発達障害者と大学 | 人それぞれ音楽もそれぞれ

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音楽についてや、自身の障害について書きます

高学歴者が発達障害者(ASDがほぼ)って不思議って思う人居るみたいです。


私は発達障害者だから、高学歴なんだと思います。


発達障害者(ASDがほぼ)って決められた事をただずーっとやってるのは何も苦じゃないんです。

集中力は、過集中する人の方が多いです。


ルールがあれば絶対守れるんです。 


基本受け身なんです。


読書や映画鑑賞を趣味にしてる人が多いです。


だから、勉強を長時間する事は何も嫌な気持ちにならないし、友達と遊んだり、SNSの色んな事に巻き込まれたり、スポーツしたり、アウトドアな趣味を作ったりするより良いんです。


沢山勉強して、高成績とって、親や学校で褒められて、嬉しいんです。


だからまた、沢山勉強するんです。


時間もキチキチ決めてやるので、ダラダラする人は少ないです。

少人数居ることは居ますよ。


勉強は効率よく、見返りがあるので、嬉しいんです。


勇気を振り絞って友達と話して、ストレスを抱えてしまって、その事でずっと悩んでる事の方が、生産性が悪いです。

誰からも認められず、褒められず、嫌な記憶として頭から消えません。


ですが、学生生活から出られないのが発達障害者という所なんです。


それより上の、社会性を持って仕事をしてある程度稼いでくるって事です。


私の様に、システマチックでオートメーション化されてる仕事が大の得意って人は少なくないと思います。


工場や倉庫内作業は得意な人多いと思います。


「やらない」と「出来ない」は違うんです。


仕事は自発的な所を求められる事が多いと思います。


頼まれないとできないのが、発達障害者です。

ルールに記載されてないとできないのが発達障害者です。


それを、「気が利かない」って言われたり、「自分でなんとか考えなさい」って言われるんです。


私達は「何が?」「どこが?」「何言ってるの?」ってなりそれでずっと悩むんです。


逆に、他の従業員がルールがあっても一時的にルール違反してしまいでも、「臨機応変に対応したんだね。その時は仕方なかったよね」って従業員達に褒められ、お客様に喜んでもらえたとしたら、イライラするんです。


それで、昇進したらさらにその人の事を嫌いになると思います。


そういう所が社会への生き辛さだと思います。


以前私が通ってる精神科のソーシャルワーカーさんから聞いたのは、大学卒業後に発達障害者だと分かり、その後療育手帳を取り損ねた人が居たと。


同じ障害でも、療育手帳と精神手帳は全然違く、療育手帳の方が福祉には手厚いので、取るなら療育手帳に限ると思います。


精神手帳は、更新があり更新毎に等級が変わる人が居るので、等級次第で受けれる福祉サービスが変わってきてしまうので、私はめんどくさいです。


ただ、療育手帳は知的障害がある事が前提なのでそこだけは気をつけて欲しいと思います。


頭がいいから大学へ行くって言う考えは多分平成時代で終わってます。


働く事が出来ず行き場がない人が、定額制(年間の学費等)で自分の居場所を作れるのが大学なんです。

少子化だから、発達障害者の様に真面目で一生懸命で、高成績ならば、どこかしらの大学へは行けます。


決まった時間に行って、決まった日までに提出物を出して、テスト勉強をしっかりして、高成績を出すなんて、何も難しくないんです。


そこで、同じ学科や部活やサークル等の友達関係や、教授や先生と反りが合わないとかあると、ストレスになりイライラしたり、集中力が無くなったりするんです。


最初に書いたように、高学歴者が発達障害者なんて、沢山いますし、社会で働けないからその後大学院まで行き、研究職につき博士号とったりできるんです。


全員とは言いません。


極1部でもそういう人は居ないんじゃなく居るんです。


ファミレスでも、ファストフード店でも、雑貨店でも、衣料品店でも、スーパーマーケットでも、ホテルマンでも、航空会社でも、運転手でも、旅行会社でも、他にも沢山仕事ありますが、一つのことだけを四六時中考えて人と余り接せず、その事だけで生活できる程のお給料を貰うことは誰もが出来るとは私は思いません。


だから、学校ですが受け身なので、行けると思います。