朝日新聞の朝刊に連載されている
哲学者 鷲田清一さんの「折々のことば」
毎朝どんな言葉に出逢えるのか楽しみにしています。
いつも思うのは、
これだけ言葉が玉石混淆にあふれかえっている世界から、珠玉の言葉を掬い続けるのって柔な精神ではできないだろうということです。
哲学者だからこそできる営みのようにも思います。
哲学は人の本質を究める学問だと思うので。。。
その視座があるからこそ、普通なら出会うこともない人や示唆に富んだ言葉を、市井の私たちにつなぐことができるのでしょうね。
それらの言葉は、毎朝きっと少なからぬ誰かの心を照らしているに違いありません。
それにしても一年365日、休刊日があるから360日足らずにしても、今年で7年目となることを考えると、
個人的ストックを頼みにできるとしても、古今東西の言葉を収集する敏感な知性には、敬服するばかりです。
その連載が今年の2月から約5ヶ月、鷲田さんの健康上の理由からしばらく「お休み」となったことがありました。
このストレスもあるんじゃないの…
と要らぬ心配したりもしましたが、
上下二つ折りにした新聞の、一面左上8センチ四方がなくなると、なんというか、のっぺりした感じでなんと物足りなくて寂しかったことか…
その存在感を思い知ることになりました。
だから、
今朝もまだ、今朝もない、
と残念に思いながら、ようやく再開になったときは、じんわりとした嬉しさがこみあげてきました。
鷲田さん、おかえりなさい!と
中には見知った人や見知った言葉もあったりしますが、ほとんどがそこで初めて知るような人たちです。ときには普通の一般人まで。
全てがすべて私の心に深く響くとは言えないにしても、様々な人の”生”が感じられる言葉が、時に重く、時に軽妙に…
光りを放ちます。
言葉自体にハッとしたり、ジンとくるものもありますが、その後に続く鷲田さんの解説や思索が秀逸で、
そちらを読むことで見えてくるものがあるというか、更にその言葉に奥行きがでたり、輝いたりするのですから、
それはひとえに鷲田清一という人の選択眼があればこそでしょう。
たかだか数センチ四方の言葉の世界が、右往左往しながら生きている人間を照らしてくれる朝のひとときは、一日の始まりには相応しくありがたいものです。
何にでもいつかは”終わり”が来るのは承知で、鷲田さんには体調に留意していただいて出来るだけ長く、そんな出逢いを届けてほしいと思っています。
その連載で、究極の終わり、"死"というものを捉える言葉が、
12月2日に取り上げられました。
津野海太郎(つの かいたろう)さんのものでした。
三途の川をはさんでの、そんな人間同士のさしのつきあい。ともあれ、案外、さっぱりしたものなのですよ。 (津野海太郎)
この言葉だけではちょっとなんのことやら、だったのですが、続く補足説明にとても清々しい気持ちになりました。
私の持論は
「生まれてくるときも死んでいくときも、人はひとり」なんですが、
津野さんはそれを打ち消しています。
でもそれは単なる言葉の裏返しではなく、すごく共感できる視点からのものでした。
人は独りで死ぬのではなく、同じ時代を生きた友だちと「ひとかたまりになって、順々に、サッサと消えてゆく」のだ、と。
それを受けて鷲田さんは続けます。
ともに歩んだその軌跡を一歩退いて見ると、死の敷居も少し低くなる。
その通りかもしれないなあ、としみじみとなりました。
少しの違いはあっても、ある時代を共有した者たちが次代を担う者たちにバトンタッチしてゆく、そうやって人の世は受け継がれてきたんですよね、ゆずりはのように…
私も既に親しかった友人を3人見送りました。
一緒に歳を重ねていきたかったという想いを持ちつつ、三途の川をはさんでさしのつきあいを確かにしてますね。
そしてこうも言えると私は思います。
そんな私たちは望む望まないに関わらず、
その時代の共犯者だと…
バブルに浮かれた世の中を私たちは知っているし、生きてきたんですよね、自覚なくても…
私は津野海太郎という人を全然知らなくて、検索したら、現在84歳の演出家・編集者・評論家、和光大学元名誉教授という、ひとかどの人物でした。
今回の言葉は『かれが最後に書いた本』からの引用で、その書評も読んだところ、この随想集にとても興味が出てきたのですが、未読の本が溜まっているしなぁ、と二の足を踏んでしまいます。
そんなところ
「考える人」という新潮社発信のWebマガジンを発見。
5年前に連載されていた『最後の読書』バックナンバーが読めたので哲学者鶴見俊輔氏のことを書いた第一弾を読んでみると、面白くてひきこまれました。
"老い"を受け入れつつ最後まで自分を生きた知性の人だからこそ、少しずつ自分の領域を明け渡して消えていくことに恐れはなかったのか、そんな気持ちにざわつきもしましたが、
彼の心情を、もうろくしていく姿や著述から客観的に分析、そんな自分をも含めた"老いる"対象者に向ける津野さんの知的好奇心はそれを鎮めるばかりか、筆致からはそこはかとない優しさが滲み出ていて、とても感銘を受けました。
年配層の読者に好評というのも頷けます。
生きていれば誰もがやがて立つ場所に立ち、そこからなんだか励ましをもらってるような気がしました。口語体というのも大きいですね。
第一回だけを読んだ感想です。
フリーで読めるみたいなので、少しずつ読んでいこうと思います。
顔写真を見ると、どこかで見た記憶があるような、ないような…
それは鬼太郎に出てくる妖怪にいそうな独特の風貌だったからかもしれません。
でも中年の頃の写真と比べると、臭気が抜けた感じで、その顔を作った年月の質は悪くなかったんだろうなと思えました。
知らないことはまだまだ沢山ありますね。
ありがとうございました😊