★ディープな奈良を堪能するシリーズ★
(2017年2月10日のこと)
facebookに、投稿したものを備忘録を兼ねて、ブログに書いています。
1年前雪の中、浄見原神社で国栖奏が厳かにとりおこなわれました。
朝から冷えると思っていたら、途中の峠を越えるあたりから雪が降り出し、
しんしんと積り始めました。
浄見原神社(きよみはらじんじゃ)は、奈良県吉野町南国栖(くず)の吉野川断崖に建つ神社。
この当たりの吉野川は天皇淵と呼ばれ、深い緑色をしているハズが、雪のためわからない。
銀世界の中を石段を登り、やっと拝殿までたどり着いたものの・・・
始まりの 13時まで待つ時間の長さ。
凍えながら待っていると、やっと一行が笛の音と共に階段を登ってきた。
応神天皇の時に、天皇が吉野の宮(宮滝)に来られたとき、国栖の人びとが来て酒と土毛をつくり、歌舞を見せたのが、今に伝わる国栖奏の始まりとのこと。
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『さらに、今から1300年ほど昔、天智天皇の跡を継ぐ問題がこじれて戦乱が起こりました。世にいう壬申の乱で、天智天皇の弟の大海人皇子は、ここ吉野に兵を挙げ、天智天皇の皇子・大友皇子と対立しました。
戦は約一ヶ月で終り、大海人皇子が勝って、天武天皇となりました。
この大海人皇子が挙兵したとき、国栖の人は皇子に見方して敵の目から皇子をかくまい、また慰めのために一夜酒や腹赤魚(うぐい)を供して歌舞を奏しました。これを見た皇子はとても喜ばれて、国栖の翁よ、と呼ばれたので、この舞を翁舞と言うようになり、代々受け継がれて、毎年旧正月十四日に天武天皇を祀る、ここ浄見原神社で奉納され、奈良県無形文化財に指定されています。』
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吉野町観光課 国栖奏のことから抜粋
国栖奏の歌詞は一歌から四歌まであり、四歌は応神天皇に捧げたという記紀の歌がそのまま奏でられます。
四歌 かしのふに よくすをつくり よこすにかめる おほみきうまらに きこしもちおせ まろかち
こんな雪の日になるのは、珍しいとのこと。
ディープな吉野を体感できました。