和歌の技法に関する入試問題

全体はここ→古典文法の公式【目次】

 

ア 次の歌を口語訳しなさい。(2018 静岡)

 

人知れぬ涙の川の瀬を早み崩れにけりな人目つつみは

   

実際の問題は本文があり、他の設問もあるが、本文からこの歌の内容に関して得られる情報は「恋の歌」であるということだけ。その条件で「口語訳しなさい」という問題である。せっかくなので、公式44を中心に、今までの考え方を追いながら考えてみたい。公式44は、①区切れ・②直訳・③主体・④本文との関連・➄贈答・⑥修辞であるが、この歌の場合③・⑤は考える必要はなく、④は歌の中心主題が「恋」と確認されている。したがって、①・②・⑥を考える。

「区切れ」は、(1)の「けり」に続いて「な」という(2)がある第四句にある。意味的には「人目つつみは」「崩れにけりな」という語順になり、(2)法が使われていることが確認できる。中心主題は「恋」なので、その関係から考えていくと、「つつみ」は「人に知られないように(3)」けれども、それが「崩れてしまった」と直訳できる。「心に秘めておいたのに人に(4)しまった」という内容である。さらに、「人知れぬ涙の川の瀬を早み」に目をやると、「瀬を早み」は(5)という意味だから、「川」に違和感は残るが、「涙が早く(激しく)流れたので」が、自分の恋が露見した理由を表していると推測できる。これでOKと思うかもしれないが、「川の瀬を早み」には中心主題とズレた違和感が残る。「川の流れが速いので」・・何だろう? と、もう一度下の句を見ると「人目つつみ」という言い方に違和感がある。「つつみ」と平仮名で書かれているし、もしや「川の流れが速いので(6)が崩れた」と連想が働くかどうかが勝負。「つつみ」が(7)になっていて、「川」「瀬」「崩れ」「堤」という(8)がちりばめられている歌なのである。(7)は訳さなければいけないので、「」という訳出になる。

 

(解答)

1=詠嘆・2=終助詞・3=隠してきた・4=知られて・5=瀬の流れが速いので・6=堤・7=掛詞・8=縁語・9=川の流れが速いので堤が崩れるように、涙があまりに流れるので、私の恋は人に知られてしまったことだ

 

 

こんな問題も出題されているという例として筑波の問題を問題しておくが、余りに修辞法にばかりに目を取られてしまうのも和歌の本質ではないという思いもある。二次試験の傾向を見て、必要となれば、相当な対策が必要だろう。

 

イ 次の歌について、技巧を具体的に説明し現代語訳しなさい。(2015筑波)

和泉の国にいたりたまふて、日根(ひね)といふ所におはします夜あり。いと心ぼそうかすかにておはします事を思ひつついとかなしかりけり。さて、「日根といふ事を歌によめ」とおほせ事ありければ、この良利大徳、

ふるさとのたびねのゆめに見えつるはうらみやすらむまたととはねば

とありけるに、みな人泣きてえよまずなりにけり。その名をなん寛蓮大徳といひてのちまでさぶらひける。

 

(解答)

「日根といふ事を歌によめ」という記述があるので、これをヒントに「ひね」ということばを歌の中に探すと「たびね」がある。これは「物名」という技法である。公式49に示したが、こんなふうに本文にヒントがあるケースが多いことを意識したい。ほかに「うらみやすらむ」が係り結びで終止しているので、四区切れ。「またととはねば」と「倒置」の関係になっている。そこまではいいが、訳が難しい。「ふるさとが旅の途上の夢に見えたのは」は直訳できる。そこもいい。「恨んでいるからだろうか」もわかる。ただ、その理由として書かれている「またととはねば」は難しいのではないかと思う。「旅に出てから再び訪れていないので」と高校生に意味が取れるだろうかと・・。ただ、古人の考え方として夢と現実が分離したものでないことは押さえておきたい。伊勢物語の東下りに「駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人にあはぬなりけり」では、「あなたが思ってくれないから現実にはもちろん、夢でもあなたに逢えないのだ」と業平は歌う。

