こんばんは!

 

 

団地妻サトちゃんです。

 

 

 

 

 

image

 

私のセッションにお越しいただくみなさま、

 

 

ただ話したくてー

 

サトちゃんの視点を知りたくてー

 

 

 

とお越しくださる方も多いのですが(なんとなくー!ってノリで)

 

 

 

だけど話していくうちに、

 

 

 

 

これは誰にも言ったことがないのだけれど、、、

といった、ハードなお話が出てくることも珍しくありません。

 

 

 

様々、みなさま経験されてきていますし、

現在進行形でお困りごとを抱えている方もいらっしゃいます。

 

 

 

 

 

今日は、その中でも特に、

 

なんらかの精神疾患や依存症を抱えている旦那さまと暮らす方へ

 

 

 

どんな本を読んでも勉強しても、ネット調べても楽にならない、、、

という方へ

 

 

 

 

【鬱を発症した夫と生活してきた団地妻サトちゃんの体験談】として、

 

 

 

 

こんな風に過ごしてきて、気づいたら夫が鬱になる前よりも相当幸せな、

 

心から望んでた日常が私の手の中にあったよ。

 

 

って話が、ここにあることをお伝えしたく。

 

 

 

 

 

 

 

 

精神疾患や依存症を抱える旦那さまと生活されている方から、

 

 

 

「病気が辛いのは分かる。でもあなたはいいよ。病院で優しく話を聴いてもらえる。

みんなに優しくしてもらえる。じゃあ、私は?私のこの辛さは誰に救ってもらえばいいの、、、」

 

 

「どう考えても良い方向に行く気がしない。お金も自由も、どうにもならない。」

 

 

 

そんな本音を聞かせていただくことも少なくありません。

 

 

 

 

 

そして、

 

「さとことさんは、どんな風にしていたのですか?」

 

 

 

と、聞かれることもまた、少なくありません。

 

 

そしてお話すると、

 

「スーッと楽になりました」

「すごくホッとしました」

「聞いて良かったです」

「大丈夫と思えた」

 

 

と言っていただけることもあります。

 

 

 

ので、ちょっと書いてみたいなと思います。

 

 

 

 

 

ただ。これあくまでも

 

【私のやり方】

 

でありまして、とてもじゃないけど世間一般的に褒められたスタンスではないです。

 

 

 

 

結果的に私たち夫婦は今、とても幸せに暮らしていますが、

 

よく言われている鬱へのセオリーもガン無視してきてます。

まったくもって綺麗ごとにはおさまらぬホントの話。

 

 

なので単純に真似たりするのはお控えくださいね。

 

 

 

 

セオリー無視したから良かったとかの成功事例ということではなくて、

 

ひとつの体験談、団地妻はこのように過ごしていたよ〜の見守る家族側のお話、として捉えていただけたら、と思います。

 

 

 

読むのが辛いかもな~

と感じられる方は、これにてさようなら。で、お願いいたしますm(_ _)m

 

 

 

 

ご興味のある方のみ、読み進めてくださいね(^^)

 

 

※あらゆる診断名についての理解がないので、

敢えて鬱という曖昧な表現とさせていただきますことをご了承くださいm(__)m

*************************************

 

夫ガストンに、

 

鈍感な私でも気がつくような異変が起き始めたのは、

 

 

2017年の1月頃だったか。

 

 

 

その頃、ガストンは24時間体制の昼も夜もないシフト勤務で、

 

かなりのハードワークをしていました。

 

 

 

 

 

勤続20年以上。

毎月謎の減額がある給料、取得の許されぬ名ばかり有給、連休は稀。

休めば給料が減る、さらに同僚にしわ寄せがいく。

てことで、体調不良でも子どもの行事や記念日も休みをとったことはありませんでした。

新婚旅行もまぁ行けないよね~当然。休めないから!

 

みたいな感じで。

 

 

 

 

 

 

 

原因不明の全身蕁麻疹や難病で薬のデパート状態。

むずむず脚症候群や円形脱毛症になったりと、

息つく間もなくひっきりなしに、病院を調べ上げガストンのシフトとにらめっこする私の日常。

 

 

 

身体がどんなでも、

「自分が休んだら誰かが寝ないで働かなきゃいけない。」が口癖で、

ガストンは絶対に休まない。

 

 

 

相当働いても、月収は20万円台。ボーナスなし。

私はフルで働いても月収13万円くらい。残業頑張れば15万円といったところ。

 

 

2馬力でやっと回ってる家計。

 

 

 

 

ガストンは、

 

 

「ここを辞めてしまったら俺に何が残るんだ。

資格もないし、他も知らない40代の中年おやじが食わしていくためには、

この会社にしがみつくしかないんだよ。」

 

 

そう頑張っていましたが、、、

 

 

ある夜中、

 

 

 

うめき声が階段から聞こえてきて。

 

だんだん近づいてくるんですよね。

 

 

 

 

這うように帰ってきたガストンの声でした。

 

 

 

 

(え?まさか…喧嘩してきたんじゃないでしょうねー!

