日々の撮影を通して、こども達から、たくさんの宝物プレゼントをいただいている私ですが、撮影を通して、こども達に、「無言のメッセージ虹」を送っていることがよくあります。

 

 

 

ただ、単に、「写真を残す」だけでなく、「おじさんは、君たちをこう思っているよ!」というメッセージを送っています。

 


 

日頃の撮影において、私は、とにかく「こども達を平等に撮ってあげたい」と思っています。

 

 

 

もちろん、私は仕事を通してこども達と接しているので、「平等に撮らなければ、あとでクレームのもとになる」という考えもありますが、クレームがどうした、こうしたということよりも、まず、「こども達に悲しい思いをさせたくない」という思いがとても強いです。

 

 

 

こういった思いが強いのは、私が若い頃、ずっと、大人や目上の人達から、平等に接してもらえなかったという辛い過去えーんがあるからなのですが、ほんとに、今となっては、こういった辛い経験がとても役に立っていると思います。

 

 

 

さて、日々、学校さん学校で撮影をしていると、様々な行事において「ブラスバンド部音譜」のこども達が演奏を聴かせてくれることがあります。

 

 

 

私は、こども達が一生懸命にがんばる姿がとても好きウインクなので、真剣に演奏をしているこども達を見ていると、思わず涙ぐんでしまうこともあるのですが、素晴らしい演奏を聴かせてくれるこども達に、写真屋として恩返しをしたいという気持ちが強いです。

 

 

 

そういった中、ある小学校さんの運動会走る人の最中、「ちょっとした出来事」が起こりました。

 

 

 

運動会というのは、「君が代」とか「校歌」、「表彰」、「入場行進」などで「ブラスバンド部」のこども達が演奏してくれることが多いのですが、狭いエリアに大きな楽器を持ったこども達が、密集しているので、集団の奥で演奏している子に関しては、とても撮りにくいのです。

 

 

 

「密集したこども達を、短い撮影時間の中で、極力目立たず、邪魔にならず、でも、全員をしっかり撮る」

 

 

 

とても難しいです。体力的にも、精神的にもヘトヘトになりますゲッソリ

 

 

 

ただ、そういった中、撮影中、ある女の子にカメラを向けていると、その子は演奏しながらも、チラッと、こちらを見たあと、スッと半歩ほど前に出たのです。

 

 

 

こういったブラスバンド部の演奏は、ただ単に演奏すれば良いというわけでなく、「見栄え」も重要視しています。その証拠に、学校さんによっては、運動会のあわただしい中でも、わざわざブラスバンド部用の衣装に着替えて演奏するところもあります。

 

 

 

そして、この学校さんも、わざわざ演奏用の衣装に着替えていましたし、ちゃんと美しく「整列」もして演奏していました。

 

 

 

でも、この子はあえて、列を離れ、半歩、前に出たのです。

 

 

 

「もしかして、この子は、俺が撮りやすいように、動いてくれたのかな?」と思いました。

 

 

 

そして、無事、その子を撮り終えたあと、私は、「撮れたよ!ありがとう!」という意味を込め、右手をわずかに上げました。

 

 

 

すると、その子は、先ほどとまったく同じように、チラッとこちらを見て、半歩下がったのです。

 

 

 

この子がなぜ、動いてくれたのかは、わかりません。

 

 

 

ただ単に、「写りたかった」のか、それとも、「撮りやすいように動いてあげようドキドキ」と思ってくれたのか、はたまた、その両方だったのか。

 

 

 

ただ、たくさんのこども達が、これまで自分にやってくれた様々なことを考え合わせると、都合のいい捉え方かもしれませんが「撮りやすいように動いてあげようドキドキ」と思ってくれたように感じました。

 

 

 

「こころ、通じたかな?ニコニコ

 

 

 

私は、そう、感じました。

 

 

 

とても、嬉しい瞬間だったので、この時のことは鮮明に覚えています。演奏中にも関わらず、動いてくれた子はこの子だけではないのですが、「この子たちを、絶対平等に扱う!」「おじさんは、君たちの誰ひとりとして、ぜったい見捨てないよ!」と、ちょっとオーバーにも思える信念を、日頃から貫き通していることが報われた瞬間だったのかなと思っています。

 

 

 

私は、こども達を、「集団」としては見ていません。

 

 

 

あくまで、「ひとりひとりの集まり」として見ています。あの子も、この子もみんな同じように大切。何があっても平等。

 

 

 

こどもをたったひとりでも蔑ろ(ないがしろ)にすれば、全員からの信頼を無くすと思っています。

 

 

 

こども達は、「あの子を蔑ろにするってことは、いつか自分も蔑ろにされる」と心の奥底で感じるはずです。

 

 

 

だから、「おじさんは、どんな時でも、誰ひとりとして蔑ろにしないよ!」っていうメッセージを常に送り続けています。

 

 

 

そうすれば、ちょっと大げさですが、というより、かなり大げさですが、「上別縄さんは自分たちを絶対裏切らない!」というような信頼を得られると思っています。

 

 

 

なんにしても、大人である私がまず、こども達に大きな愛情をしめしてあげる。そうすれば、「大人の鏡」であるこども達は、必ず愛情を返してくれる、そう思っています。

 