 

ウ 次の歌に用いられている修辞を説明しなさい。(2017筑波)

待賢門院女房、加賀といふ歌詠みありけり。

かねてより思ひしものを伏し柴のこるばかりなるなげきせんとは

といふ歌を、年ごろ詠みて持ちたりけるを、「同じくは、さるべき人にいひむつれて、忘られたらんに、詠みたらば、集などに入らん。おもても優なるべし」と思ひて、いかがしたりけむ、花園の大臣に申しそめてけり。思ひのごとくにやありけん、この歌を参らせたりければ、大臣もいみじくあはれに思しけり。

 

(解答)

この和歌は、区切れとしては「ものを」という詠嘆の助詞があり、そこで切れる肉切れの歌。「伏し柴のこるばかりなる歎きせんとは」から「かねてより思ひしものを」に返る倒置である。前後の事情から中心主題を特定すると、建礼門院女房が、数年前に詠み公表しないでおいたのだが,「同じ事なら,相当立派な人と恋仲になり,忘れ去られた時にこの歌を詠んだならば,勅撰集などに入った場合にも,優雅であろう」と考えた(そして実際に、花園左大臣と親しくなった後,思った通りになったのか(忘れ去られた))と書かれてあるので、「恋に破れた女の嘆き」が歌われていると考える。とりあえず解答を示すと、(「伏し柴」は「柴」の異称)「伏し柴の」は「こる」を導く枕詞.「樵(こ)る」と「懲(こ)る」とは掛詞,「嘆き」と「投げ木」は掛詞。「伏し柴」,「樵る」,「投げ木」は縁語となる。「前々から予想していた事です。柴を樵って投げ木する様に,懲り懲りする歎きをしようとは」くらいの意味になる.しかし、これは難しい。「なげきせんとは」「かねてより思ひしものを」は明らかに中心主題を表す心情であって、「伏し柴のこるばかりなる」辺りへの違和感が修辞法の存在を感じさせるが、「懲る」が「こりごりするほどの嘆き」と「伏し柴を刈る(切る)」の掛詞であることは難しい。たしかにひらがなで書かれているが、「嘆き」と「投げ木」が掛詞であることに気づくのも、相当、和歌を詠み込まなければわからないだろう。

 

エ(2018筑波)

ある公卿、石見国の国司にて、石見潟にて遊び給ひけるに、国の習ひにて、かづきする海女ども、えもいはず歌をうたひけるを、人々、「かかる事なむ侍り。召してうたはせて聞こしめせかし」と申しければ、「召せ」とて、召されけるに、皆逃げけるを、中間、侍ども、走り散りて、少々(イ)とらえて参りぬ。御酒なむど給はりて歌仕りける時、逃げ散りたりつる海女ども、また、かたはらに引きのけて、これを群がりみて) (ロ)聞きける中に、十七、八ばかりなる女の、みめ事がら、下臈ともなく、よろしく見えけるが、小侍を一人(ハ)招き寄せて、「あの御前に候ふ、歌仕る女房どもがもとへ、かく申すよし、伝へてたび候へ」とて、
   もろともにあさりしものを浜千鳥いかで雲井に立ちのぼるらむ
この事を披露しけるを、上に聞き給ひて、感のあまりに、紫の衣をかさね(二)たびけれ
   紫の雲の上着も何かせむかづきのみする海女の身なれば
と申して、(ホ)返し参らせければ、いとど色まさりて、あはれに思しめして、やがて召してけり。「都へ具して上らむ」と仰せられけるを、父母に離れん事を嘆き申しければ、父母ともに具して上りて、御台所となりて、君達あまた出できなむどして、めでたかりけり。(へ)人の心は優しかるべきものなり。 (出典:沙石集)

 

