中学生のころは、親友たちと手紙交換をよくしていた。
それは、便箋に書いた長編もあれば、ノートの切れ端に書いて授業中にまわしたメモのようなものもあった。
わたしは、それらの手紙を、自分の部屋の引き出しに、大量に溜めていた。
手紙の内容は、恋の話、友情の話、進路の話などなど、そこには中学生のわたしたちの思春期の思いが沢山つめこまれていた。
あの引き出しは、「わたしの心」そのものだったように今思う。
前回の記事で書いた大好きだった先生のことも、たくさん親友たちとやりとりしていた。
親友たちと万引きしたとき、激情した父は、わたしの部屋に来て、その引き出しを丸ごと持っていってしまった。
親友たちと万引きの計画を練っていたのではないかと、それらの手紙を読んで確かめようとしたようだ。
ものすごく嫌だったが、悪いことをしたのは自分だからと、わたしは抵抗することもなくあきらめた。
父は、引き出しの手紙をくまなく読んだようだ。
わたしたちは、手紙で万引きの計画などしていなかったので、父の目論見ははずれた。
そもそも、万引きが計画的なものだろうと、突発的なものだろうと、わたしたちが起こしたことは何も変わらないんじゃないかと思うが、
そのときは父親も動転していたのだろう。
そんなことよりなにより、
引き出しをわたしの部屋に戻したときに父が言い放った言葉が、
当時のわたしの心をズタズタに切り裂いた。
「この◯◯先生とおまえは、一体なんなんだ。」
そのとき、手紙を読んだ父は、わたしと先生が男女の関係にあるとでも疑ったのだろうか。
父のこの言葉は、ピュアだったわたしの恋心を傷つけた。
わたしはそのとき、心底、父を憎いと思った。
たとえ親であっても、子どもの心に土足で立ち入ることは許されない。
このときの自分の体験から、わたしはそう思っている。
親友たちと万引きをしたのは、ほんの出来心からではあったが、
わたしは、当時の自分には、
「悪い子のわたしのことも愛してほしい」
という思いがあったように今感じている。
あの出来事は、まちがいなく、思春期のわたしたちが放ったSOSだった。
だけど、あのころ、そのSOSを拾ってくれたおとなは、ほとんどいなかった。
大好きだった先生と当時の担任は、なにかを感じとってくれていたように思うが、
あの時のわたしたちが一番気づいてほしかったであろう「親」たちは、だれもわかってはくれなかった。
たしかに、むずかしいことなのかもしれない。
自分の子どもたちのことも、わたしはあの頃の親のように、すこしもわかってあげられていないのかもしれない。
ただ、
自分がされて嫌だったこと(手紙を勝手に読んだり、恋愛に口出しすること、など)だけは、
決してしないようにしようと心に決めている。
<次の記事 L08 砕かれた野球部のマネージャーという夢
>前の記事 L06 恋に恋する中学生、教師を好きになる
記事一覧 わたしの恋愛シリーズIndex