イーロン・マスクがTwitter社を買収して何千人(?)もの社員の首切ったことは知ってましたが、
その後今年の2月(?)日本のアカウントが次々と凍結されたことは、うっすらとしか認識してませんでした。
私自身、アカウント持ってながら呟きはほとんどしてなかったというのもあり…
でも巷ではその煽りを受けてこんな動きが活気付いていたんですね。
皆さんご存知でしたか?
#凍結祭りだし辞世の句詠もうぜ
今朝の朝日新聞に歌人の俵万智さんが「日向夏のポストから」というコーナー記事で書かれていました。
私はそれで初めて知りました。因みにアメブロで検索してみましたが、ヒットしたのは一件だけという。
う〜ん…
記事の中で触れていらっしゃる方はいたかもしれませんが、
皆さんも知らなかった?
それとも興味なかった?
私は俵万智さんの記事を読んでて、結構泣き笑いに近い感動を覚えました。
凍結は"アカウントの死"を意味するから、
というわけである方が呼びかけたところ、
出るわ出るわとなって、
殆どが和歌でいうところの本歌取りの技法
記事にあがっているものはベースの詩歌が人口に膾炙したものばかりで、私にもピンとくるし、それを捻って尚かなりのレベルで笑わせたり唸らせたりしてくる。これってホントすごいです。
そこに俵さんも思わず参戦したというのす。
青色のちひさき鳥のかたちして言葉ちるなり凍結の岡
与謝野晶子ですよね。流石の本職というところでしょうか。うまい!
他の方たちもお見事すぎます。
読んでて、なんか捨てたもんじゃないな、と訳のわからない感動に包まれてしまいました。
ハッシュタグつけて遅まきながらツイッターで見てみると、もう面白くて、面白くて…
実際には役に立たなくてもこういうとき潤いをもたらしてくれるのが、文学の教養みたいなもの。そんなことも誰かが呟いていました。
正にその通りだと思います。
義務教育を受けたほとんどの人が、何でこんなことさせられるのと思いながら、中1の冬休みの宿題が百人一首を覚えることだったり、中2では、「祇園精舎の鐘の声〜」と暗誦させられたのではないかと思います。
あれはこんな形でも日常で活きるんですね…
江戸の庶民に川柳や狂歌が流行ったのも、働いて食べて寝てが精一杯の暮らしに余裕をもたらすのに"笑い"は効果的で、演芸で大笑いを誘われたりするのも結構ですが、皮肉や風刺の効いた川柳や狂歌でニヤッとなったりクスリとしたりというのが、きっと日々の憂さ晴らしになっていたりしたからでしょう。
それがこの"辞世の句詠もうぜ"に連綿と流れてきてると思うと、尊いです。
よくある世界の反応では、「何で日本人はこんなことができるのか、基礎教養がしっかりしすぎていて怖い」とかもあったそうです。
俵万智さんと同じく、手前味噌かもしれないけど、お花畑の思考と揶揄される一方で、詩が日常にある国はやはり素敵だし、守っていきたいと思います。
皆さんも是非ツイッター覗いてみてください。
短詩型文芸の裾野の広さで、ツイッターをハイレベルに使いこなしてるのは日本人がダントツと言えるのかもしれませんね。