アンナチュラル 後篇(僕自身が読みたくなったので、ここに置いときます) | 悠志のブログ

悠志のブログ

ぷくぷくぷくぷくぷくぷく。

テーマ:

 第七話。「殺人遊戯」

 今回は遠隔死亡診断がテーマ。

 三澄ミコトの弟の塾の教え子の白井一馬くんが法医学者を目指しているというが、待ち合わせをしたのにすっぽかされてしまう。そこで連絡先を教えると早速翌日メールが来た。ところがそれには或る動画のアドレスが貼ってあった。

 何これ。

 それは殺人の実況中継だった。死亡したYくんの死因は? それを当てないともうひとり殺すと言う。三澄はこの「殺人遊戯」のゲームに参加することになってしまう。後ろに血まみれで倒れているYくんがほんとうに死んでいるのだけはわかった。この被害者?は横山伸也という、白井くんのクラスメイトらしい。昨夜から連絡がとれない。体育備品倉庫のマットから多量の血液を発見。彼の遺体からは刺された痕のほかにずっと以前の打撲の痕が散見された。横山くんは日常的にいじめを受けていた疑いがある。彼は、殺されたのか。自殺か。

 

 ストーリィはこれ以上書かない。

 

 これは痛ましいいじめへの告発のドラマになっている。この話も最後に情が絡んで甘くなった。けれどもこれは制作スタッフの怒りの思いを感じた。人間らしい感情の欠片もない、冷酷かつ非人間的ないじめに相対するには感情的になってはいけないと思う。そんな態度だからつけこまれるのだ。この殺人実況生中継を行った、白井くんの想いは伝わった。だけれど、涙など流すだけ無駄。こういう厳しい現実を感動的に描きたい気持ちはわかるが、それでは甘いドラマになってしまい、真の悪とは何かを追求できずに終わってしまう。

 感情的になったドラマ演出は視聴者の心を揺さぶれるか。

 答えはノーだ。

 心を鬼にして冷徹な演出を心がけないといけない。

 

 わかりませんか。

 

 この一件、いったい誰が悪いのか。いじめを行った生徒だけの罪ではない。見て見ぬふりをした教師もおかしいし、いじめられている白井くんを、周りで笑ってみていたクラスメイトの態度にも問題がある。また、横山伸也くんへのいじめに非協力的な態度で接し、担任への報告を怠り、その責任を白井くんひとりに押しつけた、学級委員の女の子にも問題はある。臆病な白井くんが仮に、担任へいじめの事実を報告したところで、うやむやにされ握りつぶされるのは見えている。つまりこれは「オリエント急行殺人事件」と同じ。全員が横山くんの死の要因づくりに加担していたと言っていい。強調すべきはそこなのではないだろうか。

 戦争終結後の軍事裁判に例えて言うなら、いじめを行った連中をA級戦犯とするなら、笑ってみていたクラスメイトはB級戦犯。担任もB級戦犯。報告をしなかった学級委員長もB級戦犯。白井くんを責めたくはないが、彼にも落ち度はある。ただ、彼は自分に罪があることを認めていた。そういう点は認めてやるべき。

 つまり彼らは自分が矢面(やおもて)に立たされたくないがために、自らの保身のために現実から逃げたと言っていい。このドラマでは、いじめを行った連中にまるで正義の鉄槌をくだすかのように、徹底的にこきおろしているだけで、あとの周囲の人間たちの責任の所在については明らかにしていない。その点。明示すべき点の指摘が弱い。もっとはっきり浮き彫りにさせるべきだったのではないだろうか。この話、そういういじめの元凶を指摘していないわけではないが、明確化していないのは確かなことで、いたずらに涙を流したり、いじめの被害者を言わば遠吠えさせたりして、感情的になっているだけにすぎない。

 

 怒ったら敗けです。演出も制作スタッフも怒っているかもしれないが、視聴者はみな平常心で見ている。怒りながら観る人は、よほどの単細胞だけであって、ほとんどの視聴者は冷めた(あるいは醒めた)眼で観ています。日常、激している人物をよく見ますが、そういう輩を周りの人間は心から軽蔑しています。同情する人はほんの一握りもいない。

 

 ともかく制作。演出。ともに肝心なところがわかっていない。

 もっと対象を突き放して描け。怒るな。怒ったら負けだ。

 