 

 

(おわり)

 

 

 

今回も、読んでくださった方、ほんとうに、ありがとうございます。クローバー

 

 

ある地区の小学5年生は、毎年、ある山奥富士山に林間学校に行きます。

 

 

 

この林間学校に行くと、多くの学校さんは、宿舎近くの山に登山晴れをします。

 

 

 

その登山の時、ある地点まで登って来ると、こども達は全員、向かいにある山に向かって、「ヤッホー」と叫びます。「ヤマビコ虹」を聴くためです。そして、この場所のことを通称「ヤッホー・ポイント」と言います。

 

 

 

この「ヤマビコ」ですが、山岳部に住んでいるこどもでなければ、なかなか聴くことは出来ませんし、私がこどもの頃を思い返してみても、初めてちゃんと聴けた時は、とても感動したラブ記憶があります。

 

 

 

ですので、こども達がここを訪れた時には、私がこどもの頃に感じたような感動を、同じように味あわせてあげたい。日頃、自然に接することが少ない「現代っ子」にぜひ、大自然の恩恵を感じさせてあげたいと思っています。

 

 

 

ただ、「ヤマビコ」って実はなかなか聴けません。私がこどもの頃、「山に行きさえすればヤマビコが聴ける」と思って、あたりかまわず「ヤッホー」と叫びまくって、結局、まったく聴けず笑い泣きという体験を何度もしました。

 

 

 

当然、「コツ」があるのです。

 

 

 

ほとんどのこども達は「コツ」がわかってないでしょうし、大人数でガイガイ音譜山に登っても、かすかな「ヤマビコ」は聴こえるはずもありません。

 

 

 

ですので、私は、この山に登山する時は、こども達に「ヤッホー」のポイントを登山前にお話させてもらうのです。

 

 

 

また、こども達が、その「ヤッホーポイント」に着いた時も、その場を仕切らせてもらって、声を出す方向や、声の出し方、声を出したあと静かに耳を澄ますこと、そして、まわりの大勢のこども達を静かにさせたりもします。

 

 

 

ちゃんとやってあげれば、こども達は100パーセント「ヤマビコ」を聴くことが出来ますOK

 

 

 

「聴こえた?」

 

 

 

こども達には必ず確認するようにしています。

 

 

 

こども達は「ニコッニコニコ」としてうなずきます。

 

 

 

こういった瞬間が自分にはとても嬉しいです。

 

 

 

さて、この「ヤッホー」における一連の私の行動ですが、ここまでするカメラマンってあまりいないかもしれません。

 

 

 

そこには当然、引率の学校の先生方もいらっしゃいますし、宿舎から来られた指導員の先生方もいらっしゃいます。

 

 

 

ですので、単純に私の行動だけを考えれば「やりすぎ」でしょう。

 

 

 

「でしゃばりすぎ」

 

 

 

それは、私もじゅうじゅう承知しています。

 

 

 

ただ、こういった行動をする際も、実は様々なことを考え抜いて行っています。

 

 

 

まず、こども達が「ヤッホー」と言っているときは、この上なく良い表情をしてくれるので、最高のシャッターチャンスカメラであり、写真は連写で撮りまくるので、「写真屋には関係ない」場面ではないということ。

 

 

 

登山前にお話をさせてもらうと言っても、指導員さんが来られる前の、「単なる待ち時間」にお話をさせてもらうので、時間的なロスがゼロ時計ということ。

 

 

 

どんなにベテランの先生方よりも、圧倒的に多く、この山に登っているので、この場所のこと、休憩のタイミングなども熟知しているチョキこと。

 

 

 

指導員の先生も登られるものの、先頭を引っ張っていかなければならないので、「ヤッホーポイント」にずっと居ることはできない走る人こと。

 

 

 

学校の先生方も同じく、各クラスの先頭や最後尾を歩かれるので、「ヤッホーポイント」にずっと居ることはできないランニングということ。

 

 

 

大勢のこども達を、誰かが静かにさせなければ「ヤマビコ」を聴くことは不可能耳ということ。

 

 

 

以上のことを考え合わせると、私が「ヤッホー」に積極的に関わらせていただく正当性(?)みたいなものがあるのかな?OK・・・、なんて考えて、「『でしゃばり』と言われかねないな」と思いながらも動かさせていただいてます。


 

 

いや、ほんと、「しゃしゃり出すぎかな・・・」と毎度、思います滝汗

 

 

 

ただ、やっぱり、こども達に喜んでもらいたい!

