然! 簡単にだまされる新聞記者~小野川梓コラム (23)
新聞報道を裏から見ると――【社会面編】小野川梓(2007-07-02 08:00)
いつも横並びの紙面を作っていると言っても、訂正記事まで仲良く掲載するとは、珍しいことがあるものだ。
少し前になるが、朝日と毎日の6月15日付朝刊の社会面に、「棒記事」(死亡の告知記事のこと。通例、死者の名前の右横に黒い棒が引いてあるのと、死亡の「ぼう」を掛けてそう呼ぶ)の訂正が載った。
いずれも前日の夕刊で掲載した元横浜市長、故飛鳥田一雄氏の妻、幸子さんの逝去を報じる記事で、名前の読み方が違っていた、というのである。短いので全文を転載しておこう。
<訂正 15日夕刊の飛鳥田幸子さんの死亡記事で、「飛鳥田幸子さん(あすかた・さちこ)」とあるのは「飛鳥田幸子さん(あすかた・ゆきこ)」の誤りでした。訂正します。>6月16日朝日朝刊
<おわび 15日夕刊、飛鳥田幸子さんの訃報(ふほう)で、読みの「さちこ」さんは「ゆきこ」さんの誤りでした。おわびして訂正します。>6月16日毎日朝刊
同じ過ちを正すにも朝日は「訂正」と事務的で素っ気なく、「おわび」という文言を欠いている。さすが高飛車の朝日と言うべきかもしれない。
それはともかく、なぜ、2紙に同じ訂正記事が載ったのかと言えば、もちろん2紙が前日夕刊でそろって間違いを犯したからである。他紙は正しく報道していた、というわけではない。
じつは、前日の夕刊段階で飛鳥田幸子さんの棒記事を掲載したのは朝日と毎日だけだった。他紙は遅ればせながらも16日朝刊で、読み方は正しく報じたのである。両紙の誤報の経緯などを考えると、それ以外の他紙では、ひょっとすると担当した若手の記者が、飛鳥田さんの亡夫が杖(つえ)を手にした革新市長として人気を集めて一世を風靡(ふうび)したことを知らず、夕刊段階ではあわてて掲載しようとしなかったのかもしれない。
それというのも、関係者の話によれば、朝日と毎日の棒記事は、独自に取材したのではなく、社民党からの情報提供のファクスに基づいて書かれたもののようだからだ。その社民党からのファクスが、名前の読み方を間違えていたために、両紙がそろって同じミスを犯してしまったわけだ。社民党からはメディア各社にファクスが送られていたという。もし、他紙も夕刊で棒記事を載せていれば、同様に名前の読み方を間違えていた可能性は大だったのである。
本来、新聞の棒記事で名前を読み間違えるミスは起き得ない。棒記事は宝クジの当選番号の告知記事と同様、念には念を入れて確認することになっているからだ。しかし、よくよく考えると、訃報(ふほう)ほどミスが起きやすい記事もないのである。遺族は動転している場合が少なくなく、自分の夫の名前さえ間違えたりする場合もあるからだ。また、葬式の会場などを含めた固有名詞の読み方にさほど注意していないこともある。年齢にしても正確とは限らない。
だから本来、訃報(ふほう)が入ったら、少なくとも自宅に電話を掛け、喪主か遺族にお悔やみを述べた後で確認するのが鉄則とされている。有名人ならば調査部にある資料とも、事実を照らし合わせるのが普通だ。
その際、仇敵(きゅうてき)を陥れようと虚偽の訃報(ふほう)が舞い込む危険も念頭に置かねばならない。自宅の電話番号は相手から教えられても、もう一度、自ら調べること、年齢は生年月日で確認し、生年は干支(えと)まで聞き出すこと、通夜や告別式の会場にも電話を入れ、住所や読み方を確認すること――が常識的な手順としてルール化されている。最近はめっきり減ったが、かつては棒記事を読んで弔電を打つ人も多かったから、読み方も念入りに確認しなければならなかった。