 役者の演技に言及していなかった。

 この話での石原さとみはかなりいい。

 話に思わず引き込まれるのは、話の面白さもあるが、石原さとみの好演によるものが大きい。理性で制御されたかなりストイックと言える演技だ。

 入れ込んだ場面。抜いた場面。自在に演じており、見れば見るほど引き込まれる熱演と言える。それと井浦新の腰の据わった演技(時に意図的に浮わついた演技をしている箇所もあるが)がそれをサポート。あと、言うべきは、市川実日子と窪田正孝の助演。市川の無邪気なくらいの軽い演技はやはりいい。そしてゲストの白井一馬くんを演じた望月歩くん。涙の演技は演出が命じたのだろうが、そこは甘いけれど、それ以外の箇所はよかったと思う。かなり体当たりの力任せな演技でしたけれども。少年課の刑事を演じた役者さんが、けっこう渋かった。こうして見ていると演技者はみな、その場その場でのベストを尽くしているのがわかる。

 つまりドラマの出来がどうあれ、演技者に非はない。

 演出:村尾嘉昭。

 

 第八話。「遥かなる我が家」

 火災です。雑居ビルの火災。焼死体が10体。中に不自然な死体があった。ドラマはここから二転三転する。ロープの痕、そして頭の傷が何によるものか。火災現場で小規模のバックドラフト現象が起きたこと。あと、法医学の遺体解剖において遺体の身元を調べるのにDNA鑑定が万能でないこと。もっとも頼りになるのが、歯の治療記録からの遺体識別。人の歯は誰一人として同じ歯をもった人間は存在しない。誰もみな少なからず歯科の治療を受けており、その治療記録を調べれば、本人かどうかはてきめんに識別できる。こんなことは、実は半世紀も前から明白なことだったことを私も知っているが、未だにコンピュータによるデータベース化すらされていない。怠慢というほかに言いようがない。これは法医学の今後の課題。目立たぬようになっているが、このドラマが問題提起した、社会的にも、非常に重要なメッセージと言える。

 

 三澄ミコトが一家心中事件の生き残りであること。弁護士である義母(薬師丸ひろ子)は、見るに見かねてミコトを引き取った。ミコトが法医学者になったのもおそらくその生い立ちが深い影を落としているのだ。

 彼女も引きずっているのだ。答えの出ない問題を。

 

 今回は思い入れたっぷりの演出が、ある程度成功している。親子の齟齬、そして情愛がテーマになっている話ですから。伊武雅刀がゲストとして、重厚な演技で存在感を発揮している。キーパーソンのやくざ者を勘当した父親を演ずる、木場勝己の眼がよかった。厳格な父親のやさしさを垣間見せる場面など、胸に沁みた。彼、むかし「新藤兼人が読む 正岡子規の病牀六尺」で正岡子規を好演したことを、個人的に記憶している。
 今期、木場勝己は「anone」でも鍵となる、アノネさん(田中裕子)の逝去した夫で、瑛太とともに贋札作りをはじめた張本人を好演。それはともかく、今回の話、ミッキー・カーチスが年輪を感じさせるごみ屋敷の屋敷さんを演じて、いぶし銀の存在感。(ところで、冒頭神倉さんと屋敷さんが指していた将棋。屋敷さんの戦法。角道を止めずに三間に飛車を振る升田式石田流ですね。この将棋ね、応接をちょっとでも誤ると超急戦の将棋になり、粘る綾もなく攻め潰される怖い戦法。よほど気をつけてかからないと一刀両断にされます。ただの一手も悪手(緩手)が指せない。神倉さん、ご存じないようだけれど、笑って指せる将棋ではありません。)

 ゲスト以外ではいつもながら、刑事を演ずる大倉孝二の軽さが面白い存在感で印象的。脇を固めている役者がみな持ち味を発揮している。

 

 蛇足の台詞があった。

 「親父、いまごろ何してるかなあ。故郷の餅は旨いんだよなあ」。

 こういう視聴者の感情に訴えるような情緒的な演出や台詞がなくても、十分感動的なドラマになっています。この台詞、余計であり、不自然です。

 「これでもか」の追い討ちは要らない。

 演出:塚原あゆ子。

 

 第九話。「敵の姿」

 かの雑居ビルの、立ち入り禁止になっている隣ビルから、例の口中に「金魚の痕」のある遺体が見つかった。橘芹菜さん。胃の中から腐った練り製品のようなもの(ソーセージかなにか)。

 死後48時間くらいで、ここまで食品が腐ることは有り得ない。そこは火事の前、誰でも自由に出入りが可能だった。つまり、8年もの間、目立つことをせずにいた犯人が自己顕示欲を満たすため、目立つ場所に置いたと思われる。中堂の恋人と同じ殺され方の遺体。凶悪な連続殺人犯であることが、ここで初めて明らかになった。犯人は、被害者の口封じに人の拳ほどの大きさのカラーボールを彼らの口に押し込み、敢えて殺しの手段を、手を変え品を変えて行っている。仏の胃の中にあったのはボツリヌス菌を繁殖させた食品。食中毒を起こす菌として有名な、生物兵器にも使われる猛毒である。直接の死因はこれなのだろうか。