 

 

 

「ここは、『こども達を喜ばせられるチャンス』だから許してくださいお願いと思っています。

 

 

 

でも、学校の先生方って・・・、

 

 

 

「我々の職域に入ってきやがって!」

 

 

 

とか、

 

 

 

「お前は写真屋なんだから、おとなしく写真だけ撮ってろ!」

 

 

 

じゃないんです。

 

 

 

 「こども達のために、ありがとうキラキラ」 

 

 

 

なんです。

 

 

 

こういうところが、私が先生方に日頃から大きな感謝と尊敬の念を持つ、ひとつ大きな要因です。

 

 

 

 

先生方って、

 

 

 

「私が」

 

 

 

ではなく、

 

 

 

「こども達が」

 

 

 

なのです。

 

 

 

私がこの仕事に対して、並々ならぬ情熱を持てて、仕事を楽しいと感じられるのは、こういった先生方のおかげだと、常日頃、強く思っています。

 


 

そもそも、私は「こどもは世界の宝ダイヤモンドだと思っています。

 

 

 

「世界の宝」ですから、「世界中の人達で育てるもの」だと思っています。

 

 

 

ですから、林間学校ひとつとっても、「先生が」とか「指導員が」とか「カメラマンが」ではなく、大人みんなで、寄ってたかって、こども達に愛情を降り注いであげれば良いみずがめ座と思っています。

 

 

 

ところで、この文章を書いている2020年5月、世の中は「コロナウィルス」の影響で様々な物事が「自粛カゼ」となっています。

 

 

 

それで、実はこの文章は、昨年度末の卒業式直後のことを思い出して書いています。

 

 

 

卒業式の直後、ある学校さん学校の、6年生の先生方からお聞きしたお話ですが・・・、

 


 

卒業式当日、コロナの影響で式が短縮されていなければ、卒業生のこども達が、入学から卒業までを振り返る寸劇をやる予定だったそうです。

 

 

 

その寸劇の中では、林間学校の場面になった時、こども達が大きな声で「ヤッホーポイント!」と叫ぶと・・・、

 

 

 

なんと!、私に扮したこどもが出てきて、ヤッホーポイントとは全く関係の「無い」私の口癖「お嬢さんが世界の中心!」と言って、みんなを笑わせる、という演出があったらしいのです。

 

 

 

「お嬢さんが世界の中心!」というのは、私がこども達の集合写真を撮る際、基準になる最前列の中央にあたる子を呼ぶ時に発する言葉です。

 

 

 

「撮影自体を楽しく」と考えているので、発する言葉も単なる「情報伝達ツール」で終わらないようにしていますが、それが、こども達には印象に残っていたようです。

 

 

 

「写真屋だから、おとなしく写真だけ撮ってろ!」と言われれかねないリスクがあっても、「こども達のために・・・」と思ってやったことが、こちらの想像以上に、こども達の心の中に残っていたのかもしれません。

 

 

 

正直、「今年の子たちは、ちょっとおとなしいし、そんなに上別縄さん、上別縄さんって寄って来ないな」とも思っていましたが、最後の最後に、思いがけないプレゼントをいただきました。

 

 

 

卒業式の本番中に、ぜひとも見せていただきたかったですが、ほんとうにありがたいことです。

 

 

 

「ほんとうに、ありがとう・・・。

 

 

 

中学校に行っても元気で!

 

 

 

コロナに負けるな!」

 

 

 

(おわり)

 

 

 

今回も、読んでいただいた方、ほんとうに、ありがとうございます。クローバー

 

 

私が、日々、こども達の撮影をしていて、こども達からたくさんの贈り物プレゼントをもらえるのは、「こども達が大好き」という大前提があるからだと思っていますが、かといって、ただ単に、「こどもが大好き」という気持ちだけだと、やはりこども達との関係はなかなか上手くいかないのかなと思っています。

 

 

 

そこには必ず「スキル」というものが必要だと思っています。虹

 

 

 

日頃、こども達と関わる中で、様々な「スキル」をフル動員していますが、その「スキル」の根幹となるような経験について今回は書いてみようと思います。

 

 

 

私は小学校から高校までバスケットボールをやっていました。バスケけっして強いチームでもなく、自分自身もけっして上手な選手ではありませんでしたが、とにかく精神面が苦痛そのものでした。

 

 

 

なぜか、小・中・高とまったく同じような雰囲気だったのですが、何が苦痛だったかと、ひとことで言えば、「めちゃめちゃに否定され続けたこと」となるでしょう。クラブ在籍中はずっと、日々憂鬱で仕方ありませんでした。雨

 

 

 

そして、小学生の時から、シュートを打つときに手が震え出すようになりました。特に、ノーマークで簡単なシュートであればあるほどです。

 

 

 

なぜ、そうなったかと言えば、挙げればきりがないのですが・・・、

 

 

 

小学生の時、ある試合で、自分の所属していたチームは、守るとき、「プレスディフェンス」という作戦を取りました。この「プレスディフェンス」というのは、ボールを持った相手の選手を、ふたりで取り囲んでボールを奪い取るという作戦です。

 

 

 

ただ、上手くいけば良いのですが、失敗すれば、いきなりピンチになるギャンブル性の高い作戦です。

 

 

 

そして、この作戦は、ことごとく失敗しました。相手チームに抜かれまくって、何度も何度も、相手3人に対し、こちら1人という状態になり、失点しまくりました。

 

 

 

3対1になると、さすがにもう、ふせぎようが無くなるのですが、失点して怒りまくった監督がムキー、ふせぎきれなかった最後の1人を罵倒しまくりました。その1人というのが自分でした。

 

 

 

ただ、監督が怖いので、「絶対、無理」と思いつつも、罵倒され続けるだけだったのですが、何度考えてみても、どう考えてみても、絶対ふせぐことは不可能と判断し、試合中、なんと、小学6年生の自分は「僕のせいじゃありません!」と監督に言い放ちました。

