ロンドンハーツはあいかわらず、親が子どもに見せたくない番組ナンバーワンだと聞くのだが、


先日「オーラの泉」の中で美輪明宏が、


私大好きよあの番組。格付けで、女の人たちが罵り合ってるのみてるの凄く愉しい


と、にこやかにおっしゃっていたので、驚き、


わたしはさらに美輪さまが好きになってしまった。



それはさておき、ロンハーの格付けである。


つねづねわたしは、芸人の素とキャラのあいだに横たわる深い溝


が、テレビ上での演出を含めて納得がいかなかったのだが、


格付けだけに関してはなぜか、その溝すら可愛らしく愛すべきものに見えてきてしまう不思議を感じている。


ようするに、


やーなやつだと思っていた青木さやかがじつは打たれ弱い、とか、

仲が悪いと思っていた友近と青木はそうでもない、とか、

しずちゃんはときどき素になる、とか、

やっぱりあびる優ってどうなんだ、とか、

ハリセンボンの太いほう(失礼、春菜ちゃん、でしたっけ?)のあの「繰り返し芸」って天然かと思ったけどやっぱり芸だったんだな、とか、


そういう千差万別の楽しみ方だったりするのだが、


それでもどうしてもなぜか、


オアシズ大久保ってどうよ?


という疑念は、今の今までまるで更新されない。


なぜだろう・・・・




光浦靖子が眼鏡ベストドレッサーを受賞した。


以前某番組にて、


「母がときどき電話をかけてきて、


『やっちゃんどうしていつになっても眼鏡ベストドレッサー賞にえらんでもらえないんかねえ。いっつも眼鏡かけてるんだのに。


って母が悲しそうに言うんです」


と発言していたのはつい最近である。


・・・・おそるべし、選考委員。


この世界、言ったが勝ち。ブラボー、光浦。



森三中の大島は、「奥様セレブ」としてバラエティに出る際、ほぼ九割の確率でピンクサテンのドレスにオーガンジーのショール、というスタイルで登場する。


オアシズの光浦靖子は、ネプリーグでは常に「芸人枠」ではなく「高学歴枠」に出ているのに、ちゃんとした回答ができなくても違和感がなく、かえって「賢い(からわざと間違えた)」ような印象を受けるのに対し、おなじく「高学歴枠」で出ている菊川怜は、一問でも間違えると「東大の癖に」とそしりを受ける。


いや、これ、女芸人ネタだし・・・






先日結婚しただいたひかるは、このごろあまりテレビでつぶやいていない。結婚生活がよほど充実しているのだろう。


えっ?つぶやいてる?

ああ、最近自分、エンタでは桜塚やっくんくらいしか見てないので・・・


クワバタオハラオハラは、このごろ喋り方も声の質も雰囲気も、鈴木紗理奈に似ている気がして仕方がない。

オハラが綺麗になったのか、サリナのオーラが減ったのか、もともと変わらない位置にあったのか・・・・一応、芸人とタレントって立場違・・・・・


このごろ、細木先生の占い人生の雲行きが怪しいような気がするのだが、なぜかというと、昨夜のような四時間ぶち抜きスペシャルなんかをやってしまうあたりで働き者な芸人要素を感じてしまいつつあるからである。


あたしを誰だと思ってるんだい?!


と芸能人に豪語するほどのお方が、出てくる芸人たち相手に料理あり歌ありトークありなんてのを観ていると、いったいこのお方は、どこへ行き着きたいんだろう・・・・という、なかば同情に近い気分にすらなってしまうのである。


前置きが長くなったがglobeケイコである。


近頃とんと見かけないコムロ氏。プロデューサーとしての雲行きが怪しくなったころ、ふたたびシャ乱Qに返り咲いたつんくを尻目に、

いまさらTMネットワークもないなあ・・・・

と、思ったかどうかは定かではないが(思うわけない)その妻となったケイコ夫人、もっとどこでも見かけなかった。


せんじつの新聞欄を見て、

細木先生の番組に出てしまうようじゃおしまいだな・・・・

と、視聴者が思ったかどうかわたしは知らない。わたしは思いますた。それで観ませんですた。

そしたら時間が番組終わりに差し掛かったころ、友人より緊急メール。


ねえねえ!!細木(すいません、呼び捨てです)観てる?

グローブケイコ、顔変じゃない?別人?なにあれ??


あわててスイッチを点けて見たものの、残念ながらケイコ夫人の出番は過ぎていたため、詳細はつかめず・・・・。


そこでふたたびぴろぴろと友人メール。


しばらく観ないと思ったら顔が変になってるなんて、

あんまりせつないからテレビ消しちゃったよ


・・・・・・


なんとしてでも観るべきだった・・・・


無念・・・・





つい先日、マックの第二段えびCMが出た、というのでやきもきしていたところ、見てしまった・・・

なんだ、えびフィレオにごまが増えただけやん・・・

と、あなどることなかれ。


第一弾の時期に比べると、だんぜんエビちゃんのありがたみがちがーう!!


