甲子園アイドルの追っかけもそうだが、
中学生のころのわたしは「恋に恋している」という状態だったのだろう。
中学3年生のころ赴任してきた男性教師も、中学生のわたしの憧れの対象となった。
当時、先生は20代後半くらいだったのかな。
宮城の中学校教員としては珍しく、東京の私大出身だったその先生は、わたしたちの中学校に新しい風を吹き込んだように感じた。
海にナンパをしにいった話や、
彼女(元カノだったかな?)との話を、
生徒相手にも気軽に話す先生は、
当時のわたしたちには新鮮だった。
男女問わず、休み時間は先生のまわりにたくさんの生徒たちが集まり、先生のいろんな話を聞きたがった。
わたしと親友の3人組も、
休み時間や放課後はいつも先生のところへ遊びに行っていた。
わたしたち3人組は、女子テニス部の幽霊部員だったのだけど、その先生は男子テニス部の顧問だった。
部活の時間になると、わたしたちはプール下に置いてある高跳びのマットに寝そべりながら、先生がテニスをしている姿を眺めていたものだ。
「おまえら、オレのこと好きなんだろ。」
という先生に、
「そうだよ。好きだよ。」
と、わたしたちも答えた。
「前の中学にもオレのこと好きな生徒がいてさ、手編みのマフラーとかチョコとかもらったりしたよ。」
なんて話も、先生はした。
「好きになるのは自由じゃん。」
すこしおとなびた親友Yちゃんがそんな風に言い、
「まあな。」
と先生も言った。
中総体のとき、先生とのツーショット写真を撮らせてもらった。
実物はもう残っていないが、はにかんだ笑顔で先生とならんで映っていた写真が、今でも目に浮かぶ。
中学を卒業して数年後に、先生が新聞沙汰になる事件を起こしたことがあった。
生徒に暴力をふるったという報道だった。
わたしたちが中学生のころも、先生はカッとなって怒鳴ることが時折あった。
そのころ、わたしたちは高校生だったかな。
わたしとYちゃんは、一緒に先生を訪ねて中学校まで行った。
「先生、落ち込んでるんじゃないかと思って会いにきたよ。」
と言うと、
先生は「ありがとな。」と答えたものの、
やはりいつものような元気はなかった。
わたしと親友3人組は、
中学3年生のころ、スーパーで万引きをして補導されたことがあった。
その事件のあと、まるで汚らわしいものかのようにわたしたちを見る教師が多かった中、
先生だけは、それまでと変わらず接してくれた。
「まあ、いろいろあるよな。」
それ以上、先生は事件のことは何も言ってこなかったけど、
当時のわたしたちは、とにかく先生が以前と変わらず接してくれることに救われ、元気づられた。
今度は自分たちが先生のことを元気づけたい。
変わらず先生のことが大好きだと伝えたい。
あのころのわたしたちは、そんな気持ちだったのかもしれない。
それから数年後に、わたしとYちゃんは、もう一度先生に会いに行ったことがあった。
当時、卒業アルバムには、生徒と教職員の住所録がついていた。
わたしたちが中学を卒業してからも、先生はおなじアパートに住んでいた。
わたしたちは、とある休日に突然先生の家に押しかけたのだった。
あのとき、なぜそんなことをしたのか、もう覚えていない。
「ひさしぶりに先生に会い行っちゃおう!」
と悪ふざけしたのかもしれない。
ピンポンを鳴らしても、しばらく応答がなかったけど、車があるからとYちゃんは何度もピンポンを押しつづけた。
すると寝ぼけまなこの先生が、玄関に現れた。
「びっくりするなあ、突然。」
と言いつつも、
「部屋は汚すぎてあげられないから、ちょっと待ってて。」
と先生は言い、着替えてから出てきた。
「せっかくだから、ドライブでも行こうか。」
そんな流れで、わたしとYちゃんと先生の3人で、急きょドライブに出かけた。
たぶん、わたしはそのとき大学生だったと思う。
Yちゃんは東京の学校に行ってたけど、春休みで仙台に帰ってきてたんだったかなあ。
それとも、Yちゃんが浪人生でまだ仙台にいたときのことだったのかなあ。
詳細な時期はさだかではないが、
とにかくその頃のわたしはもう「恋に恋する中学生」ではなく、
恋人同士がどんなものかを知るほどに成長していた。
「中学生のころの先生を好きだったわたしたち、かわいかったよね。」
なんて話を、先生とできるようになっていた。
その日は、なんと、先生の出身地である宮城県北部の築館という方面まで、わたしたちはドライブに連れていってもらった。
車で移動しながら、
わたしたちは中学を卒業してからの自分たちの話(恋愛話も含めて)を報告したりした。
それはまるで、3人だけの「同窓会」だった。
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