1998年4月 日本がヘッジファンドに屈した日 | 相場残日録(元相場師天の日記)

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プロの相場師「天」の引退後のブログ、残日録として記していきます。

今の職場で、運用商品の営業をやっている若い人達と

話をする機会がありました。

 

その時気付いたのですが、

彼らの認識は

株高=円安、 株安=円高

そして、とにかく 円高を怖がっています。

なぜなら、株も落ちるからだと・・・・

 

私が、「円高より本当に怖いのは円安なんだよ」

という話をしても、

全く、ぴんと来ないという反応・・・

 

若い方たちは、1998年の強烈な円安を知らないんですね。

1998年4月

実は、私の為替ディーラーとしての9年のキャリアの

最後の月でした。

 

ドル円相場において、1998年がどんな年であったか

振り返ると

 

1990年代前半の日米貿易戦争で、当時のクリントン大統領が

円高誘導を決行、最初は良かったものの

そのうち 南米の不良債権問題もありドルはフリーフォールに

当時の円史上最高値=79円75銭を95年4月に付けました。

その後、歴史的なワシントンG7の「秩序あるドルの反転」の合意

ドル買い円売りの協調介入、

ミスター円と言われた大蔵省榊原さんの強烈な円安誘導もあり

ドル円は上昇トレンドを描きました。

そして1997年、やっと経済成長を開始したアジアの新興国を

この円安が直撃、アジア新興国の輸出競争力が削がれ

景気悪化・・・そしてアジア通貨危機が勃発

日本では、バブルの不良債権処理が重しとしてのしかかる中

自民党橋本政権の財政再建路線、消費税引き上げが景気を直撃

不良債権+不況で

11月に 三洋証券 北海道拓殖銀行、山一証券が破綻

円安は止まらなくなりました。

 

そうして1998年4月 

大蔵省は当時史上最大規模の ドル売り円買い介入を実施しました。

レベルは130円で

若い方は、介入といえば 円売り介入と考えると思いますが。

 

その時、インターバンクのチーフであった私は

ディーラーのキャリアで最高に忙しいそして混乱した一日でした。

半狂乱で髪を振り乱し 

日本のために銀行としてドル円をひたすら売り続ける

その陣頭指揮をしていました。

(日本のため?? 

  まあ あんまりはっきり言うと・・・そこは皆さんお察しください)

ちゃっかり 自分のポジションもしっかりショートにしていました。

しかし、130円から始まった 一日としては当時最高額の大規模介入

それにもかかわらず、

その日のロンドンタイムで127円40銭までしか下がりませんでした。

今でも 「 こりゃあ下がらんな」 と思い

どさくさ紛れに 127円40銭の安値で自分のショートポジションを

買い戻したのをはっきり覚えています。

 

その時のドル円の買い手は ほぼ全て海外のヘッジファンド

翌朝、介入が始まった130円を もうドル円は超えていました。

実は、その一日で 

日本はその外貨準備の一割を介入で使っていました。

 

少し説明を入れますが

ドル買い円売り介入は いくらでもある円を使ってドルを買い

外貨準備が増えることになるので

物理的にはほぼ無制限に実施可能

要するに、政治状況等が許せば、

自国通貨の価値を下げる介入はいくらでもできます。

実際にやれるかどうかは別ですが

しかし、自国通貨を守る介入は、 

外貨準備が尽きればそこで終わり。

97年の通貨危機では、ヘッジファンはタイと韓国を

売りたたいて 外貨準備を使い果たさせ 破たんさせました。

 

98年 まさしく ヘッジファンドの投機マネーは

日本の円を ターゲットにしていたのです。

 

一日で 一国の外貨準備の一割を使った大蔵省は

ドル売り円買い介入を一日で止めてしまいました・・・・

私には、大蔵省が怖くなって 介入できなくなった

と感じられました・・・・

その時、日本はヘッジファンドに負けたんだなと考えたのを

今でもはっきり覚えています。

 

その後 円安は勢いを増し

今では信じられないと思いますが

日経平均は下がるは 円安は止まらないわ

日本の資産は 海外勢の全売りにさらされました。

 

ジャパンプレミアムというとんでもない上乗せ金利を

日本の銀行は外貨を調達するときに強いられ

数行を除き 日本の銀行はドルをドルのまま借りることができず

なんと 円をドルに替えて外貨を作っていました・・・・

 

最終的に 円安は 147円まで行ってしまいました。

最後は、大蔵省が米財務省に頼み込んで

日銀の勘定を使い、FRBに代理介入してもらうことで

やっと円安は止まりました。

 

その時経験した、自国通貨が売られる恐怖は

いまでも、鮮明に記憶に残っています。

 

実は、その時の大蔵省の 為替の現場の責任者

国際金融局長が 今の日銀総裁 黒田さんだったんですね。

 

125円が黒田シーリングと言われ、

必ず黒田さんが円安をけん制するのは

黒田さん自身が 円安の恐怖を知っているからだと思います。

 

大蔵省(今の財務省)にとって 125円はイエローゾーン

130円は 円安のレッドゾーン です。

 

この先の可能性ですが・・・

未来のシナリオとして

 

米国バブルが本格的に崩壊

バブル崩壊の常として 日米株価は 半分に・・・・

 

日経平均は 10,000円 割れをうかがう水準

その時、膨大な量購入した 日銀のETFは???

 

日銀は そのバランスシートに 

数兆円単位のETFの膨大な含み損を抱え込み

 

日銀そのものの債務危機・・・

そして、円は暴落・・・

 

ありえないシナリオではありません。

 

財務省の最悪のシナリオは、

円高ではなく円安

円安が輸入インフレを引き起こし 長期金利が制御不能になれば

先進国でダントツに多い日本の国債残高

利払いができなくなるはずです。

そのときは 日本の 財政破たんですね。

 

今は あまり市場関係者の誰も意識していないでしょうが、

この最悪シナリオは

私の頭の中には 常にあります。

 

以上