 

 

 

我ながら、ずいぶん思い切ったことをしたなとは思いますが、ただひたすら我慢し続けるべきだったのでしょうか。

 

 

 

「僕のせいじゃありません!」と言い放ってすぐ、監督はタイムアウトを取りました。そして、ベンチに戻って来た自分を、ものすごい形相で睨みつけ、ビンタを数発くらわせ、自分はベンチに下げられました。

 

 

 

試合が終わり、コートサイドをチームメイトと歩いていたとき、いきなり見知らぬ大人の人に、一言こう言われました。「君は間違ってないよ!君のほうが正しいよ!」って。その人はそれだけ言ってすぐにいなくなってしまいました。

 

 

 

いきなり、まったく知らない大人の人に話しかけられて、とてもびっくりしましたが、その一言はとても僕を救ってくれました。ラブ

 

 

 

僕のことが、よっぽどいたたまれなくなって、「励ましてあげよう」と思って、優しい人が、たぶんわざわざ僕に会いに来てくれたんだと思います。そうでなければ、あの人にとっても他人である僕の顔など覚えられないでしょうから。

 

 

 

中学生の時、練習時などは、シュートを外すと、監督から「きさま、なんしょーとか!!!(博多弁)」と罵声が飛んできて、監督の元に呼ばれ、ビンタが容赦なく飛んできました。

 

 

 

こんなのはまだまだ爽やかで、良いほうで、試合中に簡単なシュートを外そうものなら、腕組みしたまま睨みつけられ、「あいつはダメだ」とばかり、ブスーっとしたまま首をひねられ、背を向けられるのです。

 

 

 

そういったことを毎日毎日されつづけると、「シュートを外したら、怒鳴られる、あきれられる」という恐怖が深層心理の中に働いて、勝手に手が震えだすのです。当然、手が震えればシュートの確率はガタ落ちになります。そして、シュートを外し続ければ、試合に出ていても交代させられます。すると、さらにシュートを打つのが怖くなってきます。滝汗

 

 

 

たとえシュートを外して怒鳴られたとしても、まだ、シュートを決めたときに褒めてもらえれば救いはあったでしょう。しかし、「1回たりとも」褒められたことはありませんでした。

 

 

 

また、現役中、校内の駅伝大会で区間賞を獲った時も、「まさか、おまえが獲るとはねー」と首をひねられました。いまだに、この時の光景をはっきり覚えています。もう、あきれ果てました。

 

 

 

たいして強くもないチームでしたが、いちおう練習はハードで、その中で走るときはだいたい一番を走っていて、周りからは「速い」と言われていました。たった一言でも「おー、良くやったな」って言えないもんかと。「じゃー、誰なら納得したのか?」と。「ここまで、捻じ曲がった感覚なら、もうどうしようもないな」と思いました。

 

 

 

また、ある試合の最中、自分はかなり酷い捻挫をして、倒れ、コートの中で動けなくなってしまったのですがえーん、ふつうこういう場面で監督は「大丈夫か?!」と心配するでしょう。

 

 

 

ところが、彼はしばらく私を「放置」しました。椅子に座ったまま一切のアクションをせず、腕組みをしたままブスっとしたままです。

 

 

 

「なぜ何もしてくれないんだろう・・・」「何なんだ、この状況は・・・」と思っていましたが、しばらくして、「痛いとか?(博多弁)」とひとことだけ飛んできました。相変わらず、彼は椅子に座って、腕組みしたままです。「痛いんやったら、下がれ!」

 

 

 

もう、この時も言葉を失いました。痛い以外あるんでしょうか?この捻挫のおかげで、いまだに、ほんの少しですが、右足の足首は内側に曲がったままです。

 

 

 

挙げればキリがないのですが、こういった感じの指導者にずっと関わってきました。

 

 

 

当然、練習も、試合もまったく楽しいはずもありません。

 

 

 

中学時代の最後の試合に負けたときも、負けた悔しさはありましたが、「あの無意味な練習から開放される」という気持ちのほうが断然大きかったほどです。

 

 

 

こういった部活をなぜ辞めなかったのか・・・、理由はたった1点です。「根性なしと思われたくなかったから」です。

 

 

 

こういったことを、ずっと経験してきた自分ですが、カメラマンを始めたばかりの時に、衝撃的な経験をします。びっくり

 

 

 

その頃、毎週末は、少年・少女の様々なスポーツイベントの撮影をしていました。なかでも野球やサッカーの撮影が多く、サッカーなどはプロチームの下部組織のチームもたくさん撮影していました。サッカー

 

 

 

ただ、衝撃を受けたのは、こういったエリートの、洗練されたチームや選手にではありません。

 

 

 

あるチームのコーチと、そのチームのこども達のプレーと、表情ニコニコにです。

 

 

 

あとにも先にも、そういったコーチに遭遇したことはないのですが、そのコーチは、こども達のプレーひとつひとつに「たかし、ドリブル、サンキュ!」「けんじ、ナイス、ディフェンス!」「みさこ、ナイスパス、OK!」と言いまくるのです。グッド!ビックリマークチョキ

 

 

 

もう、ほんとに、「すべて」のプレーと言えるぐらいに言いまくるのです。正直、ちょっとうるさいと言えば、うるさいかもしれません。

 

