めさせないために、
色々意味付けをしたがる。
それがエゴの仕事でもありますね。
誰だって敗北を認めるのは面白くないし、
そう思う自分もいてもいい。
でも、天に使ってもらうには
自分の負けを認める素直さや潔さは
絶対条件かもしれません。
それがいわゆる降参・サレンダーですから。
負けというか、
自分の未熟さを認め白旗をあげればいい。
エゴは自分の正しさに拘泥し
泥沼に向かわせます。
人生はほんとうにシンプル。
自分は正しい=自分は間違っていない、
その想いに固執すればするほど、
世界はその前提で展開します。
どういうことかというと
「私は間違っていない」ということは、
周囲が間違っているわけです。
うまくいかないのは周囲や環境が最悪だからだ、
私は可哀そうだ、
という心を増幅させなければなりません。
するとどうなるか・・・
賢いあなたはお分かりですね。
周囲は最悪で、私は可哀そう・・な現実が展開する
「私は間違ってないの!」
「わかってくれない家族が悪い」
「認めてくれない上司や世間は最悪」
「どいつもこいつも最悪!」
と・・・最悪な世界を創造するループ。
そうやって自分の非や負けを
絶対に認めずに生きるのも自由です。
大丈夫なふり、平気なふり。
「これも意味がある」と前向きに捉えているふり・・・。
それを続けることも自由。
でも、それを続けると
泥沼化するのは火を見るよりも明らかでは。
かつての私はまさにそれを続け
どん底に突き落とされ「私がバカだった」と
降参するしかない状況になりました。
何をしてもうまくいかなかった最悪の事態は、
すべて自作自演だった。
そこに気づくまでは・・気づくというか、
そこを認めるまでは苦しかったけれど、
そこに気づき、
なんて自分はバカなんだ・・・と
自分を認めたらすごくすごく楽になりました。
そして同時に、なんというか・・・
がががっと、引き上げてもらえましたね。
負けるが勝ちってほんとなんだなと。
降参・サレンダーとは、白旗をあげること。
だからその手前に、
「自分の負けを認める」というステップが必要なんでしょうかね。
「これも意味がある」・・と頑張ることをやめてはじめて、
すべては意味があったんだなと、
人生に天が置いてくれた伏線にありありと気づきますね。
自分だけで頑張らない、
本当におすすめします。
・・・というわけで今日はこのへんで
リンクの記事もぜひ読んでね。
もう一回あげときます。
https://ameblo.jp/soullifelabserendip/entry-12292646241.html
自分の神話の歩き方無料メールマガジン、バックナンバーでした。
この記事は続きがあります。
負けを認めることがなぜ難しいのか
自分も周囲もゼロストレスの
自分の神話を歩きましょ。