自主避難所をつくる | 世の中まとめて好奇心

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注:この日記は,当時を思い出して書き綴っています。

 

 

自主避難所

1日の夜,自宅裏の地区生活改善センターの鍵を区長さんに開けてもらっていた。翌日の避難の為である。

 

区長は,高台にいるときから「生活改善センターの鍵を開けてあるので,自宅に戻るのが怖い人は,避難していてください」と連絡していたそうだ。

が,わたしが朝,降りてきたときに一番に覗いてみたが,まだ誰も来ていなかった。

しかし,わたしが家族と過ごしているうちに,続々と布団を持って集まってきていた。

暖をとるためのドラム缶と薪・炭などの燃料もいつの間にか外に準備されている。

 

 

一人暮らし世帯を回る

わたしは,民生委員として,4地区の高齢者の一人暮らし世帯や2人暮らし世帯を回ることにした。特に,一人暮らし世帯の方は,心細いおもいをしているだろうと思い,自転車で移動してみることに。

途中,宗玄地区へ入るところで,お寺さんの山門が道路に崩れ落ちていた。普通自動車がどうにか通れるくらいの道しか空いていない。

自転車で数件回った結果,3人の方が,自主避難所に来ることになった。

 

ほどなくして,宝立小中学校が公式の避難所だということをしったのだが,一旦,家から近い改善センターに,布団まで持ってきて避難してきた人たちは,そちらに移るつもりはない。結局,なし崩し的に自主避難所として動くことになった。地区の区長会長が,バイクに乗ってきて「生活改善センターも避難所として運営していってくれ」と正式に依頼された。

 

 

 テントを立てて火を焚く

わたしが,地区を回っている間に,地区の男たちは本部テントを立てていた。発電機もガソリンも,ついでに電灯も準備されていた。

そして,折りたたみの机や座机(椅子の代わり)も準備して,なんとなく本部テントらしくなってきた。

水も電気も来ていない。

トイレは,用を済ませた人はバケツに水をくんできてタンクに水をためてもらうことを説明。

幸い,ご近所の兄さんの家の裏には,豊富な山水が流れ出ている。トイレの水はこれを利用できるので,心配はいらない。

ただ,このときは,だれがセンターで寝ているのかなんて,あまり気にしていなかった。

 

夜は,正月に食べるつもりだった食材を持ち寄り,もちろんアルコールも持ち寄りみんなで夕食をいただく。おせちの残りもたくさんあって,なんだか避難民という気がしない。

家で夕食を食べたはずのうちの孫も,テントに来てお肉などをつまんでいた。

 

地震がなかったら今日の朝帰るはずだった娘家族。道路事情も悪い上にガソリンも手に入りにくい。このままでは帰れないと判断し,滞在を延ばすことに…。その変更を勤務先に伝えようとするのだが,電波の調子がよくなくて,つながりにくい。

わたしのスマホ画面にもアプリの隣に数字が並ぶのだが,記事を見ようとしてもまったく動いてくれない。なのに,記事数ばかりがドンドン増えてきて,スマホの充電も気になるのであった。

 

もちろん,電気も水道も来ていない。この調子だと,だいぶんかかりそうだ。

 

下の写真は,津波のあと。津波はこの堤防を越してあがってきた。そして,コンクリートも運んで行ってしまったようだ。