 

 

ただ、こども達のプレーを「一切」否定せず、成功しても、失敗しても、常に肯定し、感謝し、励まし続けるのです。

 

 

 

多少うるさい、このコーチの行動ははたして正解なのか・・・。

 

 

 

もう、答えはこども達を見ればはっきりしていました。

 

 

 

まー、こども達のプレーがのびのびしていると言ったら、他のチームの比ではありません。とにかくすべてのプレーに独創性、創造性があふれまくっているのです。アップ

 

 

 

型にはまった見慣れたプレーではなく、こども達が自ら考え編み出したプレーだと思います。他のチームの古い考えの指導者だったら怒られてしまうようなプレーも続出します。

 

 

 

こども達がプレーをしながら、「今度ははこうしてみよう、ああしてみよう!」とチャレンジしているのです。ロケット

 

 

 

そして、こういったプレーの数々を、自分は超望遠レンズで狙い続けるのですが、そのカメラのファインダー越しに見えるこども達の表情といったら・・・。目

 

 

 

もう、「サッカーが、楽しくて、たのしくて、仕方がない!」といった表情のこども達ばかりでした。まったく、ひとりの例外もいませんでした。キラキラ

 

 

 

「あぁ、スポーツをするって、こういうことなんだな・・・。」

 

 

 

「あー、もし、自分が、こどもの時に、こんなコーチに教えてもらってたら・・・。」

 

 

 

「一度でも、こんな風に褒めてもらえてたら・・・」

 

 

 

「一度でも、こんなに励ましてもらえてたら・・・」

 

 

 

ファインダーを覗きながら、涙が出てきました。

 

 

 

あのコーチだって、自分が多少うるさいのはわかっていたでしょう。でも、こども達のために、こども達の気持ちを考えて、自分のことよりも、こども達を優先してやっていたんだと思います。

 

 

 

私は今、こども達を撮影する際、このコーチのように、「サンキュー」「いいね!いいね!」「OK!」「よーし良い顔!」と、こども達の目を見て、言いまくっています。もちろん、TPOはかなり意識していますが、私も、ちょっと、うるさいでしょうね。あせる

 

 

 

たくさんのこども達を、限られた時間の中で全員撮らなければいけないので、なかなか大変ですが、こども達とコミュニケーションをとる時間が限られているからこそ、なおさら、その一瞬を大切にして、こども達と接するようにしています。クローバー

 

 

 

今になって思えば、小・中・高とああいった指導者のもとにいたことは反面教師として、貴重な経験です。自分としては「あんな思いは二度としたくない」と思っていますが、おかげで「こども達にあんな思いをさせてたまるか!」という、とても強い気持ちを持つことができるようになりました。ベル

 

 

 

そして、あの苦痛を経験していたからこそ、誰よりも、「あのコーチさん」に出遭えたことを、この上ない幸運だと感じられる自分になれたんだと思っています。星

 

 

 

(おわり)

 

 

 

今回も、読んでくださった方、ほんとうにありがとうございます。クローバー

 

 

前回は「努力の大切さ」について書きましたが、実はそれ以上に、こども達に伝えたかったのは、「才能(適性)」についてです。

 

 

 

前回、書いた「結果を出すには、努力が必要」ということは、私があらためて伝えなくても、こども達は充分わかっていることでしょう。

 

 

 

ただ、その後に話した「才能(適性)」については、こども達はもちろんですが、大人でも理解や意識している人は多くないのかもしれません。自分の場合も、その昔、強烈な苦痛を味わった会社勤めを経験してはじめて、本気で、自分の才能や、適性、ほんとに好きなことを考えました。たぶん、あの経験が無ければ、あれほど真剣に自分自身を見つめることは無かったと思っています。

 

 

 

さて、「夢を叶えるために、ものすごく努力してきた」と、こども達の前で言った自分ですが、どうしても、こども達に伝えたかったことは、「ほんとうに好きなことであれば、努力を苦労と感じない!」ということです。

 

 

 

「おじさんは、今、ほんとうに好きなことを仕事にしていて、幸せです。ものすごく写真の勉強もしましたし、困難な事もたくさんありましたが、じゃあ、『苦労したか』というと、まったく苦労はしていません。それは、100%自分自身で選んだ道だからです。」

 

 

 

「そもそも、おじさんの中での苦労っていうのは、戦争みたいな、自分の努力ではどうにもならない状態のことだけだと思っています。」

 

 

 

「おじさんも最初から幸せだったかというと、そうではありません。社会人になったばかりの頃はほんとうに大変でした。ただ、そこで、しっかりと考えました。『自分がほんとうに好きで、得意なことは何か』と。」

 

 

 

「その結果、自分は『観察力と洞察力が優れている』ということに気づきました。観察力?洞察力?日頃あまり使わない言葉ですよね?でも、、おじさんにとってはそれがカメラマンという仕事でとても役に立っています。」

 

 

 

「(中略)人間の才能ってそういうものだと思っています。例えば、『勉強が出来る』、『サッカーが上手い』、『ピアノが上手』・・・こういった才能ってわかりやすいでしょ?」

 

 

 