しかも、からくちコラムMy師匠(などと勝手に呼んでいたりする)a_keyさんのご指摘どおり、


ビミョーにflan(チョコレート菓子)をパクッていてむかつくつくりになっているの。


ふっ。わたしはここで、マクドナルドの製作サイドの心の声を聞いた。


ちょっと、みんな忘れてやしませんか?エビちゃんを、さいしょにブレイクさせたのはうちですから!!!!(絶叫)パンチ!(はじめて絵文字というやつを使ってみました)


たしかに、それはソーデス。蛯原友里っていう、一見変わった名前を「えびちゃん」と呼んでいたのは勿論、キャンキャンっつー女性ファッション誌であり、それを追随する読者であったわけだけれども、

マックはエビバーガーをもっと売りたいっす~って思ったとき、とつぜん神の啓示のようにエビちゃん=エビフィレオっていう、小学生みたいな図式を思いついたわけだ。つうかそれ自体は手法としては思いっきりベタでしょ。だって慣れないうちは何度観たって、


エビとエビぢゃ、共食い的感覚に近くない・・・・?


と、わたしは思っていた。でもさー。世間様は違ったわけなのね。エビちゃんが食べてるエビフィレオちょうだい!!って、店頭に殺到したっていうもん。それを聞いたマスコミが、


エビちゃん大人気!エビフィレオエビちゃん効果で売れまくり!!


ってやったもんだから、エビちゃんって聞いても、は?車えび?なんてぼけたつっこみしてた世の中のおとーさんたちにまで、エビちゃん=蛯原友里って名前が定着して、最終的にいまあるような、エビちゃん現象(エビちゃんがかかわっている商品は全部わけもわからずバカ売れ)って事態になってしまったわけっすから。


だから、マックは満を持しての再登場、というわけで、フランだろーが、アネッサだろーが(アネッサはパロッてないか。そっちをパロッてくれたらわたしはもうすこしマックのCMプランナーを尊敬したがな)、おかまいなーし!!にパロってくれちゃったりするわけだ。


それにしてもエビちゃん現象、いったいどこまで続いてくれるのでしょうか。

かつてのCM女王ハセキョーが、各誌のからくちコメントで、

起用しても売り上げに結びつかない稀有なタレント

なんてひどいこと書かれてるのとは大違いですあ。


ちなみに、名前=商品名でこのごろのもっともベタなCMは浅田真央の愛犬エアロとチョコレートのエアロCMで、へたしたら不気味以外の何者でもないエアロ(犬)だけど、エアロってCMは、もともとかなり変だったからしかたあるまい。荒川静香の金芽米は、まさか金メダル獲るとは思わんで起用したんだろうに、いやー。ああいうのを、

強運の持ち主

っていうんだろうか、と、唸ってしまったよ、自分。

むろん、会社のほうが、だけどね。



蝦原友里2   フランのCMの、エビちゃんが何度見ても、唸ってしまうほどにかわいい。沙世ちゃんにはまったく目が行かず、エビちゃんしか目に入らない。


ち、ちょっとまて。わたしはなにをかくそう相沢沙世ちゃんがむかしからずっとずっと大好きで、じっさいエビちゃん的赤いイメージより黒いイメージの人が好きだし、そういうタイプになりたいと常々思っていたのである。エビちゃんは特に好きでも嫌いでもなかったし、「えびフィレオ」なんか死んでも食うか、くらいのいきおいで、エビちゃん現象に警鐘を鳴らしてきたつもり(すごく内輪でだけ)だったのである。つい最近の『ブスの瞳に恋してる』だって、エビちゃん?ふん。的目線を送ってきたはずなのである。


なぜだろう・・・前回の日焼け止めCMも、何度見てもエビちゃんはかわいかった。おかげでむかしからずっと嫌いだったボニーピンクまで今では好きになってしまったくらいである。そしてまさか、このスペースに二度も、エビちゃんがかわいいということを伝えたいがためにだけのブログを書くなんて、想像もつきませんでした。好きというキモチを頑固に無視し続けていた自らの堤防がいま一気に崩れたということか。そうなのか。


わたしは頭を抱える。こういうのを、マスメディアの洗脳というのかと。こういうのを、マスメディアの魔法というのかと。むろんエビちゃんにも、現象になってしまうくらいのポテンシャルはもともとあったことだろう。しかし、フランのポスターのエビちゃんは、一時期の松嶋菜々子ぐらいの後光がさしている。