ったく、なにやらかしてきたんだか…)

 

 

など、

心の余裕皆無な私は、

 

 

やらかしてくれるよな~ウンザリ

くらいの鬼の心模様でね。

 

 

image

↑元気になってからのガストン(笑)

 

 

 

 

 

様子をみにいくと、どうやら重症。

 

 

 

腰を骨折してました。

高さのある場所から転落してのこと。

 

 

 

ガストンに限って。

 

身のこなしというか、そういうの長けてるし慎重な人なので、

 

 

 

 

どうしちゃったんだか…

 

 

と思ったことを覚えています。

 

 

 

 

 

そう考えると、その前からたびたび、

 

普段はやらかさないようなミスをして大幅な減給

なんてことも起こるようになっていました。

 

 

 

で、そこから半年後。

 

 

 

ついに目に見えた限界が訪れます。

 

 

 

 

会社の人も気づいていました。

 

 

 

 

パニックを起こし、大声をあげてしまう。

 

文字が読めなくなる。

 

誰とも目を合わせられない。

 

被害妄想が激しくなる。

 

息ができず、動けない。

 

長年やってきた仕事の段取りができなくなる。

 

 

 

 

image

今じゃ節分の段取りもバッチリですが、、、

 

 

 

 

 

 

 

こうしたことが起こるようになり、

 

帰宅すると、字を読めないのが困る…など言うのですが、

 

 

 

断固として休まない。

 

寝ることもできないまま出勤時間までソファに身をうずめ、

尋常じゃない震えをみせていた顔色は基本、土気色といった様子の6月。

 

 

 

「これ以上行ったら死んじゃうよ?お願いだから休もうよ。」

 

 

 

と言っても、聞く耳なしです。

 

 

「俺が休んだら誰かが寝れないから。」

 

 

 

 

 

毎日、窓からガストンの、

 

これ以上丸くはならないだろうと思うほどの小さく丸まった背中、項垂れながら身を引きずるような姿を見送りながら、

 

 

 

(生きて帰ってきますように)

 

(すべての嫌なことから守られますように)

 

と祈っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

そのうち、家族のことも無視するようになり、

 

 

完全に自分の世界にこもっている状態。

 

 

 

そして、やっと降参したのが7月頃だったかなぁ。

 

明らかな変異が訪れてから半年以上は頑張ったんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

会社に行けず、

 

会社の方からは休業にすれば保障も出るなど教えてもらったけど、

 

 

 

私は、

 

 

 

辞めさせてもらう

 

 

 

の一択でした。

 

 

 

ガストンを一番近くでみている限り、

 

 

その会社と縁を切らないことには楽にならない。と思ったから。

 

 

 

 

もう電話で誰かと話すこともできなくなってたガストンに、

 

「辞めるって会社に電話するけど、いいよね?」

 

 

 

と言ったら、

 

 

 

 

「、、、ごめんね。」

 

 

 

と。

 

 

その姿に、もう一生働かなくていいよ、とすら思った。

けど結果的には、思っただけだったんですけどね(^^;

その話はまた後々に、、、

 

 

 

 

 

 

その時には、私はもう2馬力を降りていましたのでほぼ無収入。

 

 

 

 

先の当てもない。

 

 

 

 

そんな時、私は将来を良くしようと思うことを

 

 

 

諦めました。

 

 

 

 

 

とっくに諦めてたけど、

 

 

本当の本当に、

周りと比べて必死に水準を保とうとしてきたことをやめたのです。

 

 

 

それまでの、

 

 

ささやかながら必死で守ってきた、

 

 

世帯月収30万円台、ボーナスないなりの、

 

 

車などにかかる費用の積み立て、

子どもに将来かかってくる費用の積み立て、

 

もうどうでもよくなった。

 

 

 

とにかく、今。

 

 

 

 

死にたいと半狂乱になっても、

真夏に何日もお風呂に入らず廃人のようになっても、

 

 

 

 

私はガストンのそばにいる、

ってことだけは伝えること。

 

 

 

だけど、

 

 

 

私はガストンのために生きない。 鬱を治そうともしない。

私は私のために私が選んで決めて、生きる。

 

 

この修業がはじまったんだな。

と、思うことにしました。

 

 

 

良くなる期待もしない。

 

ただ、自分を生きることがはじまったんだなと。

 

 

 

 

 

私はそれまで、

 

ガストンの世話を焼いて、見張って、

この人がこうだから、、、と何かにつけてガストンのせいにして、

自分を不自由にしてきたことに気づいていました。

 

 

 

これを本当にやめる時がきたんだな。

と、台所で肚をくくったことを覚えています。

 

 

 

 

で、この修業はそう甘くはなかったなぁ、、、

 

 

 

って話はまた、次に書きたいと思います(^^)

 

 

続きはこちらから