「でも、『お年寄りに人気がある』とか、『人を笑顔にできる』とか、『お友達に優しい』とか、『~にとても詳しい』とか、そういった才能って、ちょっと分かりにくいですし、他の人からも認められにくいと思うんです。本人だって、ずっと気づかないことだってあると思います。」

 

 

 

「でもね、今、ここにいる全員に必ず、必ず、そういった才能があります。目に見えなくて、分かりにくいけれども、必ずそういった才能が全員にあります!だから、もしこの先、『自分なんて・・・』と思うことがあったとしも、けっして、自分をダメな人間だなんて思わないでくださいね。」

 

 

 

「まぁー、たぶん、ここにいる全員が、この先、『自分なんか・・・』って思う瞬間があるんじゃないかと思います。でもね、間違いなく、あなた方が思っているよりも、必ず、あなた方には才能があります!

 

 

 

「だからね、これからの人生において、いったい自分にどんな才能があって、何が好きで、どんな可能性があるのかっていうのを、いろんなことをやって、いろんな所に行って、いろんな人に会って、探し求めてほしいなと思っています。あなた方が思っているよりも、数段、世界は広いですから。

 

 

 

「なかなか見つかるものではないかもしれませんが、見つけることができれば、それはあなた方の人生を幸せに導いてくれる、大きなチャンスになります。だから、これから先、どうぞ、いろんな経験をしていって、一歩ずつ、一歩ずつ、幸せに近づいていってください!おじさんは、みなさんの幸せを、心から願っていますよ!今日は、おじさんのダメダメなお話を聴いてくれて、ほんとうにありがとう・・・。」


 

 

・・・、この講演からしばらくして、こども達から、思いもかけない素晴らしいプレゼントをいただきました。この講演の感想文集です。まさか、そんなものをいただけるとは思っていませんでしたので、とても嬉しかったです。

 

 

 

また、開いてみて、読み進めてみて、とてもビックリもしました。

 

 

もう、とにもかくにも、ひとり残らず全員がびっしりと文章を書いてくれていて、書き足りず、裏面まで書いてくれている子もたくさんいました。また、表紙から何から全てのページにおいて、様々な色やイラストがあふれかえっていました。

 

 

文章にしても、イラストにしても、けっして得意な子ばかりではないはずです。でも、みんなが、「何かを上別縄さんに伝えよう」と思ってくれたんだと思います。

 

 

ただ単に、先生から「書け」と言われたから、「仕方なく書いた」、「仕方なくスペースを埋めた」ではなく、こども達の意思で「何かを伝えたい」「感謝を伝えたい」そう思って書いてくれたように感じました。

 

 

この文集が宝物にならないはずがありません。読みながら、何度も涙が出てきました。

 

 

まさか、こんなに長文になってしまうとは想像していなかったのですが、これを書いた後、あらためて、こども達からいただいた「感想文集」を読み返してみました。

 

 

読み返してみると、「実際には、あんなこと言ったんだ、こんなことも言ってたんだ」と思うことだらけでした。ちょっと硬い感じの文章になってしまいましたが、実際に、こども達に喋ったときは、スポーツ選手や、実際の撮影現場のエピソードをベースにして、楽しい感じにしました。

 

 

この出来事に限ったことではありませんが、私は「こども達は大人の鏡」だと常々思っています。大人が、ほんとうに、こども達に愛情を注げば、こども達はちゃんと返してくれます。これは、相手がこどもに限ったことではないと思いますが、これからも、自分自身、精進しつつ、そこで得た経験を、少しずつでも、伝えていければと思っています。

 

 

(おわり)

 

今回も、読んでくださった方、ほんとうに、ありがとうございます。クローバー

 


前回のブログで、卒業文集に「将来、上別縄さんのようなカメラマンになりたい」と書いてくれた子がいた、と書きましたが、こども達がくれる様々な幸せは、尽きることがありません。


 

ただ、私の場合、「もともと、誰からも好かれる性格で・・・」というわけではないので、「無かったものを、必死になって、少しずつ身につけてきた」と思っています。
 

 

 

その過程で身につけてきたものが、このブログを読んでくださる方の、何かしら、幸せにつながるためのヒントになってくれれば、この上なく幸いです。

 

 

 

今回は、一部ちょっと自慢話のようになってしまうと思うので、不愉快に感じられたら、申し訳ありません。

 

 

 

さて、その「卒業文集」の他に・・・、ほんとに、いろいろありますが、「講演」というのもあります。

 

 

 

これは、正確に言えば「こども達から」のものではないかもしれませんが、卒業アルバムを担当させていただいている学校さんで、かつて2度、「講演依頼」をいただきました。(講演料までいただいて。いただいた分、その場で寄付しましたが。)

 

 

 

6年生全員と、年によっては、その保護者の方々も来られました。これまた、どうでしょう。みなさんは、卒業アルバムのカメラマンさんの講演を聴かれたことがありますか?私は無いですし、そういう噂も聞いたことがありません。

 

 

 

その講演ですが、実は講師が誰なのかが、こども達には秘密にされていたので非常に不安でした。もし、私が講師として、こども達の前に登場した時、『えー、なんで上別縄さんが講師なのー』ってがっかりさせてしまったらどうしようと思っていたからです。