この業界で売れつづける。支持され続ける。その莫大な魔力を、わたしはエビちゃんに侵食されていく自分の心をかんがみて、実感している今日この頃である・・・・(大袈裟)。





日本テレビで、『太田光の、私が総理大臣になったら』という番組がやっているが、毎回、結構面白く観ている。


『朝まで生テレビ』は、あんなの政治家の喧嘩みたいにしか聞こえないからつまらないと思っているが、『ここが変だよ日本人』と『ジェネレーションジャングル(だっけ?ジェネジャンと呼んでいたので忘れた)』、『しゃべり場』なんかは、好きでよく観ていたものだった。討論番組というのは、なんにせよ、

我々になんらかの問題について考えるきっかけを与えてくれる気がするのでわるくないと思っている。


しかし、ああいうものを観ていると、911以降、日本という国はずいぶん変わってきたように思うのだがどうだろうか。

『ここが変だよ~』は、あれは今やってもあまり流行らないに違いない。なぜなら、『日本沈没』という映画になぜか沸き返る日本人、どこまでも自虐性を追求する姿勢が、あの番組のころはまだあまり我々の内部にきちんと認識されていなかった。であるからこそ、外国人が日本人のあそこがだめ、ここがだめ、という言葉がぐさりと心に突き刺さったのである。突き刺さり、次の瞬間去来する思い。


ああ、だから日本は嫌いなんだ。アメリカ人に生まれたかった。


ここであまたいたあそこのなかの外国人をさして、なぜかゾマホンのようなアフリカンではなく、アメリカ人、と日本人が思ってしまうのは、意識無意識にかかわらず、アメリカに占領された日本人のたどるべき宿命のようなものだった。


しかし、あの同時多発テロ以降、すくなからず日本人の中に、

なんで外国っていうと、アメリカしか思いつかなかったのかしらん

という、疑念やら疑問やら不信感やらが生まれだした。それゆえ、長いことかこってきた自我意識がぐらぐらと崩れだしたわけである。信頼していた先生が、犯罪者かもしれないと噂で聞いてしまったときのような感じ。


そんなとき、外人に「だから日本人なんかだめなんじゃん」なんて言われたら、へこむわけである。力をさらにうしなってしまうわけである。もっというと、「うるせえ!アメリカ(注・外国といえば、アメリカがどうしたって最初に出てくるのは一種の呪縛)だっておかしいじゃねえか!」と、逆上してしまう危険性もあるわけだ。


よって代わりに登場したのが爆笑問題太田である。


太田は、今の日本にあまたいる芸人の中でもまれにみるほどの熱い男であるというのが私の感想であるが、

その理由は、


政治に詳しい

歴史に詳しい(さらに認識が正確)

議論に熱い

日本語を大事にしている


ということのほかにも、なによりも人とのコミュニケーションを大切にし、対話をすべての一番上においている

という美点を持っている。


私は大分前から、太田の魅力とは

内省的であるところ(そのへんがかつての日本男児的)


であると感じてきたのだが、そのあたりの本質がいまだ如実に出ていてなおかつ、ある程度名の売れた、ある程度主張を外に発言してきた人間がすすむ道としての自我の統一というのを経て、太田というひとは確実にピンポイント的にわかりやすい思考回路に集約されてきているわけである。なにをいっているのかわからなくなってきたがつまり、

あくがぬけてインプットからアウトプットにむかう過程のレベルが格段に上がった

ということでなかろうかと思われる。誰でもそうだが、言いたいことはあるのだろうがなにをいっているのかいまいちわからないとか、情熱は伝わるのだが癖でつい同じ言葉に帰結してしまうので最後は誰の印象にも残らない、という状態から、確実に脱却した、というところだろうか。


いろいろ並べ立てたがようするに、


論じるタイプの番組のなかに必要なのは、正確なボキャブラリーをみじかい時間の中で言い当てる能力を持った人間がどれだけいるか


にかかってくるということで、そういう意味では『たけしのTVタックル』における同等の地位を誇るのは、

大竹まことではないかとわたしはふんでいる(無論、たけしもかなりのレベルだと思うのだが、中心であるがゆえに随分それをおさえているように見える)。


ときどき、めちゃくちゃなというか、過激すぎるマニフェストもむないわけではないが、太田の発言には今後とも、愉しく見守って生きたいと考えている。




ギャッツビーの宣伝とカメラと富士通の宣伝。


狼になると思いきやうさぎになる木村と、長い髪をゆらして躍ってるギャッツビーと、それと似たような衣装でかっこよくカメラ持って撮影してる木村だったら、


うさぎだけを推すぴょん。