ついでに説明しておくと、訃報(ふほう)は各新聞社が設定している掲載基準に従って、死者の知名度や肩書などを勘案し、不掲載とするか、1面か社会面に掲載するか、あるいは経済面、地域面、運動面など関係面の掲載にとどめるかが決められる。政治家は政治部、財界人は経済部、文化人は学芸部、スポーツ選手は運動部が担当するのはもちろんで、訃報(ふほう)が入ると、それぞれに記事化して整理部に出稿している。評伝が求められるような超ビッグな人物については、担当部が死亡予定稿を用意していることもある。
ただし、社会部の当番デスクはその日のすべての訃報(ふほう)を掌握することを求められている。社会部が直接、記事にするものに限らず、大多数の棒記事が社会面に掲載されるし、著名人が死亡した場合には社会面で関連記事を取材して載せる必要があるからだ。また、社会面の記事は、たとえベタの棒記事でも本来、社会部で責任を持たねばならない。だから、昔の社会部デスクは他部が出稿した棒記事も、社会部員に確認させた。「間違えて訂正記事で紙面を汚されると、こっちが迷惑だから」と、よく言っていたものだ。
さて、飛鳥田さんの棒記事は、社民党からのファクスを受け取った政治部が原稿にした。その際、社民党の担当者には電話などで確認したとは思うが、飛鳥田さんの自宅にまでは確認の電話を入れなかったに違いない。社民党側が間違えていたから、そのまま朝日も毎日も間違えた。その誤りも社民党側から訂正が入るまで気づかなかったというからお粗末な話だが、「幸子」は「さちこ」とも「ゆきこ」とも読むのは常識なのだから、慎重を期さなかったのは失態である。社民党の担当者とは平素から付き合いがあるので信用してしまった、という言い訳はプロの世界では通用しない。
問題は、朝日も毎日も同じミスを犯したことにある。双方の担当記者の発想のレベルが似たり寄ったりだったのだろうが、背景には「ファクス広報」への根強い信頼感が作用しているように思われてならない。
最近は官公庁や企業の広報体制が充実していて、ニュースと思えば、せっせと新聞社やテレビ局にファクスで情報提供してくるからだ。大抵は手書きではなく、ワープロで打たれていて、内容も要領よく要点を盛り込み、きちんと整理されている。警察などは24時間態勢で、事件、事故の情報をファクスで伝えてくる。おそらく各社からの取材を受ける手間ひまを省きたいとの狙いもあるのだろうが、読めば、そのまま原稿が書けてしまうのだから、記者たちにとっては便利である。面倒臭がる相手をなだめすかしながら、電話で情報を聞き出した一昔前の記者に比べ、負担は大幅に縮減されている。
送り手側、受け手側の双方にとってメリットは確かにある。だが、最近の記者が地方支局での駆け出し時代から「ファクス広報」漬けになっていることは、由々(ゆゆ)しい一大事と言わざるを得ない。何よりも黙って座っていてもニュースが入ってくる、と思い込んでしまうからだ。次第にファクスの内容を相手に確認せず、丸写しにしているのが実情のようだ。確認すれば、「ファクスの通りです」との回答が返って来るのが常だからでもあるが、こうなると、権力機関の情報操作を取りざたするどころではない。
さほど目立っていないが、これまでにも今回のような送り手側のミスに起因して、複数のメディアが同じミスを犯す失態も、何度か起きているのである。そうした状況を前提とすれば、今回の朝日、毎日の訂正記事の揃(そろ)い踏みなどは驚くに値しない。
昔はたった5行、6行の各種イベントのお知らせ記事の原稿を書いても、ゲラにした段階で載せた番号に実際に電話して確認するのが当たり前だった。今はそこまでやっているか、はなはだ疑わしい。確認作業を怠りがちな新聞は、そのうち大それた失敗を演じるのではないか。気がかりでならない。
小野川梓……新聞評論家