 

 

 

そもそも、講演のご依頼も何度もお断りしていました。「力不足です。」と。こども達に講演するなどというのは、プロ野球選手とか、Jリーガーや芸能人、そんな方々だと思っていました。

 

 

 

しかし、実際には、講演当日、大歓声で迎えてもらいました。子ども達はとてもビックリしたようでしたが、みんなニコニコしていました。ニコニコ

 

 

 

とりあえず、ひと安心でした。

 

 

 

人気や知名度では、そういった方々には到底かなわないけれど、「この子達に、幸せになってほしい」という気持ちが負けることはありません。

 

 

 

有名でもない私が、この子達に何を話したら、この子達のためになるのか・・・、それを一生懸命考えて、「才能と努力」について話をしました。

 

 

私は、以前、九州・福岡でスポーツの写真も撮っていたのですが、たぶん、西日本で唯一の、「プロ野球と、プロサッカーと、プロバスケットを撮るフリーカメラマン」だったと思います。

 

 

 

プロ野球と、プロサッカーは雑誌の撮影だったので、自分の撮った写真が、自分の名前と共に、世に出ます。特に、プロ野球の仕事では、「連載グラビア」の撮影もさせていただいていたので、毎月、A4サイズの誌面いっぱいに自分の撮った写真が1枚載り、そこに自分の名前も刻まれます。

 

 

 

「月刊ホークス」という「福岡ソフトバンクホークス」のオフィシャル球団誌の撮影だったのですが、写真の評判が良かったらしく、ある月は、2ページになったこともありました。しかも、この仕事は「上別縄さんが良いと思う写真を選んでください」と言われていたので、「毎月、ファンの皆さんが憧れている選手のすぐそばで、自分の好きな写真を撮って、お金をもらい、しかも自分の名前を世に宣伝できる」という、まさしくカメラマン冥利に尽きる仕事でした。

 

 

 

講演の当日は、その雑誌なども持参し、こども達に観てもらいましたが、野球の写真に興味が無い子もいたと思いますが、日頃、自分たちを撮ってくれているカメラマンの名前が、雑誌に載っていることに、多少なりとも驚いたかもしれません。

 

 

 

プロバスケットボールの撮影でも、雑誌にこそ掲載される仕事ではありませんでしたが、チームのオフィシャルカメラマンでしたので、チームのホームページにもたくさん使っていただきましたし、リーグのレジェンド選手がNHKのテレビに出たときも、その選手の背後に私の写真が大きく掲示されていたようです。

 

 

 

各競技のスター選手はもちろんですが、芸能人の方々に遭遇することもありました。

 

 

ただ、こういった華やかで、とてもやりがいのある仕事・・・、

 

 


こういったステージに立つために、少なくとも自分は相当な努力をしたと思っています。たぶん、世間一般の方々とは、ちょっと違う、「極めて地味な生活」を送り続けたと思っています。

 

 

 

撮影技術を伸ばすために、一切お金にならなくても、様々なジャンルの撮影にトライしましたし、その撮影の度に、徹底した予習と復習を繰り返しました。復習に関しては、撮影した全ての写真を、自ら7段階で評価し、その写真のどこが良くて、どこが悪かったのかを、ひたすらノートに書き記しました。その場で解決しないことは、本を読み漁ったり、撮影実験をしたり、カメラメーカーさんに電話をかけまくったりして徹底的に調べあげました。

 

 

 

赤ペン片手に読み込んだ本は数百冊、書き記したノートは1年間で50冊になりました。

 

 

プロなので、「なんとなく撮れた、たまたま撮れた」では話にならないので、「上手く撮るためのノウハウ」をこれでもかと言うほど積み上げていきました。

 

 

 

世の中の人達が「テレビだ、映画だ、ゲームだ、旅行だ、グルメだ、デートだ、最新の~、流行の~」と言ってる間、自分はそれだけをやっていました。「こんなに頑張ってるって、東大めざしてるとか、オリンピックめざしてる人達ぐらいだろうなぁ」ってよく思っていました。

 

 

 

また、費やしたのは、時間や労力だけではなく、お金も全て費やしました。勉強するには時間が必要です。でも、時間を作るにはあまり仕事を入れられないので収入は増えない。何かを撮りに行くには交通費も必要。

 

 

 

プロバスケットボールの、あるとても重要な試合の撮影のためには、1台50万円の最新カメラの購入・・・と、まさしく「人生をかけて勝負してきた」と言い切れるほどのことをしてきました。

 

 

 

カメラマンになりたての頃、「将来は、Jリーグや、プロ野球を撮れるようになりたい」と言ったら、「絶対、無理!」といろんな人達に言われましたが、自分は、自分の努力を1秒の例外なく全て知っていたので、「なれないほうが奇跡」と思っていました。

 

 

 

そして、実際、全て叶いました。

 

 

 

ひととおり、こども達にこういった話をして、こども達に伝えたかったのは、当然、「おじさん、スゴイでしょ?!」などということではありません。

 

 

 

「結果を出すには、努力が必要」ということです。

 

 

 

ただ、よく、スポーツ選手が「夢は必ずかなう」というようなことを言いますが、私はそうは思っていません。こども達には、はっきり言いましたが、「努力もせずに、成功できるほど世の中は甘くないよ」と。

 

 

 

「夢は必ずかなう」というのは、こども達に、夢や希望を持ってもらうためでしょうし、「あきらめないことの大事さ」を伝えようとしているのだと思うので、まったく否定はしませんが、世の中には、成功者の影で失敗をしてきた人達がたくさんいます。

 

 

 

個人的にも、夢をかなえられなかったカメラマンをたくさん見てきました。

 

 

 

そもそも、インタビューなどは、ほとんどの場合、成功した人にしますので、成功者は自分の体験から「夢は必ずかなう」って言う人が多いでしょう。でも、もし、失敗した人にインタビューしたら「夢は必ずかなう」って言うでしょうか?

