例えば職場で、

誰かの何気ない一言に、

引っかかる時がある。




傷ついた、と言うほどじゃない。

でも笑って流すには、少しだけ苦い。




あとから考えれば、

「それは違う」と言えたかもしれない。

「私はそうは思わない」と、

穏やかに伝えることもできたかもしれない。




でもその場では、自分に

「どうする?」という問いすら立たなかった。





言う、言わない。

そういう選択肢の前に、




もう「黙ること」が決まっていた。





守られない(と思い込んでいる)場所では、

身体が先に危険だと判断して、

言葉が出てこない。




感じたところで、

伝えたところで、

受け取られなかった経験が、

きっと何度もあった。




だから私は、

感じる前に、自分を出さないことを覚えた。




長い間そうやって生き延びてきた。





頭で整理した、その後に

またひとつ分かってきたこと。




あの反応は、

弱さでも、性格でもなくて、

自分を守るために

「そうするしかなかった」、

身体の記憶だということ。




そして

「自分の意見を言う」、という

選択肢が立ち上がらないほど、

私はずっと緊張していたこと。




言わない、ではなく

言えなかった。




選ばなかった、ではなく

選べなかった。





私はずっと、

守られないことが前提の世界で、

はじめから自分を出さないでいることで、

バランスを保ってきた。




あのとき見えなかった選択肢が

ここにあった。



怒りなのか、

悲しみなのか、

寂しさなのか、



まだよく分からない

この感情に、そっと触れてみた。




世界を立体で見られるようになった

その先で、

ようやく出会えた感覚だった。



これが、

いまの私の立っている場所。