 中堂の恋人は「こうじやゆき」の名で「茶色い小鳥」の絵本を出したばかりの絵本作家。次にピンクのカバの表紙の絵本を出す予定だったが、この表紙となる絵は何故か紛失していた。絵を持っているのは犯人以外に有り得ない。

 こうじやゆき(糀谷夕希子のペンネーム)の「茶色い小鳥」。理窟でストーリィを進めない、その感性の豊かさ。彼女の絵本がいかに面白いものかを如実に表している。彼女の将来を奪った殺人犯は、彼女のアーティスティックな可能性をすべて無に帰させてしまったわけで、その凶悪性、その罪深さは単なる殺人とは異なり、憎んであまりある行為ではないだろうか。

 糀谷夕希子の遺体は8年前、スクラップ置き場に遺棄されていた。遺体の解剖を行ったのは中堂自身。彼女の両親は、犯人を彼だと決めつけ、命日が来る度に「裁きを受けろ」という脅迫めいた手紙を中堂に送りつづけていた。死体遺棄の現場の雑居ビル。中堂は三澄と手掛かりを探している。宍戸は雑居ビルの近くに暮らしている。彼のアパートに連れ込まれた女の子の話をする宍戸行きつけのバーのバーテンダー。殺風景なアパートだったというが、その女の子、忽然と消えてしまったという。

 大崎めぐみ。それが彼女の名前。

 宍戸と殺人犯の関連性は。

 橘芹菜さんの死体遺棄現場。数匹の蟻が死んでいた。何故蟻が死んだのか。例のご遺体を死に追いやったのはボツリヌス菌ではない。宍戸が六郎を嗤った。ABCDEFG。アルファベット。UDIラボで調査の途上、六郎が妙なことを言い出した。蟻から蟻酸が検出されたが、この蟻はクロナガアリであり蟻酸を出さない種。なら、何故蟻酸が検出されたのか。

 死因はフォルマリン(ホルマリンの正しい発音)? フォルマリンで殺されたとしても、遺体解剖のときに遺体の保存に使われるのもフォルマリンであって、事件に使われたものと同一の成分では遺体から検出することは不可能。

 盲点だった。

 そして胃の中は無酸素状態になっており、ボツリヌス菌繁殖に絶好の環境となる。うまく犯人に欺かれた。これはボツリヌス菌に見せかけたフォルマリンによる殺人。そして、六郎が人から(週刊ジャーナル)もらったという雑誌の切り抜きその他のなかに、あの糀谷夕希子の「ピンクのカバ」の絵があった。

 中堂が色めき立ち、六郎に詰め寄った。おい、誰にこれをもらった? 糀谷夕希子はこの絵を持ったまま消えた。こいつを持っているのは殺人犯だけだ!

 宍戸の供述から浮かび上がった容疑者は、先日の雑居ビル火災の唯一人の生存者であった。高瀬文人。高瀬不動産は火災の雑居ビルの隣のビルの持ち主。中堂が犯人をどうするのか。彼は殺人犯を殺す気でいる。その頃、高瀬は自宅の庭で一連の事件の証拠となるものをすべて燃やし終え、大崎めぐみさんの遺体を切り刻み酸で溶かして、血まみれのまま警察に出頭していた。「殺されそうなので、保護してほしいんですけど」。

 

 思わずストーリィをすべて書いてしまった。戦慄の第九話。やっと物語が本編に入った。恐るべき26件の殺人事件の全貌はまだ明らかにならない。未だ前例のない凶悪性。いったい殺人犯の目的は何なのか。いちばんこのドラマの制作班が作りたかったであろう本編だけに、力のこもった尋常でない迫真性を感じた。この話は情に流されていない。それゆえ、登場人物たちの「事件の真実を掘りあてた、その瞬間」の当惑と衝撃を、視聴者、つまり私自身も共有することができた。私以外の視聴者も、おそらく同じような感慨を抱いたのではないだろうか。少なくとも現代がもつ言い知れない不条理とでも呼ぶべきものの正体が、おぼろげに見えてきたことは確かだ。確かに、真相はすべて明らかになっていないが、その巨大などす黒い「影」は、却ってはっきりしない方が、より衝撃的に感じられる。

 何だろう。ひとりの人間が生み出す「心の闇」。現代の怪奇とは、怪物とは人間の心が生み出すものに他ならないことを示している。

 