 

 

 

私は、こども達と接する時、「こどもだから」という感覚をあまり持っていません。言葉遣いや、使う単語は配慮しますが、「ひとりの人間」として尊重し、対等に接しています。この講演は、小学6年生が相手でしたので、内容としては「大人相手と変わらない話」をしました。

 

 

 

こども達は「結果を出すには、努力が必要」などということは、百も承知なはずです。冬場など、夕方から夜にかけて、町なかを走っている子をよく見かけますが、たぶん、あの子たちの多くは、持久走大会に向けて走っているはずです。そして、あの子たちのほとんどは、自分の意志で走っているでしょう。

 

 

 

こども達は、ちゃんと分かっています。だから、幼いなりに身につけたその感覚を、大人の私が、「それは正しいよ!」って確信させ、印象付けて、背中を押してあげたかったのです。

 

 

 

こども達が、夢や希望を持ったとき、中途半端な努力をして、失敗し、自信を無くしたり、人のせいにして言い訳をしたり、愚痴を言ったりする人生ではなく、精一杯の努力をして、成功し、自分に自信を持ち、人にも優しくできる、そういった人生を送ってほしいのです。

 

 

 

(つづく)

 

 

 

今回も、読んでくださった方、ほんとうに、ありがとうございます。クローバー

 

 

みなさんは、卒業アルバムのカメラマンさんの名前を覚えていますか?



覚えるも何も、「聞いたことがない」という方も多いかもしれません。



自分も、自分がこどもの頃を思い出しても、ほとんど印象が無いし、特に意識したことが無かったように思うので、お名前などまったく覚えていません。

 

 

 

それが、普通なのかなと思います。

 

 

 

ただ、そんな中、私は、かつて、ある小学6年生の男の子に「将来、上別縄さんのようなカメラマンになりたい。」と卒業文集に書いてもらったことがあります。

 

 

一生にたった一度しかない、小学校の卒業文集に、よりによって、私のことを書いてくれたのです。



卒業文集といえば、修学旅行や林間学校、習い事、趣味やお友達、学校の先生のこと、将来の夢・・・、そんなことを書く子が多い中、よりによって私を選んでくれたのです。



全文にわたって私のことを書いてくれたわけではなく、私の名前も一度きりの登場でしたが、でも、私を選んでくれた・・・。



それまでも、こども達からは、たくさんの幸せをもらってきてましたが、「卒業文集にまで書いてくれるのか・・・」と、とても驚き、光栄に感じましたし、ほんとうに嬉しく思いました。「俺でいいんかい?」とも思いました。ニコニコ

 

 

 

自分はこども達が大好きだし、「こども達のためにがんばろう」という気持ちが、とても強いです。



そういう思いが、こども達に伝わり、こういった素敵なプレゼントで返してくれたんだと思っています。



前回、このブログで「仕事が楽しいという幸せ」と書きましたが、まさにそうです。



これまで、こども達が私にくれた幸せは、ほんとにたくさんあります。



それについても、これから少しずつでも書いていきたいと思っています。



(おわり)
 

 

 

読んでいただき、ありがとうございました。ニコニコ
 

 

保育園さんや、幼稚園さんや、小学校さんや、中学校さん。



いわゆる「こども達」のさまざまな行事や、卒園アルバム・卒業アルバムの撮影を20数年やってきたカメラマンの上別縄(かんべつなわ)と申します。



今は「そらの写真」という企業の代表として、日々、こども達とたのしく接しています。



このブログをはじめるにあたって、読んでいただく方々に、まず、お伝えしたいのは、自分は「仕事が楽しい」ということです。



そして、「仕事が楽しい」ということは「生活が楽しい」ということにつながり、「人生が楽しい」ということにつながります。



我ながら、とても幸運な人生です。



ただ、世の中には、日々の生活や、仕事に、大きなストレスを感じてらっしゃる方も、少なからずいらっしゃるでしょう。自分も昔はそうでした。



自分は、若いころに、失敗に、失敗を重ね、「落ちるところまで落ちた」人生でしたが、一歩ずつ這い上がって来ました。

 

 

 

這い上がる過程で、もがき、苦しみ、悩みながらも、けっして逃げずに、それに真正面からぶつかり、1mmずつ成長してきたと思っています。



この先、読んでくださる方々の人生を、ほんのわずかでも、好転させるヒントのようなことを、自分がここに記していければ幸いです。



これから、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

(おわり)

 

 

 

読んでいただいた方、ほんとうに、ありがとうございます。クローバー