注:この日記は,当時を思い出して書き綴っています。
津波がやって来た
高台にある道路には,すでにたくさんの車が止まっていた。空いた場所に車を止めて,一安心。外に出て,来た道を見る。
高台の道路からは海が一望できる。
普段海面の下にある一文字(テトラポット)がドンドン見えてきた。ここは,波打ち際から100m以上あるはずだ。しかも,海面から2m程下にテトラの上面がある(昨年の夏,潜ってみたので知っているのである)。
そのうち,テトラポットは完全に見えてきて,海底も見えてきた。深さ3m以上の海がなくなった。これが,第一波のあとなのか,どうかは分からない。
スマホを忘れてきたことに気付いたので,娘婿に動画を撮ってもらった。津波が来る様子がよく分かる。
わたしの家は,海抜3mの処にある。予想される最大津波は6.8mと,ハザードマップにはある。自宅近くの電信柱には,それが書かれている。
しかし,正直言って,本当に津波が来るとは思っていなかった。しかも,このときはまだ堤防を越えるような津波だとは思えなかった。
今年新しく作り直した堤防は,砂浜に立ったわたしの身長を超える高さだ。まさか,これをこれるだけの津波はないだろう。
そう思っていた。
一方の道が崩れている…車を移動
青色の道を車で移動。
高台の道路(国道249号)に車を止めたが,ここは山を切り開いた場所や盛り土をした場所がある道路だ。
松波方面の道路(下記地図の下の方向)が崩れているということなので,なるべくトンネルの方(鵜飼方面下記地図上の方)に車を移動した。
一安心すると尿意を催すのはみんな同じ。男性は大丈夫だが,女性はちょっと大変。それでも,緊急時なので,さらに山の方を道を上って,用を足す人も多い。
そのうち,若者たちがブルーシートを持ってきて囲いを作り始めた。道のそばの幅30センチほどの側溝を「流れるトイレ」代わりにして,ブルーシートでぐるりと囲んで,簡易女性トイレの完成だ。
軽トラを持ってくる
夜8時頃,避難路(上記,赤い×につながる道)を降りて,懐中電灯と毛布と孫がいつも持っているmyタオル,そして自分のスマホを持ってくることにした。軽トラも持っていくことにして,わたしとチョコはそこで寝ることに。軽トラの座席を寝かせることは出来ないので,殆ど寝れなかったけどね。
これで車が2台となったので,暖をとることと,スマホの充電は安心してできる。
また娘と孫2人はプリウスの後部座席を倒して寝ることができる。娘婿と神さんの2人は,前の座席で休むことに。
下の写真は,午後8時頃の高台にある国道249号線の様子を撮影したもの。