野球部のマネージャーになりたくて、

野球部のある男女共学校へ進学したわたし。

 

その高校の野球部は、私が中学3年生だった年、県大会で準決勝まで勝ち進む強さでもあった。

 

ところが、いざ野球部のマネージャーになろうとしたら、親からの反対に遭ってしまった。

 

わたしが野球部のマネージャーになりたくてその高校に進学したことは知っていただろうに、それはあまりにもひどい仕打ちだと今でも思う。

 

野球部のマネージャーになることを反対された理由は「土日のどちらも部活があるため」だった。

 

わたしには10歳下の妹がいるのだが、当時6歳の彼女はまだひとりで留守番ができなかった。

わたしが一緒にいれば大丈夫だったので、親はわたしの存在に頼っていたのだ。

土日のどちらかはパートに出たかった母は、わたしが部活で土日の両方が休めなくなることに難色を示した。

 

こんな理由で、夢をあきらめる(大袈裟かもしれないが、当時のわたしにとってはそうだった)ことはとてつもなく悔しくて、わたしは一晩大泣きしたが、それでも親に逆らうことはできなかった。

「わたしの大学受験シリーズ」でも触れているように、わたしには、親(特に父親)の意見には決して逆らってはいけないという重い縛りがあったのだ。

 

実際のところ、希望したからといって野球部のマネージャーになれたかはわからない。

 

女子の人数が男子の倍近くいたわたしの高校では、男子部のマネージャーはかなりの倍率だったため、希望すれば入れるというものではなく、そこではジャンケンや抽選に勝つという運も必要だったから。

 

野球部のマネージャーを泣く泣くあきらめざるをえなかったわたしは、同じ高校に進学した親友のYちゃんと、中学校のころはあまり交流したことがなかったけれど同じ中学から進学してきたKちゃんと3人で、ラグビー部のマネージャーをすることになった。

 

わたしはラグビーというスポーツは、「スクールウォーズ」というドラマを見て少し知っていた程度だったが、もともとラグビーが好きだったYちゃんが「ラグビーもかっこいいよ!」と言うので、なんとなくその気になった。

 

ラグビー部は、15人の部員をそろえることができない弱小チームで、大会に出るときは他の部から助っ人を呼んで参加していた。

練習も土日のどちらかは休みだったので、そのことを伝えたら、親もあっさりOKを出した。

 

そんなこんなで、

わたしは念願だった「野球部マネージャー」ではなく、

「ラグビー部マネージャー」として高校生活をスタートさせることになった。

 

ラグビー部のマネージャーになったいきさつを書いてたら長くなったので、続きは次回。

 

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