ワタシの介護選択は正しかったのか | 転倒から始まった親の介護日記

転倒から始まった親の介護日記

父の転倒から介護が始まりました。
その数年後、母も転倒し大腿骨を骨折。
そして次々と起こる家族の病気と死。
ジェットコースター人生を歩んでます。

 

 

~HIKARIと母の介護日記~

 

父の死去により母と二人暮らしになった私

 

主人とは再婚同士

別居婚スタイルで互いに実親と同居中

 

介護はいつか自分も通る道

無知だった世界を与えてくれた両親に感謝キラキラ

 

 

 

昨日は沢山のご訪問、ありがとうございました虹

また、過去の記事も読んで頂けて、嬉しいです。

 

 

 

 

 

黄色い花

 

 

 

 

介護ジャンルでブログを投稿を始めて、7月で丸5年が経ちます。

この5年間、こんなにも沢山の方に読んでいただけるとは思ってもなく・・・。

父の介護が辛くて聞いてほしい気持ちと、誰かの役に立てることがあればジブンも救われるような気もあり、始めたブログです。

 

母の大腸ガンと大腸ガンからの肺への転移で肺ガンも同時になりダブル介護になったワタシでしたが、読んでくださる皆様の温かいコメントやメッセージが本当に励みになり、ここまでブログを続ける事が出来たと思ってます。

改めて、ありがとうございますキラキラ

 

終わりが見えないこその苦悩や不安は頭から離れる事が無く、真っ暗闇の中にいる毎日。

でもワタシは、今までも今も、大きな病気一つ、入院も手術もしたことがありませんでした。

丈夫に産んでくれた親に感謝です。

 

姉は55歳という若さで乳ガンで亡くなりましたが、母が言うにはワタシと比べると体は弱かったと言っていました。

ワタシから見た姉は、ワタシより丈夫に見えていたのですが。。。

父も亡くなるような病気は当時何もなかったのに急死してしまいましたが、それも父の寿命だと思うしかありません。

 

 

黄色い花

 

 

 

二人が亡くなって約5年、母は死の淵を一歩手前で?きびすを返し(笑)この世に舞い戻って来ましたが、父と姉の死と母のV字回復話は・・・。

 

”そんな事があった家族とは思えない”(参った参ったと笑って話すのであせる

 

と言われザワつかせてますが、それも母が元気になったから言える事で、もし亡くなっていたら本当に背筋が凍ります。

 

父が亡くなった時、いずれ母の時にもまたこんな思いをしなければならないと思うと、気が遠くなりそうでした。

母が元気であれば思わなかったですが、何もしなければ余命半年と言われていたので、すっかりその気になっていたのに(笑)

お母さん 「一体、どーなった??

おばあちゃん 「・・・ねぇあせる

 

 

”もうダメだダメだ詐欺”に遭ったようなものです((´∀`))ケラケラ

不謹慎と思われるかもしれませんが、笑いながら母の元気な姿を二人へ報告してる毎日を過ごしています。

 

 

黄色い花

 

 

 

見上げた眩しさを目にすると・・・。

一瞬でも希望を感じられたら、それだけでいいのかなと。

そう思う過去と現在のジブン。

 

終わりを考えだすと、

終わりが来るとは思えなくなり。

少し良いことが起こると、

そんな気は遠ざかり。。。

 

家族の事だから、重大になっちゃうんですよね。

色んな選択を出した答えはその時一番いい選択をしたんだよと、いつか父に逢って伝えたいです。

おじいちゃん 「オレは~オレは~嫌だった!」

お母さん 「はぁっ??ハッ