問一 傍線部分イ・ロ・ハ は、それぞれ誰の動作か、文中の語句を抜き出して答えよ。
問二 Aの歌の「浜千鳥」「雲井」の語は、それぞれ何をたとえたものか、答えよ。
問三 ホの「返し参らせければ」とあるが、なぜそのようなことをしたのか、Bの歌を踏まえて説明せよ。
問四 への「人の心は優しかるべきものなり」は、誰の、どのような行為を受けてけて述べたものか、文章全体を踏まえて説明せよ。

 

(解答)

問一イ=中間、侍ども・ロ=逃げ散りたりつる海女ども・ハ=十七、八ばかりなる女・ニ=ある公卿 問二 浜千鳥=一緒に漁をしていた他の海女たち・雲居=公卿のお前・問三=高貴な方の上等な衣を下賜されても、海にばかり潜っている賤しい海女である自分には何の訳にも立たないから・問四=十七、八ほどの海女の、公卿を感動させるほどの和歌を当意即妙に詠み、わが身にふさわしくないからと言って下賜された衣を返した行為

 

(口語訳)

石見国の国司になったある公卿が、石見潟で遊覧なさったところ、その国の風俗で、潜り漁をする海女たちがえもいえぬ歌を歌っていたのを、(おつきの)人々が(国司に)、「このようなことがございます。お召しになって歌わせて、お聞きにになってください」と申し上げたので、(国司は)「それなら召せ」とお召しになったが、(海女たちは)みな逃げたのだが、中間どもが走りまわって数人捕まえて来た。(国司は海女たちに) 酒などくださって、(海女たちが)歌をお歌い申し上げていた時、逃げ散っていた海女たちが、また遠巻きにして、ここかしこに群がっていて(歌を)聞いていた中に、十七八才ばかりの海女で、容貌や言葉遣いが下賤の者とも思えず、品があると見えたのが、小侍を一人招き寄せて、「あの御前におりまして歌を歌う女たちのところへ、(私が)こう申しているとお伝えくださいませ」と言って、

A いっしょに漁をしていたのに 浜千鳥(あなたたち)はどうして空(国司のおそば)に立ち昇ったのかしら
(小侍が)このこと披露したのを、国司はお聞きになって、感心したあまりに、紫の衣を(彼女に)一重ねくださったのを、
B 雲の上のお方のお召し物をいただいても何になりましょうか 潜り漁ばかりしている海女の身ですから

と申して、お返し申し上げたので、(国司はその無欲さに)いよいよ愛情がつのって、かわいいとお思いになって、【(そのまま)】(妻として)お召しになった。そして、「都へ連れて上ろう」とおっしゃったが、(彼女は)父母と離れることを嘆き申しあげたので、父母もいっしょに連れて都にお上りになって、(彼女は)御台所になって、お子様たちも大勢生んだりして栄えたのであった。人の心は優美であるべきだよ。

(小解説)まずは、主体の特定をしなければならない。話の内容は「海女たちの歌を面白く感じた公卿が海女を召したが、逃げた海女と捕まった海女がいた。召された海女たち酒を振る舞われたりしているのを見て、逃げた海女の中の「十七、八ばかりなる女の、みめ事がら、下臈ともなく、よろしく見えける、小侍を一人招き寄せ、「あの御前に候ふ、歌仕る女房どもがもとへ、かく申すよし、伝へてたび候へ」と」Aの歌が詠まれている。「十七、八ばかりなる女」と主語が明示され(同格でその女がさらに説明されている)、あとは接助「て」でつながれ、主語は連続しているから、Aは若い海女の歌。その歌に感心して褒美を与えたが、Bの歌を詠んでそれを返したので、Bも若い海女の歌。二つの歌が並んでいれば「贈答歌」と安易に考えない。Aの歌は小侍を通してふるまいをされている他の海女たちに「一緒に漁をしていたのに、あなたたちだけがなぜ身分の高い人たちのところにいるの」と訴えている。Bの歌は「なにかせむ」に係り結びがあり三区切れ。和歌の末尾から初句に倒置。ポイントは「かづく」に、「褒美としていただく」という意味と「潜く(潜る)」という二つの意味があることだろう。「そんなものをいただいても海に潜る生業の私には何にもならない」ということになる。