北斎&広重 | sorariri89のブログ

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5月26日までなのでもう終了ですが、

大阪の香雪美術館北斎広重の展覧会をやっていたので22日水曜日に友人と観てきました。


終了間近と言うこともあってか、平日なのに、入場規制あって15人ずつが10分おきくらいに入っていけました。30分ほど並んだでしょうか…



初めて江戸の浮世絵(錦絵)を生で 観たのは10年くらい前、姫路美術館での広重展でした。


そのときに浮世絵というものが、工房の分業で成り立っていて、絵師が絵を描き、それを元に彫師が版木を彫り、摺師が色を乗せて摺るという、流れ作業を経て世に出るというのを初めて知った次第です。


よく考えれば分かりそうなものなのに、お恥ずかしい…


最近、NHKで再放送の「広重ぶるう」というドラマを見ました。


阿部サダヲが広重をやっていて、奥さんが優香でした。優香はいいですね。


そしてそのドラマで広重という人物のあれこれに触れたことで浮世絵もより身近に興味深く感じるようになりました。


ドラマには北斎も登場しており、絵のことしか考えていない鬼才として描かれていました。

二人が同時代に生きていて、特に広重が北斎を意識していたというのは、年齢的に親子ほど年が離れているにしても、今回の展覧会を鑑賞すると納得しかありません。


目玉展示としては


江戸東京博物館コレクションから選りすぐった

北斎は「富嶽三十六景

広重は「東海道五拾三次


これらを北斎から先に観ていく流れなのですが、

序盤でひょえ〜となったのが

これです



東海道名所一覧(1818)


よく見ないと分かりませんが、右下に江戸、右上に京都が描かれていて、俯瞰された東海道がうねうねと左上の富士を通過して遥か京へと続いていくのです。ところどころに黒く米粒のような旅人も


解説にもありましたが、この北斎の卓越した"画像処理能力" 

狂気すら感じさせる画力には口あんぐりです。


九十歳を過ぎてもなお絵師としての道を邁進し続け、今際の際には、

「あと十年、いや五年生き永らえることができれば、本物の絵師になれるのに」

と言ったというのですから、やっぱり鬼才です



そして「富嶽三十六景」(1831〜1833)へと助走していくのですが、


その幕開けは



凱風快晴(がいふうかいせい)


言わずと知れた"赤富士"です。いやでも気持ち昂るというものですが、見たかった「神奈川沖浪裏」は前期後期で入れ替えられてました。残念です。



一枚ずつ進んでいくごとの驚きたるや…



甲州石班沢(こうしゅうかじかざわ)


前面の動きある波に抗うかのようにピンと張った漁師の縄、それが富士の稜線と並行しているという静と動の対比が見事




遠江山中(とおとうみさんちゅう)


その次に目に入ったのがこれ。画面をスパッと分断するようなどデカい角材をメインに据えてる大胆さに度肝抜かれ、煙なのか雲なのかわからないうねうねに絡まったような富士を足場の三角の向こうに望み…




駿州江尻(すんしゅうえじり)


風すら北斎は描ききってます。ここの富士は線描でほぼ色なし。斜めにかしいだ木が富士を遮って更に目立たなくしてます。




東都浅草本願寺(とうとあさくさほんがんじ)


三角形の配置の妙。そこに風を受けて舞い上がる凧がアクセントになってます。大屋根の上で慣れた様子で仕事してる職人たちも見る側には緊張感与えます。




甲州三坂水面(こうしゅうみさかすいめん)


水面の逆さ富士がズレてて、そして頂きは雪を被っているという面白さ…北斎にはそんなふうに見えたということなんでしょうか…





本所立川(ほんじょたてかわ)


左右の縦線の間に江戸の家並みを配置してるのですが、右側に屹立する材木の長短が生むリズムは何故か西洋的で

ほおーっと見惚れてしまいました。



この他にももっとたくさん、「富嶽三十六景」に関してだけでも20作品以上が展示されていて、これらの展示順をどう決めるかが、キュレーターの腕の見せ所と言えるのでしょうか


とにかく、

北斎の構図の大胆さと細部の緻密さは圧巻のひと言でした。傲慢とも取れるくらいに

想像力と創造力に才気溢れていて、色遣いも広重ブルーとして有名なベロ藍ですが、北斎の絵でも、吸い込まれそうな光を飲み込んだ空気や水の色が品格を整えていました。

46作品中、36作品で用いられているそうです。


その後が広重です。

有名な「東海道五拾三次」は昔から永谷園のお茶漬けの素の袋にオマケとして入っていて見知ったものも多いのですが、改めて今回の流れで見ていくと、北斎と広重という二大風景画浮世絵師の画風の違いだけでない、もっと根本的なものの違いが際立っているように感じました。


北斎から広重の絵に移っていったとき、北斎のときのようなハッとする驚きはまずありませんでした。

画面の中に東海道各地や江戸の風景、市井の人々が"綺麗に"収められていて、その趣きになるほどなるほどと頷く感覚です。上手いのは上手い!となるのはもちろんですが、見る目は抒情的だし、しっとりとした旅情に浸る感じなんですよね。

趣旨としても当然なんでしょう。色遣いは細やかで美しいのは間違いなく、本家広重ブルーはもちろんです




名所江戸百景

山下町日比谷外さくら田

(やましたちょうひびやそとさくらだ)



名所江戸百景

大はしあたけの夕立

(おおはしあたけのゆうだち)



名所江戸百景

市中繁栄七夕祭

(しちゅうはんえいたなばたまつり)



富士三十六景

東都お茶ノ水(とうとおちゃのみず)





広重の愛用品


ドラマからも連想するに広重は武家の生まれというのも影響した、かたく真面目な人なのではないかな、と絵を見てても感じました。

広重は写実的な再現がすばらしく、北斎は自分が描きたいように描くといった違いがあっても、二人とも絵心を刺激される何かを見る目が飛び抜けていたと言えるのではないでしょうか。それを脳内カメラに納めて、取り出しつつ筆を走らせていったのかなと想像します。


そして広重にとっては北斎が特別な存在だったんだろうなとも感じます。


広重は北斎が亡くなってから「富士百景」に取り組んだそうです。存命中は手が出せなかったのかもしれません。逆に北斎も広重が「東海道五拾三次」で名を馳せてからは、肉筆画の方に精を出すようになったとかで、やっぱり何か思うところはあったんじゃなかろうかとも思います。


切磋琢磨の源動力になるような存在があるというのはいつ誰にとっても、幸せなことですよね。



最後に同じ万年橋からの風景画を


上が北斎 

富嶽三十六景

深川万年橋下(ふかがわまんねんばしたもと)

1831〜1833


下が広重

名所江戸百景

深川万年橋(ふかがわまんねんばし)

1857


甲乙つけ難いものがありますが、

どちらがお好みでしょう???



ある時代にひときわ輝きを放った美術文化をこれだけのボリュームで対比させながら見ることができた今回の展覧会は、ほんと見応えありました。


北斎も広重も"好き"を極めてここに至った、ほんとそんな感じがして見てても気持ち良かったです。


後世にここまで存在感や価値を示すとは本人たちは思ってなかったと思いますが、時代を映す日本の宝としてこれからも大切に受け渡していってほしいです。


なんと広重十歳のときのスケッチが残っていて、可愛いったらありゃしないでした。


三保松原図

1806


広重にとっても富士山が絵師としての原点だったというのが興味深いです。



大阪は明後日まで、

後は岡山と大分に巡回するようです。

興味ある方は是非どうぞ


図録も値打ちありでした。


お付き合いいただきありがとうございました😊