 演技者について。

 生前の糀谷夕希子を演じた女優さんがよかった。夕希子がいかに人間的魅力にあふれた、おちゃめでチャーミングな女性だったかを、演出が強調するのは意味のあることだと思う。彼女の演技が非常に印象的だったことを、ここに記しておく。

 演出:竹村謙太郎。

 

 第十話。「旅の終わり」

 橘さんは勝手に死にました。アパートの内見中に突然苦しみだして死にました。殺人犯に問われるのを恐れ、フォルマリンを点滴し、スーツケースに隠しました。26人死んでいるが、殺害自供は1件もなし。宍戸は殺人を突き止めていながら見て見ぬふりをし、放置した。裁判にあたって、検事から言われたことは、鑑定書からボツリヌス菌の記述をすべて削除するようにという、たっての要請。高瀬を有罪にするためのテクニックだ。

 嘘の鑑定書を出せと言うのか。さもないとUDIラボへの補助金を打ち切る。ほとんど脅迫である。

 司法解剖が廻ってこなくなったら、UDIラボはつぶれる。

 六郎が週刊ジャーナルと通じていたことがばれた。六郎が通じていたお陰で高瀬は宍戸を通し、ボツリヌス菌の情報を知り、自ら殺人罪を免れる手段とすることが出来た。中堂も三澄にボツリヌス菌の記述を削除した鑑定書提出を要請。どうすればいい。

 三澄ミコトのアイデンティティはどこにある? 彼女の存在意義とは何? あなたの小さなプライドに眼をつむれ?

 翌朝三澄の机から、事実を記した方の鑑定書が消えていた。神倉所長(松重豊)が検察に持っていったのだ。

 所長、男になった。闘うUDI。所長自らラボを潰してしまうかもと、三澄と東海林に謝罪する所長。だが、そんな所長を責める者はUDIラボには一人もいない。

 中堂は葬儀屋に明日人が死ぬからよろしくと言った。宍戸理一(北村有起哉)を殺すのだ。奴の居場所に押し掛け強引に液体を注射。テトロドトキシン。言わずと知れたフグの毒だ。宍戸は証拠のカラーボールを持っていたが硫酸漬けにされ、もう指紋はとれない。解毒剤を飲んだ宍戸(?)。そこへ三澄と六郎が駆けつけた。

 何を飲ませたの? テトロドトキシンの解毒剤など存在しない。そうだ。注射はただの麻酔。てめえが飲んだものが本物の毒だ。

 救急車! 救急車!

 これエチレングリコールじゃ? 中堂さん、あなたが人殺しになるのなんて見たくない。ひとりの人間として。お願いです。中堂が黙って六郎に手渡したアンプル。それは解毒剤だった。糀谷夕希子の父がテネシーに帰国する。彼女の遺体はアメリカへ運び、埋葬。東海林が呟いた。つくづく土葬の国だなあ。え、?  ちょっと待て。土葬? じゃあ証拠、残っているはずです? 糀谷さんの再解剖。外務省経由で運ばれたご遺体はUDIラボへ。8年前は存在しなかった検出キットによって、糀谷夕希子さんの口中から被告人のDNAが検出された。

 その後の被告人の自白を演出として安易だという指摘を誰かがしていたが、私はそうは思わない。26人殺した人間の異常心理など、誰にも理解できないはずである。それとも、演出を安易だと指摘した人物は、被告人の心理が理解できるのか。犯罪心理学で簡単に説明のつく案件か、これは? 裁判の場で誇らしげに殺人を行ったことを、絶叫したところで、私は別に不思議とは思わない。彼は精神異常者なのだから、健常者にその内面を簡単に把握できるわけがないのだ。

 

 被告人の犯行時の精神状態を鑑み、情状酌量の余地があるのか、ないのか。そんなことを問題にするより大切なことがあります。それは、この事件が26名もの尊い命を奪った凶悪な殺人事件であること。未だ前例のない、前代未聞の大事件であることです。

 こんな事件に情状酌量なんてことを論じていたら、日本の法秩序そのものが揺らぎます。今後この事件の模倣犯が現れないとも限らないのです。よってこの種の凶悪犯罪には日本における最も重い罰を課するべき。さもないと、今後の日本が無法地帯になってしまわないとも限りません。

 

 この最終回。ある程度突き放した演出が出来ていた。

 最後に。26人の将来のあるうら若き女性を殺してしまう殺人鬼を演じた役者。気づきにくいけれど、狂気をちらつかせたその演じぶりは見事だと思う。それを付け加えておく。

 演出:塚原あゆ子。