子どもが不登校になったことをきっかけに、自分を見つめなおしはじめたわたし。

 

自分をとことん見つめだすと、たぶんみんな必ず向き合うことになるのが、「自分の親」との関係性なんじゃないのかな、と思う。

 

「子どもとの関係性」も「パートナーとの関係性」も、つきつめると「自分の親との関係性」に帰着する気がする。

 

これまで、自分自身を見つめなおす過程のなかで、たくさんの方々とそれぞれが抱える悩みをわかちあってきたけれど、とにかくみんなが、親に対してなんらかのわだかまりを抱えている。

 

親のことが大好きだと言っている人も、親のことを憎いとか恨んでいると言っている人も、どちらもなにかしら「親に対する罪悪感」を感じているのだ。

 

わたしもご多分に漏れず、母親に対しても、父親に対しても、罪悪感とわだかまりを抱えて生きてきた。(「わだかまり」の発端が「罪悪感」)

 

そしてそれが、恋愛パートナーとの関係性にも、子どもとの関係性にも、大きく影響してきた。

 

それを癒す取り組みを、いくつか体験してきてつくづく感じるのが、

「すべてが『愛』なのに『愛』として受け取れなかっただけだったんだなあ」

ってこと。

 

わたしは、父母のことが大好きだけど、同時に嫌悪感も感じてきて、そんな風に嫌悪感を感じてしまう自分に対して、罪悪感を抱いてきた。

 

親からの自立の過程で嫌悪感を感じるのは、べつにふつうのことなのにね。

 

親の期待通りに生きられない自分を親不孝な人間だと思いこんでいた。

 

癒しが進んだ今となっては、

「わたしってば、なんて親思いな子どもだったんだろう!」

って感じだけど、

ほんと、ずっとずっと、40歳を超えるまで悩み続けて生きてきた。

 

どんだけ、親のことが大好きなんだ、わたし。

 

たぶん、わたしのように、自分の親に対する罪悪感を抱えこんで生きている方が、たくさんたくさんいると思う。

 

そんな方たちに、ぜひ伝えたい。

 

あなたは、親不孝なんかじゃない。

親に対する罪悪感なんて手放していい。

 

あなたがしあわせでありさえすれば、それでいい。

 

以前わたしが書いた、こちらの記事もぜひ読んでね。

 

人間はうまれたときに一生分の親孝行をしている

 

「親の呪縛」からの解放

 

親に対する罪悪感から、

「わたしはしあわせになってはいけない」

と思いこんでしまっている人のなんと多いこと!

 

わたし自身もそうだった。

 

もう、みんな、そんな罪悪感手放して、自分のしあわせを追い求めようぜー!

 

(次回へつづく)

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